なにが一番堪えたかというと「なにを言われても『言い返さない』という作戦」という章に感心した
感情コントロールができるか、いかにできるかということがボキの課題である。いろんな宗教に興味を持ってきたのも、所詮自分のこころがコントロールできないからであった。なにしろハラが立って・ハラが立ってしょうが無い男だったからである。自分自身のことでもハラが立つ。さらに、社会にも、政治にも、かつて同僚だった人々にもである。家族にもである。ついでに言えば、低利子の銀行にもハラが立ってしょうがないのだ(^_^)。
つまり、そういうくだらない人間なんである。しょうがないなぁと自省しているんだけど、解決方法がないのじゃ。
退職してからは、配慮するということもなくなったから、ハラばっかり立てている。さすがにクチにすることはないが、ハラの中ではドロドロしているものがあるのだ。十分自覚していることである。
もしかして、人格ができているとか重厚な人格者だと言われている方々は、ボキのようなくだらないことで感情を乱されることもないんだろうと思っている。
つまり、感情コントロールが上手にできるというわけであろうと想像している。ボキとは違う人種である。だから人格がデキているってぇわけである。見習いたいことである。
それだけ周囲から影響されないんであろうから。影響力というものは、舐めたらアカン。他人への影響力ではない。他から影響されるということである。つまりフラフラしているってぇ案配である。影響されてあちこちフラフラしてしまうことである。
信念がないということでもある。堅い信念がないから、こうなる。不動の思想とも言っていいだろう。
かつて、野球で甲子園に行ったことがある知人と話したことがあった。野球の指導方法をめぐってであった。体罰をどう考えるかということである。知人は、信念があるから体罰容認だった。信念でもって野球に取り組んでいた。
ボキは、柔道に於いても成果を出していない。実績もない。ただの4段である。それだけである。めざましい活躍もしていない。所詮素人である。だから、信念がない。他人になにを言われても、オノレの思うところを進んでいくというモノがない。千万人と雖も我征かんという確固たるものがない。その程度なのである。
だから感情がコントロールできない。
精神科医の和田秀樹先生の書籍「感情コントロール」(新講社)という本を昨日買った。108円であった。昨日全部読んでしまったのであるが。風呂の中で。
風呂を出てから、この本は風呂の中で読んでいるような本ではないと気がついたのである。
なにが一番堪えたかというと「なにを言われても『言い返さない』という作戦」という章に感心したからである。
ボキはできなかったし、今もできない。言い返してばかりいる。しかも瞬時に言い返してしまう。考えることがない。即応してしまうのである。これがイケナイことであったとは、サラサラ気がつかなかった。
即応体制をとっていると、某国のようになってしまう。今、非常に危うい危機を迎えている国である。アメリカの空母が接近しつつある国である。
即応、即時で臨戦態勢にあるらしい。
そんなんでいいのかと思う。
そして某国を批判する前に、ボキもまた同じようなスタイルで生きているなぁと(_ _ )/ハンセイしてしまったからでもある。
気をつけましょう。
くわばらくわばらである。
(^_^)ノ””””