コンプレックスを治す必要はあるのか!?【精神科医・樺沢紫苑】
隣家の旦那さんが仕事始めなのだろう、出勤していった。ボキは、今日からNHKのラジオ講座が開始されるから5時30分起床。でも、寒かったなぁ。懐が(^_^)。
学校はまだ始まらないから、子供達もショッピングセンターあたりでウロウロしている。ゲームセンターもあるショッピングセンターだから、そこにはもっとウジャウジャいる。
宿題は大丈夫なんだろうかと心配になってしまった。
こんなんだもの、塾が流行るわけである。おかげで、ボキはバイトができる。バイト代は、生涯学習ごっこに消えてしまうが。
それにしても、日本人は勉強好きだなぁと思う。子供の頃から、鍛えられているのだから。それを支えているのは、学歴信仰なんだろう。良い学校に行っていれば、就職も収入も確実になるからという思い込みである。間違っているとは言わない。しかし、どっかおかしいのではないのか。
ボキのように学歴もおそまつ、たいした職歴もない。そういう人間にとっては、エリート信仰というのは、チャンチャラおかしいからだ。エリートと言ってもホンマに実力のあるやつはあんまりいなかったからだ。それにエリートというのは、繊細すぎる。実社会を生きていけるのかねぇと思わされてきたからだ。経験上。そういうエリートを使ってきたからだ。
喜怒哀楽を表に出さないで、ぬ~~~~ぼ~~~~と生きている御仁の方が怖いでっせ。何を考えているかわからんからだ。あるいは、なにも考えていないってぇ可能性もあるけれども(^_^)。
大学だって、千差万別であるしねぇ。とくに、大学院受験をしてきた身としては、大学院のセンセ方の人数、実績でレベルがわかるようになったから余計千差万別の内容がよく理解できる。
ある国立大学なんか、学部の方がはるかに難しいという実態もあるのじゃよ。それに、大学院は論文が書けないと話にならないからだろうけれども。マジに。
次から次へと大学を、あるいは大学院を彷徨している御仁も知っている。しかしである。よほどゼニと能力があり余っているならそれもいいが、アナグマのように閉じこもって、ひとつの分野でチャレンジしていくのも捨てたもんじゃないだろうとも思っている。
ともかく大学だけが人生ではないのである。そういうことを考えているのだ、ボキは。
たぶん、当たっているだろうと思う。
どこの大学に行ったかというのではないからだ。成功するかしないかなんてぇことは、運次第である。勝負すべき時に勝負する、である。ご縁でもあると言ってもよし。ご縁を大切にしていれば、捨てる神もあれば拾ってくださる神もある。
ボキを見たまえ。
捨てる神もいっぱいいたけど、拾ってくださる神もたくさんいたからである。
アリガタヤ、アリガタヤ。チ~~~~ン。
BYE-BYE!