今朝も元気に歩いてきた。朝散歩である。約一時間。6000歩はいった。後は午後。ベーカーのう胞になってから無理はしていない。5000歩も歩けば目標達成であるから。それにしても昨年の11月にマチュピチに行ったが、こんな足の状態でよく行けたもんだった。感謝している。足に。膝に。
昨夜はちょっと寝付かれなかった。午後の9時にベッドに入った。それからが難行苦行。眠れない。落語がおもしろうてならないからだ。5代目円楽師匠の落語を聞いていた。「浜野矩随(はまののりゆき)」である。初めて聞いた。刀剣の付属用品を彫刻する腰元彫名人の親父と、跡取りのダメな息子の主人公の物語である。
何回作成にチャレンジしても、やってもやっても誰も買い手のつかないダメ息子。とうとう死ぬ決意をしてしまう。河童を掘っても狸に見えるくらいのへたくそ。3本足の馬を作って買い上げてくれていた商人(若狭屋)に持参する。商人は怒った。応援していた亡父の時代からの商人からも見放されてとうとう死ぬ決意をしてしまう。家に帰ってきて、実の母から「観音さまを丸彫り五寸のお身丈で彫っておくれ」と言われる。
水垢離の後、七日七晩のまず食わず、裏の細工場で励む矩随。観音経をあげる母。
やがて、完成の朝。母は「若狭屋のだんなに見ておもらい。値段を聞かれたら『三十両、一文かけても売れません』と言いなさい」と告げ、矩随に碗の水を半分のませて、残りは自らのんで見送った。
「えっ、水を半分? おっかさんはことによったらおまえさんの代わりに梁にぶらさがっちゃいねえか」と若狭屋。
矩随はあわててわが家に戻ったが、無念にも、母はすでにこときれていた。見事な死に方だった。
これを機に、矩随は開眼、名工としての道を歩む。
以上のようなあらましである。
5代目円楽のマクラが秀逸だった。個人の体験を言っていた。5代目円楽は浄土宗の寺院の子で、先祖に切腹した方がおられてその先祖の何代か前に、武士を辞めて僧侶になった血筋である。高校受験のときの話がよかったのである。
曰く、埼玉県立杉戸農業学校(現:同杉戸農業高等学校)に入学、卒業する。 この時が、合格率20%だった。師匠は、一夜漬けと卑下されていたが、毎日夜遅くまで勉強していた。そして、朝の3時ごろに寝ようかと思って厠にいくと決まって母親が起きていたという。お茶を飲んでいたのだった。それも毎日である。
決して荒い、大きな声をたてない母親だったという。勉強しろなんてぇことは一切言わない。ただひたすら待っていてくれたのである。後年、そのことを5代目円楽は母親に聞いたという。なんで起きていたのか?って。そしたら「語らない教育」というものがあるのだと言ってくれたという。
なかなか聞かせる話だった。現代の母親にはこの視点がない。
そこで、あっと思った。さすが5代目円楽は違うって。つまり、法話になっているのだ。仏教法話である。実家が寺院だからなぁ。
だから眠れなくなってしまったのである。
すごい人はすごい。
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