自己嫌悪というのがある。ボキは、こいつに苦しめられてきた。本当にダメな人間だからだ。そもそも自己をマイナス要因からしかとらえられないからだ。悪行三昧で生きてきたからだ。ウソ八百でオノレを偽りながら生きてきたからである。
でも、ふと思った。これって天からの贈り物ではないのかと。
自己改善というチャンスにもなるからである。これに気が付いた。さっきである。さっき。朝の7時32分にである(笑)。
自己嫌悪は、「そんなことは止めたほうが良い」という気づきである。ふとそう思ったのである。他人の問題ではない。自分だけの問題である。
ボキなんか未熟者であって、他人に説教垂れるほどの人格もない。みっともなくてそんなこたぁ言えない。他人にアポとってから来い!なんて怒鳴り散らすことなんかできるわけもない。どうぞご自由に訪問してくだされませと申し上げるしかない。用があるからボキのようなアホに会いに来てくださるからだ。そう思うことにしている。
したがって、ボキのような禿ジジイに会いたくなければ、会わなくてもよいのだ。それはそれでそちらさんの勝手である。そういう覚悟を決めるこったよん。そもそも他人ではないか。九十九里浜には、親戚もなんもいないからだ。正真正銘天下の流れものであるから。あ、長男夫婦と孫以外はだけど。
人間関係なんて脆いもんだ。友人がいても、それが絶対ではないからだ。絶対の関係なんて、信仰がらみしかないのだろうからなぁ。
要するに許容範囲を広げるということが大事なのである。絶対の関係がないのだとしたら、友人や家族にもそれを求めないことである。自分の考えていることなんて、他人からしたらどうでもいいことばかりであるから。挨拶がないとか、腹を立てることも多々あるが、そんなもんどうでもいいことだから。
ボキは、そういう意味ではいい加減である。要するにまじめでない。まじめでないから、誤解される。それでもいいではないか。自分にとって不愉快でないかぎり、こちらから出ていかないこった。それが他人に迷惑をかけないというポリシーに結びつく。
そんな気がしてならない。
今朝は珍しく硬い内容を書いてしまったな。
歴史書の原稿(第一次)ができたから、居住地の学芸員に見てもらおうと昨日持参したからため息をついているだけなんだけど(笑)。
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