高速で情報を見つける7つの方法【検索力】
知人が入院する。内蔵を取るらしい。大変じゃなぁ。こどもの頃から知っている知人である。しかし、彼には家族がいない。妻女が去っていったからだ。うううううううううううううううむ。悲哀が漂う。
妻女がいるだけでもボキは良しとしよう。しょせん九十九里浜流れ者である。まったくご縁がない。仕事でいろいろと友人もどきができたが、そんなのは酒席で一緒だったとかそんなもんでしかなかった。そうなのだ。「友人もどき」なのである。も・ど・きである。
そこであっと思った。絶対の人間関係なんてないって。妻女だって、元々は他人である。血はつながっていない。数十年一緒に暮らしてきたという事実だけである。そして、捨てられなかっただけでもありがたいと思うべし。マジにそう思う。
今朝、新聞に広告が入ってきた。ボキが執筆している歴史書の宣伝であった。居住地のである。何でオレが書かなくちゃアカンのだ?と思ったが、しょうがない。やると言ったからだ。言ったことは取り消せない。書いた原稿は、他人に訂正してもらえばいい。
それだけの話である。今日も図書館に行ってやるけど。
これは誰かが依頼されたのを断ったから、思いつきでボキに回ってきたのであろう。そう思うことにした。人生なんてそんなもんだろう。誰かが断れば、次の人間が出てくる。そんなもんだ、そんなもん。
学術書ではないから、気が楽である。これが論文となると怖じ気づく。前回在籍していた大学院で挫折しているからである。今回入学した大学院だって、今度こそまともな論文を書いてみたいと思ったから受験してみたのである。そういうメッセージも教授に提出した。頑張れと言われた。そして合格した。ありがたいもんである。すでにここは一回卒業しているから、母校になる。だからありがたいのである。
藤沢周平の朗読を聞いていて、ちょっと考えが変化してしまった。自由自在に生きてきたし、いまでもそうなんだけど、実は縛りがあるってぇことに今更ながら気がついてしまったからである。
江戸時時代の侍の生き方がそうなのである。縛りがあったのだ。そういう中で工夫して生きていたのが、藤沢周平の作品に出てくる様々な人間たちであったのだ。そうなのだ。工夫して生きるこったよん。
だから惚けてるヒマもないのだなぁと思ったからである。藤沢周平の作品はいろいろと持っていた。全作品と言ってもいいくらい。しかし、断捨離で全部捨てた。一昨日、文庫だが二冊だけ古本チェーンから買ってきた。220円。これでまた楽しめる。
手術の成功を祈りながら。
BYE-BYE!