人生を変えたい時にすべきこと【精神科医・樺沢紫苑】
go to~~~~~なんとかという文句に振り回されていると碌なことはない。どうせどこにも行けないからである。それに塾のバイトがある。学校がコロナの遅れを取り戻そうと必死であるし。いくらかでも貢献したいから。こんなボキでも。
そうなのだ。社会の一隅にあって、少しでも照らすことだ。あ、これは比叡山に書いてあった標語だ(^_^)。ボキは高野山系の寺の檀家だから、何を今更であるけど。
行くところがなかったら、自分磨きでもやっているしかない。原稿を書いていればいい。レポートもあるし、出版社に提出する原稿でもよし。それと考えるこった。すこしは考えないと、鈍る。鈍るのである。にぶるとも発音するんだろうけど。
それにしても「一隅を照らす」という言い方はいい。実にいい。ただし、ボキの場合は「照らす」ではなくて「照らさしていただく」の方が本音である。ボキごときもんから、照らされたら困る御仁もいるだろうから。禿頭だからだ。まぶしくてタマランと言われてしまったらアウトであるから。
隅っこにいてちょうど良いのである。落伍者だからだ。世の中から落後したし、それでもってやっと生きてきただけであるし。
自称エリートとはそのあたりがまるっきり違っている。
おとなしくして生きていくことである。一隅にいさせていただくことで、感謝して生きていくことができる。
バイトでいろいろとトラブルを抱えていてもそんなもん気にする必要も無い。江戸時代の武士だって、明治維新でなにもかも崩壊したではないか。地位も収入も、身分も。
だからである。なぁ~~~~んにもこだわっていくこともない。
オリンピックでアスリート達が好んで、夢と希望を与えたいと発言する。ありゃぁウソだ。ボキのように夢も希望もなくしてしまったただのジジイには、与えてもらいたくないではないか。そもそも「与えたい」という発言には、上から目線でワレワレ一般庶民を馬鹿にしている意図がある。すくなくても、「一隅」に生きている人間の言う台詞ではないからだ。オリンピックに出るようなことになっているのだから、選ばれている人間である。だからエリートなんだ。
選ばれていない、ただの庶民であるボキ。一隅にいるしかないボキ。蟻地獄にいるしかないボキ。
go to ナントカで一隅から出て行ったら、コロナにかかっちまうようでは、これまで生きてきた甲斐もなし。
外出しない方がよろしいでっせ。
高齢者は特に。
わはははっははっはははっはははっはっははっははっははは。
BYE-BYE!