と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

道中を楽しむ

2011年05月09日 22時01分51秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 道中という言葉があります。東海道中膝栗毛とかもあります。やじさんきたさんの物語とか。いにしえのヒトは、旅を楽しんだのでしょう。また実にゆっくりとした旅でもあったのだろうと思います。事実、東北新幹線・山形新幹線など走っていなかったのですから。

 お江戸から、わがふるさとの米沢に帰る時も、むかしは良かった。夜行列車がありましたから。急行列車でも8時間はかかった。それでも実に早いと感動していました。

 特急列車では4時間。料金が高くてそんな列車には乗れなかったのでありました。

 途中の宇都宮駅とか、福島県の郡山駅で、何分も、いや何十分も停車していたものでありました。これが実に良かった。箱形の、四人掛けの堅いイスでじっと座っていると、同席のじっちゃんばっちゃんと対話ができました。

 そうげぇ、あがゆまでけぇるか?
 あんちゃん、てぇへんだなぇ・・・

 そんな会話になりました。いろいろな昔話をしながら、ずっとずっと同行の旅を続けておりました。このまま、我がふるさとに着かなくてもいいと思うくらいに、楽しい道中なのでありました。宮沢賢治の銀河鉄道の夜って、こんな世界なのかなぁと思っていました。夜がしらじらと明けるころ、東北を縦断する奥羽山脈に日が昇る。これもまた実にいい風景でありました。

 言葉のこともあったでしょう。江戸弁には無いアクセント、語彙、文法。非常にすぐれた言語学の教科書でもありました。

 ですから、途中の宇都宮駅とか郡山駅には十代後半に憧憬の念を持ったものでありました。いつかは、この土地に降りて、うまいものでも食べてみたいと思ったものです。

 宇都宮には、餃子がある。さらに奥に行くと温泉がたくさんある。郡山にもすぐれた温泉がたくさんある。さらに、一番好きなスキー場がたくさんある。わたくしのような下手でも滑れるようなのが。

 
 

 翻って、現在はどうでしょうか。
 あっという間に米沢に着いてしまう。たった2時間。出発して、週刊誌一冊読まないうちに。これは旅というのとはちょっと違います。競争です。時間との競争。

 それはそれでJRの方々には感謝申し上げます。ましてや、義父はJRマンだった。義兄もそうだった。昔でいう国鉄一家でもありますから。

 


 修学旅行もそうです。
 わたくしに言わせれば、あっという間に京都に着いてしまう。目的地と出発地に時間的な違和感が無い。これを快適というのでしょうけれども、もっと道中を楽しみたいと思わざるを得ません。

 たとえば新幹線から途中で見える富士山。これもまた途中下車して大いにその風情を楽しみたいと思うのは必然でありましょう。ですから、実にこまめに富士山周辺には行くことになります。もっとも自分の車で十分行くことができる距離ですから。

 岡崎もそう。徳川家康の歴史を堪能したいと思うのはこれまた必然。

 名古屋もそう。歴史をかじっていると一度だけの訪問では満足しません。名古屋から、岐阜城へ。このコースも実に堪能しています。何度行ってもいい。信長や、秀吉が出てきそうです。楽しい、楽しい。


 修学旅行の終点である京都は、もっとすばらしい。日本の古典を学ぶには最適ですから。これはこれでまたの機会に書きたいのですが。

 要するに言いたいのは、あまりに目的地に急ぎすぎて到着していませんか?ってこと。

 途中を楽しみながら生きていってもいいのではないかと、本当に思うからであります。



 ところがそこのところを勘違いすると、すべてが目的主義的になってしまって、結果が先に来てしまう。なんでもかんでも結果優先主義。スポーツでも一流選手ほど、楽しんでくるという台詞を言うのはこのあたりを言っているのではあるまいかと思います。事実、わたくしの柔道教室の先生方でも、一流選手がおられる。そういう人ほど、楽しむすべを知っておられる。結果優先主義だとそれはそれは日々の練習はきついものでありましょう。

 素人柔道愛好家としては、そういう一流の世界は全く知らないことでありますが。

 受験勉強でもそうなんでしょう。
 楽しむくらいの、ふてぶてしいくらいの気構えで無いといかんのでしょう。受験勉強の素人のわたくしにはまったく知らない世界ではありますが。

 


 今日は、会議で、たくさんある議事を終了した後、県内屈指の進学校の進学データをいただきました。いただいてすぐ学校に引き返しました。明日、本校で地区内の校長先生との会議を予定していますから、その準備に入らなければなりません。そのために、銚子まで帰ってきたのです。しかし、遅くなりました。途中のコンビニで買ったおにぎりだけですっとんできたのですが、なんという距離でありましょうや。基本的にクルマは嫌いでありまする。

 こういうときは道中を楽しむという気にはなりません。クルマで行っても、午後遅くなった。電車ならもっとかかったでしょう。こういうのは例外であります。

 こういうときはジェット機でもあればいいなぁと思いますが。


 
 勉強もジェット機のようにすぐ成果が出ればいいのでしょうけれども、やはり道中を楽しむという態度もまた大切であるような気がするのです。たとえ歩みは遅くとも、です。牛歩のごとく、亀の歩みのごとくです。焦ることはないのであります。勉強が好きなら、ずっとやっていられる国家でもありますから。我が日本は。大学院制度も充実しています。大学通信教育も実にすばらしいシステムを誇っている。各種学校だって通信もあれば、働きながら学習できるところもたくさんあります。よ~いドンで、全員目的地目指して勝った負けたというのも良いでしょう。しかし、また違った価値観もあるんです。視点が違うとまったく理解も、意味も違ってくるということ、今日の進学校の進学データには感じましたから。




 また明日!



 

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5月6日(金)のつぶやき

2011年05月07日 01時32分40秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
22:26 from goo
3年生の教室 #goo_kencho943 http://blog.goo.ne.jp/kencho943/e/285846d3b4d07ca06a207f4b61033979
22:44 from web
私は、ツイッターで丁寧に文章を書く訓練をしてみましょう。
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3年生の教室

2011年05月06日 22時33分31秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 わたくしは、生徒の勉強をしている姿を見るのが大好きであります。今日も、放課後3年生の教室を見て回っておりました。午後の4時30分ごろでありました。

 すると、先生の古典文法の声がする。
 隣の教室からは、英語の講義の声がする。
 さらにその隣からは、英語の先生の演習問題解説の声がする。
 4番目の教室には、3学年主任が教室の後ろにおられた。自習している生徒をあたたかく見守っておられた。ありがたい限りであります。

 そのまま、すっと二階に上がっていったら、数学の先生が、熱心に受験対策講座をやっておられる。数学の先生は、わたくしと同年でもあります。参りました。勝負ありました。同い年でここまでやっておられる。かなわないなぁと思いました。
 
 実践という意味であります。教育は、実践で勝負であります。つまり、わたくしは学校を預かっているだけで、授業で勝負しているわけではないからであります。

 尊い実践家たちの様子を拝見させていただいておりました。感謝のこころをもって。
 
 わたくしは思います。学校というのは、幕末期のたとえば吉田松陰の松下村塾のような実践主体の学校でありたいと。松下村塾には成果主義は無かったのであります。あくまで、純粋な教育目的がありました。わたくしは、学校は履歴のためだけにあるのではないと思っています。履歴書を飾るためだけの学校入学なら、学校での学習はたいへん寂しいものになると思うのであります。

 ここらあたりのことはこれくらいにしましょう。なかなか難しい問題を含んでいますから。

 

 わたくしの師匠とお話をさせていただいていて、なんのために学ぶのかという師匠の問いに、わたくしは実に奇妙な回答をした覚えがあるからです。

 たいていの人は、ステップアップのために、スキルを学ぶためにという答えをするのでありましょう。わたくしもそれはそれで尊いことであると思います。

 わたくしの答えは人生を終わるために学ぶというものでありました。人生の終わりをどのように受容するか、できるかということを考えているのであります。それは翻って考えれば、生をいかに充実させるかということでもありますが。

 ですから、わたくしの場合、大学はむしろ学問を教えてくださるシステムであるとまで割り切っています。最終的には、自分が学ぶしかないからであります。自分で知るしかないと思っております。

 大学がシステムである以上、そのシステムには価値があるということを思います。思う以上は、代価を払います。したがって、各大学のこれまでの業績を享受させていただきます。だからわたくしはありがたいと思うのであります。あちこちの大学に関係をさせていただくということを。

 わたくしは、基本的に、世に出るために勉強してきたのではなく、趣味でやってきたのだという感を深くしています。好きだからというのが一番あたっているのであろうと思います。だからこの年齢までやってこれたのかなと思います。むろん教師で無くなってもまだまだ生涯学習をやります。これからがわたくしの青春でありまする。



 わたくしは、具体的には西郷隆盛を尊敬しておりますから、あのようになりたいと絶対達成不可能な夢想をしてきたのでありました。西郷がよく言うところの、「命も要らぬ、名誉も要らぬ、そういう始末におえないもの」になりたいとずっと思ってきました。事実、わたくしは未だにカネも・地位も・名誉も何も無い。茅屋の片隅でじっと書物を眺めているだけでしかない。
 
 大川周明もまた西郷隆盛を尊敬し、そのように生きたいと願った人でもあります。大川は、わたくしの故郷山形の人でもあります。大川の出身地である庄内地方の人々は西郷隆盛を非常に尊敬して、岩波文庫の南洲公遺訓まで編集した人々です。いろいろな意味で興味の尽きせぬ分野であります。



 先日、わたくしはNHKのラジオで評論家の湯川れい子先生の話を聞いておりました。深夜放送を、中学生のころから聞く習慣があって、その日も就寝前のひとときを楽しんでおりました。

 そうしましたら、なんと湯川先生の父君が米沢出身の海軍大佐だと湯川先生がのたもう。上杉鷹山まで出てきました。つらつら聞いておりましたら、どうやら父君はわたくしの土地の大先輩であるようです。同じ土地で同じ山渓を見て育ったわけであります。湯川先生の18歳年長の兄君も、また職業軍人で亡くなられていました。湯川先生は、米沢に疎開までしておられました。本名も知りました。湯野川と言われていました。

 なんともまぁご縁のあることよと感じたのです。もっともわたくしの方はただの凡人。比較するだけ蒙昧不遜。笑われてしまいます。

 湯川先生がなぜ気になるかというと、先生の経営されている専門学校の入学式に出席させていただいたことがあるからです。そこで、偶然直接対面させていただいたことがあったからです。休憩時間にも目の前におられたことがありました。

 湯川先生の発するオーラに魅せられました。圧倒的な人格力であります。真剣に世の中を生きてこられた迫力があります。



 学校経営者として、わたくしは到底かなわないまでもまねごとの一つでもやってみたいとかつて感じたことがあったからであります。

 わたくしは、明日も明後日も細々と世の中の片隅で柔道三昧の趣味に生きます。それが唯一の楽しみであります。

 一隅を照らすというレベルにまでも達成しておりません。一隅にも未だ到達しておらんのですから。他人を照らすことなぞ全く不可能であります。人を照らす前に、自己の存在意義を疑ってかからなければなりませぬ。自分は照らしていただけるほどの価値があるのかどうか。自分勝手なロマン主義で、自己に酔っていてはなりませぬ。厳しく厳しく自己分析をしていくしかありません。まだまだ、参考文献の山を前にして吐息をついているようではお話になりません。ちっともアタマに入ってこないのですから、自分がいやになりまする。笑い話のようなもんです。

 

 午前中に図書館に行って、昼から柔道教室、夕方はジム。夜もまた悪戦苦闘。文献の山に埋もれてしまいます。情報カードが山のようになってきました。それでも書けない。書けない。ほんとうに文章も下手であります。改善することが山のようにあります。


 そんなことしかできないのではありますが。


 また来週!

 勉強しましょうね。


  

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5月5日(木)のつぶやき

2011年05月06日 02時08分56秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
21:40 from goo
武蔵野の風情 #goo_kencho943 http://blog.goo.ne.jp/kencho943/e/9f5d0c4728e455662e3d90a6e1db40dc
23:37 from web
東京は人が多い。
23:37 from web
あれでは、息がつまる。
23:38 from web
されど、東京のことをほんとうによく知らない。
23:38 from web
興味のある分野しか知らない。
23:38 from web
なんだってそうでしょうけれども。
23:40 from web
活字文化しか知らないので、今日は対話の重要性ということをしみじみ感じました。直接先生方とお会いして、教えていただいている在校生諸君はしあわせです。
23:48 from web
しかし、東京は遠い。何時間もかかってしまったのです。交通網のことを言っているつもりですが。距離と時間がちぐはぐになっています。東京を起点とするとわがふるさとは時間的にずいぶん近いことになります。
23:49 from web
なんだかいろいろ貴重な体験をさせていただきました。
23:49 from web
またあした!
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武蔵野の風情

2011年05月05日 21時57分53秒 | 先公ごっこ2008年から2012年






























↓ こちらは日本橋を渡って銀座の丸善(書店)へ行った時に
 記念に撮影しました。日本橋ですよ、本物の。









 久しぶりの東京です。

 しかも、快速を新日本橋で途中下車。

 日本橋から銀座の丸善へ。


 そこでは、京大カードを購入しました。そして、6×7カードも。ケースも。さらに大川周明の本も。これは欲しかった。ずっと以前から。さすがに、文化の中心であります。いいものが置いてありました。


 さらに師匠のおられる武蔵野の地に。

 雰囲気を味わってください。

 みっちりご指導をいただいてきました。非常に感謝してまいりました。


 学術の街でもあります。


 帰り、乗るバスを間違えて隣の駅に行くバスに乗ってしまってかえって新発見。成蹊学園とか、親友が教授をやっている東京女子大学とかいろいろあってこれもまた新発見。夏また来ますが。


 良い街並みであります。こんなところで学生をやってみたかったです。もっとも無理だったでしょう。カネもチカラも・・・・・・でしたから。




 そしてわたくしは、神田でもう一度古書店へ。こちらは目をつぶっていても歩けます。こういう街はなかなか全国捜してもない。関西にも本探しに行きますが、やはりお江戸は一流です。

 
 これだから東京はこたえられない。
 
 文化のレベルが違いすぎます。

 実際に本も実物を手に取ってみるのと、インターネットで注文するのでは雲泥の差であります。大川周明だって、インターネットの知識だけでは到底わかりませんでしたし。佐藤優氏の推薦が無ければ購入する気にもなりませんでしたから。組織神学だって、東京に来ないと絶対に発見できませんでした。


 


 今日はほんとうに良かった。

 いろいろ自分の短所もわかった。

 いちばん良くないのが、このブログの文章だというのも理解できました。そろそろ潮時かもしれません。自分のためには。省略形が多すぎます。わかっているのですが、どうも性格のようです。もっとも、別のブログではこんな風には書いていないのですが。ちょっとまわりくどく書いているとは思ってきましたけれども。


 若干文章に影響があったようです。

 
 ま、もっとも以前からの癖でもあります。





 明日は学校です。

 楽しみですね。



 待っていますよ。



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5月4日(水)のつぶやき

2011年05月05日 01時32分57秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
21:03 from goo
どう過ごしていますか? #goo_kencho943 http://goo.gl/FuVoz
21:42 from web
情報カード(京大式カード)を明日、神田で購入しようと思っています。それにつけても久しぶりです。東京。
21:43 from web
もっともその前に、四谷の出版社に行ってくるつもりです。上智大学の近くの。実にいい雰囲気です。あのあたりは。
21:45 from web
今日読んでいた書籍で、思いやりが、慈悲を生むという表現に納得しておりました。
21:45 from web
慈悲は、母の子を思う心理と一緒です。
21:46 from web
自分一人だけの幸福を願う気持ちからは、隔絶していきたいものであります。
21:47 from web
自分一人だけというのは、エゴイズムを生む。
21:47 from web
デカルトに聞いてみたい。二元論はなんだったのかと。
21:50 from web
明日は、そんなことを一日考えてみたいと思っています。楽しみです。師匠とお会いするからです。ほんとうに楽しみであります。勉強することは、少なくともそれが履歴のためで無いときは、楽しみになるのです。ほんとうに、これは体験上そうです。
21:51 from web
一休さんのように、風狂の人なのかも知れませんが。
21:53 from web
そういえば、佐藤優氏の「テロリズムの罠」の右巻と左巻の二冊を古本チェーンで夕方買いました。佐藤氏の書籍は、これでほぼ網羅しました。ノートまでとってしまった。それほどおもしろい先生です。
21:56 from web
ご専門の同志社大学大学院時代の神学研究もなかなかのものでありました。参考文献をずっと今日は読んでおりました。知らないことが多すぎます。情けなくなります。時間よ止まれであります。過ぎ去った時間がもったいなかった。ああ、我が青春に悔いありです。
21:58 from web
以上、これがわたくしの「どう過ごしていますか?」の回答です。つまらん話ではありますが。
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どう過ごしていますか?

2011年05月04日 21時03分16秒 | 先公ごっこ2008年から2012年








 在校生諸君はどのように過ごしていますか。連休。

 当然、勉強に、部活動に励んでいることと思います。安心しています。信頼していますよ。やはり学生の本分は知・徳・体のバランスのとれた学びの生活にあるはずでありますから。

 昨日あたりから、政治経済の分野で国際的な大きな事件があったようです。それはそれで非常に興味のある分野で、公務員である以上コメントは避けます。しかし、ある意味一定の結論が出たようです。こうしたことにも興味関心を持っていきたいものであります。

 それはある種の啓蒙主義とも結びついているからであって、非常にわたくしは「個人的に」重要視するのであります。しかしです。それが、ロマン主義と結びつくことによって、妙な結論にいってしまうということを知って、かつて愕然としましたことがありました。ちょっと曖昧にしか書けないのですが、**中心主義とか言って絶対に反論できない価値を持ち出して、議論が成立しないようにする傾向がマスコミ論壇にはあるように思ってきたからです。

 ・・・・なんともはっきり言えないのがもどかしいのですが、これは仕方なし。書きたければ、教師を辞めるしか無い。

 今日も読書、明日も読書。実に充実した日を過ごさせていただいております。京大カードを片手に、メモをとりまくっています。先ほど、ホームセンターでB6サイズのカードを綴じておくファイルを買ってきました。今日一日でかなりの枚数をこなしましたので、持ち運びをしようと思って買ってきました。

 いつもはこの写真のような木箱(これは40年愛用しています)の中に一時的に保存しているのです。保管と言うより投げ込みに近い。メモをとったら、テーマごとにこの木箱に入れるわけです。なかなか手に入らなくて、神田の三省堂でやっと入手した年代物です。それからしかるべきところに移動していきます。保管のためのスペースが書庫にあります。

 このやり方は一世を風靡した梅棹忠夫先生の知的生産の技術で知った手法です。18歳くらいでした。高校の同級生たちから教えてもらった手法です。彼らはわたくしのような懶惰な人間とは違って、本当にこころから尊敬できるインテリばかりです。国家的人材も多く、それなりに知らないところで猛烈な努力をしています。わたくしなんぞ、そのまねごとをさせていただいているだけであります。むしろそういう同胞を持たせていただいたことを感謝申し上げたい。自分の不勉強を棚に上げながらですが。

 いつもはこの方法をとらないで、ノートや、ルーズリーフにしているのです。しかし、難解な書物はこれで読み進めないと、必ず挫折します。わたくしの体験上。もっとも能力のある方は、そんなことはないのでしょうけど。第一、わたくし風情と比較するのも失礼です。
 
 途中が難しい書籍ですと、後で読み返すこともままならない。さりとて、一語一句ノートにまとめていたのでは、時間が圧倒的に不足してしまいます。ましてや、わたくしには人生の残り時間があまりないときている。これは焦ります。

 一種の風狂なのかもしれません。一休さんもそうだったようです。夕方の日課にしているスポーツジムに行く前に、古書店チェーンに105円で一休さんを扱った集英社新書がありましたので、買って楽しく読みました。トレーニング中に読了しました。汗もかきましたが、ほんとうに、書籍は人生に大きな贈り物をしてくださる。それが運動と結びつくとこれは実にいい。

 一挙両得とはこれであります。



 さ、明日も勉強一筋で過ごしてくださいね。

 期待しております。



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書けない

2011年05月03日 06時11分37秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 なかなか、思うように書けないという状況にちょっと戸惑っています。
 
 小論文指導で、苦しんでいる生徒もいるのかもしれません。そういう生徒の気持ちがよくわかります。自分も同じですから。ですから、決して人のことを悪し様にいうことはできません。

 インド思想と、中国思想で、やや苦戦しています。それと西洋心理学との比較をして、一本レポートをまとめたいと思っているのですが、そこが才能の無さ。苦戦中であります。膨大な参考文献の山をため息をつきながら眺めていますが、どうしても「私」が出てしまうのです。拙ブログのような文章なら、いくらでも書けるのです。しかしこちらは難関。なんと言っても評価がからむ。そうするとチカラが入るわけです。

 わたくしも、人の子でありました。緊張するわけです。無駄なチカラが入るわけです。これはいかん。リラックスできないのは、他人の目を意識するからです。所詮、実力も無いのに力む必要なんか無いのに、凡夫です。わらってしまいます。

 で、気休めにちょっとインターネットで、一休さんの資料を入手して読んでおりました。こどものころから大好きな一休さんです。

 視点が違うから、実にスランプになると、彼の生き方にはこころが休まります。目の付け所が違います。他にも、いろいろ偉人の伝記が好きで、こういう時には読みます。そうすると、またやる気になります。これがいいのです。実にいい。

 人間にはどうしても、認めてもらいたいという深層心理が働くようです。ニーチェの言うルサンチマンとでもいうのでしょう。

 割り切った人生を送ってきたつもりですが、まだまだ無明の道を歩んでおるようです、わたくしも。

 ですから、ここのところがおかしいのです。柔道もそう。4段より、5段。勉強もそう。もっともっとあいつより、あの人より上に行きたいという心理が働くわけです。わりきって生きているつもりが、まだまだでありました。柔道4段なら4段なりの役割、段階があるはずです。

 いいレポートを書いてみたい、認めてもらいたいというのがあるわけです。よく言えば向上心。それはそれでいいのですが、あまり偏向するとこれはいかがなものか。迷いの世界に突入することになってしまいます。これは注意しないといかんわけです。

 それにつけても膨大です。
 インド思想なんて、一言で言いますが、あまりにも情報量が膨大すぎます。中国思想史だってそう。さらに西洋心理学といっても、これまた世界が深すぎる。全てを理解することなぞできません。ましてや、わたくしのアタマでは。

 ですから、気負うことを止めました。気負って、背伸びして、力作を世に問うという姿勢では全部不可能になります。その時点での理解を示すしかないということです。物好きでもあります。でないと、こんなことに挑戦するようにもならんでしょうから。自己満足の世界かもしれません。それでもいいのです。趣味ですから。楽しんでやっています。そして、還元できればそれでよし。もっとも、特殊すぎて興味を持ってくださる方はいないでしょうけれども。




 情報収集の旅を続行中です。
 謙虚に、全力で。ちょっと一冊一冊が高価なのが、困りものです。しかし、一生の宝です。

 そういうことしか、できませんので。

 在校生諸君も、頑張りましょう!



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5月2日(月)のつぶやき

2011年05月03日 01時35分11秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
01:39 from goo
再出発 #goo_kencho943 http://goo.gl/V7mV7
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再出発

2011年05月02日 01時18分46秒 | 先公ごっこ2008年から2012年




 連休中は、ずっと柔道三昧でありました。

 震災で、柔道教室を開催している体育館が使用できなくなりました。しかし、ある小学校の体育館を借用できることとなり、そこで土・日で稽古できるようになったからです。しかも、明るいうちだけの限定付き。こんなところにも震災の影響があります。畳も、しきっぱなしと言うわけにはいきませんから、わたくしもえっちらこっちら運びます。小さい子も、保護者の方もです。

 Tシャツに、「再出発」とプリントしたのを着ていた柔道教室の卒業生がいたので、写真にしました。まったくそのとおりです。再びの出発であります。

 日曜日には、小学校の最上級生に、「外山せんせいはいくつですか?」と聞かれたので、正直にお答えしました。もうすぐ60ですよと。そうしましたら、「えっ?」とのたもう。「なんでそんなに体が動くんですか」とのこと。

 笑いました。
  
 確かに、動く方でしょう。ただし、年の割には。その子のおじいさんとほぼ同い年でしたから、びっくりしたんでしょう。体重が軽くなってから、動けるようにもなりましたし。

 柔道は素人です。
 そのあたりは、実に謙虚に生きているつもりです。
 なんと言っても、高校柔道部の顧問からはじかれて、16年たってしまいました。16年前に教育センターに行くことになって、幕張まで通いました。それから、もうずいぶんたちました。教室を始めたのはそのちょっと前でありました。これもまたある種の喜びであり、ささやかな柔道とのつながりでもあります。

 体にも、精神にも、染みついているのです。午前中、稽古をしてから、午後は図書館に行って読書。そして、茅屋の書庫に閉じこもって、レポートを書いておりました。そうです。連休中に師匠から厳しくご指導をいただく予定をしているからです。

 それもこれも、教育ということの成就のため。履歴のためにではありません。わたくしのような鈍才は、いろいろと情報を仕入れて、勉強しないと知識が知識にならないのです。悲しいことにそれが真実であります。

 柔道と一緒です。

 弱いし、いつも訓練していないと、忘れてしまいます。
 技も、知識も。できが悪いのですから、努力するしかない。自他共に認めることで、亡父亡母のお墨付き。

 

 そういうことです。
 そういうこと。


 在校生諸君も頑張りましょう!



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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/