この数年間の実践記録を提出せよと言われたので、良い記念になると思った。これでもって、アルバイトの世界から去るかもしれないけど。それならそれで仕方なし。
アルバイトもいつまで続けられるかわからん。そう思うモノノいざ辞めなくちゃならんとなると一抹の寂しさも感じる。退職してからこの数年間の実践記録を書けと言われたので、GW中はその原稿書きをする。二本ほど提出せよということである。構想はできている。walkingしながら、構想をねっていた。メモも歩きながらとっていた。
で、考えた。良い記念になるではないかということである。退職してからの徒然を書いて、それが査読に通って活字になったらボキの棺桶に入れて貰えばいいだけだ。ジー様が、こんなことをやっていたのだということである。つまり、あくまでこだわり続けたその最後の残像である。それでよし、それで。
さみしいけれどもしょうがねぇではないか。いつまでもアルバイトをしていられるわけもないし。実は、3本あったアルバイトも、一本この春から辞めた。ある専門学校が東京に移転してしまって、さらにその専門学校が短期大学に昇格した。ボキはそれでもってお払い箱になった。仕方なし。だから、どんどんアルバイトが無くなっていく。さみしいけれども仕方なしというのは、そういうことを言っているのである。
そもそもエリック・ホッファーのごとくありたいと思ってきたのだから覚悟はできている。所詮、在野の人間である。なにもいじけて言っているのではない。楽しい老後を過ごしているからである。
地位も名誉も金もない。ついでに言えばカミの毛もない(^_^)。
小さな社会的つながりをもっていたいと思っているだけである。だから生涯学習ごっこを始めただけである。家に閉じこもってばかりいて精神のバランスを崩してしまったらアカン。惚け防止にもなるし。
タレントの鈞ちゃんが駒澤大学仏教学部で学んでいるのにもかなり刺激を受けているけど。もっとも、その前からボキは生涯学習ごっこに邁進していた。仕事をしながらである。
悔いはない。
成果もなんも出せなかったけど、それはオノレの不徳の致すところである。学業劣等なんだから仕方がない。
今、さらなる生涯学習ごっこでもって、検討中である。孫ができるし、あまり旅行にも行けなくなるだろう。そいう側面もある。遊んでばかりいたら、それこそ家人に叱られてしまうから。
だったら、復帰である。
病気もかなり回復してきた。
柔道も復活しようかと思っている。この二年間柔道からも遠ざかったからである。むろん、柔道の人間関係もあるからだ。捨てるのも、もったいなし。柔道のかつての教え子たちが今では立派な先生になっているし。なにしろ小さい子供たちが、ボキと稽古してくれるからありがたいのである。
そういえば、昨日の塾で某進学高校に行った男子生徒もちびっこ柔道教室の出身である。当然、その進学高校でも柔道部に所属して活躍している。高校の帰りに塾に来る。英語を教えている。高校英文法なら、まだボキでもできるからである。しかも、ボキをご指名でくるからありがたいではないか。
塾の方も何歳までできるかわからないけどねぇ。
辞めろと言われたら辞めるつもりである。
もう年金は貰っているのだから。
さ、今日も天気がいい。
歩いてきましょう。
図書館も行くけど。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ