明鏡止水。静かな老境に憧れる。でもデキないのじゃ。季節の移ろいを味わって過ごすなんて、所詮庶民のボキには無理である、無理。
春がきて、桜が散って、順調に月日がたっている。もうすぐGWである。早いモノだなぁと思った。そしてふと気がついたことがあった。それは、いつまでもアルバイトをやっていられるわけもないということにである。定年がアルバイトにもあるのだそうだ。昨日、そう言われた。評価は雇用主がするものであって、ボキがいついつまで働きたいということを決定するようなものではない。あくまで、非正規の労働者である。それだけの存在でしかないのだ。自分の希望でやらせていただくものではない。評価の結果要らないとなったらそれでジ・エンド。去って行くしか無い。シェーンのようにである。もっともシェーンとボキを一緒に考えているってとなると、それはもう殆どマンガである。
そして思った。ボキって、元気なうちはアルバイトでもなんでも社会とつながっていたいし、働きたいということを。
むろん正規の働き方は、もうできない。年金もいただいているし、あまり収入が多いと年金が取り上げられてしまう。
上を見たらキリがないしと思う。だから比較はしないほうがよろしい。甲羅にあわせた年の取り方があるはずである。いつまでもみっともないではないか。こだわっていたら。
でも、こだわって・こだわって息も絶え絶えの状態でじじい生活を送るのも一興である。
そういう言葉を吐くことによって、自分自身を鼓舞することができる。なんでもかんでも諦めて、おとなしくしていようと思う方が土台無理である。悟りとは無縁の庶民である、こっちは。悟れないから、ジタバタ生きているだけである。それはそれで結構ではないか。自分が良いと思っていればそれでいいのである。
しかし、「アタシャ、まだドクター論文諦めていませんでっせ」とつい本音を言ってしまったのだ。昨日ボキの相手をしてくださった方に。こりゃ、言った自分がたまげてしまったよん。
言葉でそういう大事なことが出てくるってぇことは、普段から潜在意識でも思っているっていうことだからだ。一昨日、辞任した政治家と一緒である。普段からそう思っているから、本音がぺらっと出てくるのだ。やっぱりボキは拘っているんだなぁと苦笑してしまった。そりゃそうである。大金はたいて、某大学大学院に還暦過ぎてから入学したのである。やる気満々、ムンムンであった。今では実に懐かしいが。
そんなもんを取っても(学位)、なんにもならないだろうとずいぶん言われてきた。確かにそうである。就職できないからである。定年があるからだ。どっかで教えてみたいと思ったことがあるが、それは相手が評価するものである。自分で主張するものではない。そして、そういうきっかけがないということは、その程度の評価しかないということでもある。厳しい現実である。
それだけは認めなくちゃアカン。
生涯学習の根幹に関わる問題でもある。成果のためにやっているとは言えないし、仕事のためだとも言えない。仕事自体がボキにはないから。
明鏡止水。
静かな老境に憧れる。でもデキないのじゃ。
わはははっははははっははははっはは。
今朝も早く目が覚めてしまった。4時には起きてしまった。瞑想をしてそれからいろいろ考えごとをしていた。これからのなが~い余生のことを(^_^)。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ