と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

こんなことも考えていたのですなぁ~~~去年

2016年10月22日 18時08分18秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
 
おしめで生まれて、おしめで死んでいくのに、責任転嫁型ではいかがなものか

トラブルは、責任を人になすりつけることから始まるのだと思うけど  生きていると色々なトラブルを抱えることがある。そういう事例を見聞する事が多々あったからであ......
 

 

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名優・渥美清さんの表情には、悪あがきなんかない。

2016年10月22日 08時30分19秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

お遍路が一列に行く虹の中 風天

 

 

風天とは、亡くなった渥美清さんの俳号である。私生活をいっさい明かさなかった彼が俳句をやっていたのだ。そして、その作品群のなかでもこれが一番である。

お遍路の中にも彼がいる。

そしてそれをじっと見つめている彼もいる。

さらに、お遍路たちは虹の中を歩いているのである。これは死への旅立ちでもある。

なかなかの秀作である。

人生の覚悟というものが伝わってくるのじゃ。そういうふうに思った。生きているのだって、お遍路みたいなものである。あてもない旅のようなものである。生活のために四苦八苦して稼いできても、退職したらそれっきりである。そういうオノレをじっと見つめている目も大事である。

ボキも、生涯学習ごっこをやってきたが、それだって他人に自慢するようなしろものではない。まったくない。ただの暇つぶし、穀潰しである。他にやることがねぇから、しかたなしにやっているだけである。

そして、そういうくだらない自分をじっと見つめている目があるのだ。渥美清さんの俳句は、そういうことを教えてくれているのだ。

もっともっと自分を知りたい。自分とはなんなのかということをである。自分のことが一番わからないのじゃ。欲望にまみれ、つまらない仕事人間として生きてしまった。無明を生きて半世紀以上たってしまった。世の中のため、人のためになるようなことはなんにもしてこなかった。慚愧の思いばかりある。

淡々として、仕事をこなしてきたわけでもなかった。荒波もあった。暴風もあった。逆に天気晴朗もあったけど。

でも、退職してみれば全部が全部たいしたことではなかった。

いわば「ごっこ」だったのである。

遊戯・児戯に等しい悪あがきであった。

しかし、名優・渥美清さんの表情には、悪あがきなんかない。映画を通じて感じただけであるが。ふと見せる映画での表情には、そういう諦観みたいなものがある。

多くを語らなかった方でもある。私生活もである。

さらに、成果が欲しくてボキのように、生ゴミ論文を書き散らすワルあがきなんか絶体やらなかっただろう。そんなことをするような方ではなかった。

淡々と生きていらっしゃったに違いないとボキは思う。

人生につまならない目標なんか下手に持つから苦しくなるのである。その目標だって、どれだけ価値のあるものなのかと思う。

武道における勝負と一緒である。市町村の柔道大会で勝ったところで、自慢にもならない。勝負はそのためだけにやるのではないだろうに。勝ち負けだけの人生はさみしい。勝った負けたと一生やっていたら、いつのまにか死んでいたってぇ人はたくさんいるからである。これはビジネスだってそうだろう。メリット・デメリットしか考えられないという生き方は、いつかしっぺ返しをくらいまっせ。

ボキ?

ボキは、いつでも、いつまでも負け続けの人生でしたからなぁ~~~~。弱いものの遠吠えでしかありませんですよん。

わははっはははっはははっははっはははっははは。

 

今日は、久しぶりにじっとしている。予定がない。もっとも、予定なんかふ~~~うっと吹き飛ばしたら最初からなんにもなかったようなもんでござる。

さ、朝食後walkingに行って参りましょう。

それから読書タイムである。ドクショ。いやぁ、毒食だって?

ふん、毒を喰うのではない(^0^)。

他にやることもねぇから。

 

Bye-bye!

 

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10月21日(金)のつぶやき

2016年10月22日 06時09分07秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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旅は善き人との出会いなり・・・・・・去年(こぞ)のことで

2016年10月21日 18時37分48秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
 
惚け防止のために、みちのくを旅して・・いい人たちに出会った

もう十分惚けているってか?  故郷みちのくの徒然はなかなかのものだった。紅葉も美しく、素直にいいもんだ、いいもんだとつぶやいてきた。別に他意はない。旅の徒然......
 

 

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「男はつらいよ」渥美清「風天」の俳句。寅さん忌。8月4日。

2016年10月21日 18時29分02秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

彼の俳句は実にいいな~~~~~~!

 

「男はつらいよ」渥美清「風天」の俳句。寅さん忌。8月4日。

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『赤とんぼ』『叱られて』『浜辺の歌』渥美清

2016年10月21日 17時59分40秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

俳人の渥美清さん(俳号風天)の俳句と通じますなぁ~~~~。

今日の生涯学習センターでお聞きしたこと・・・・・

 

『赤とんぼ』『叱られて』『浜辺の歌』渥美清

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偏差値?・・・・・そんなもん無視して思い切り生きていきましょうや、マジに

2016年10月21日 08時54分01秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

他人のことを慮ってばかりいたら、冒険心なんか出てこないっちゅうもんですなぁ。冒険ばかりしていて挫折してきたボキの言う台詞ではないけど(^0^)

 

 

こっちから挨拶をしても無視されることがよくある。ボキの声が低いからである。低いというより、ドスがきいているという方が正解である。

こういう声は良く無い。嫌われるからである。しかしである。意図的に挨拶を返さない方もおられる。それをいちいち腹立てていたら身が持たない。

そもそもである。こっちが挨拶したんだから、そっちも挨拶くらいして返すべきだろうと思うのが良く無い。「~~~すべきだろう」というのは、こっち側の勝手な思い込みであって、それ以外の何者でもない。

そういうのを固定観念と言って、ボキは一番軽蔑してきたことである。

どうも日本人は、横並びというか、他人のことを気にしすぎるというか、他者評価に参ってしまうというような傾向がある。

ボキ?

ボキは、まったく気にしない。相手がボキを無視しても、ボキはボキであると思っているから。どーぞ御勝手にである。我関せずである。

ただし、挨拶くらいはしているという程度である。それだけなのだ。

なにも気に入られようと行動しているわけではない。それだけが生きがいだという方も散見されるが、それならそれでおおいに結構だと思っているだけである。

だから、昔からゴマすりが苦手であったのじゃ。従って組織内で出世できなかったのだなぁと今になって思う。ただのヘイヘイ凡人で終わってしまったから。

偏差値教育とはまったく無縁でもあったし。偏差値っていうのは、その成り立ちから言って怪しい。怪しいから信用しない。あんなもんを信仰しているから、冒険心が育たないのである。ま、この程度でいいかという学校選択をして、この程度の会社に就職できればいいか、安定した生涯を送れればそれでいいか・・・・・・と思っているからなにもできなくなる。

明治維新はそうではなかった。偏差値なんてなかったし。冒険心のかたまりのような青年達が、起こした行動である。犠牲者もたくさん出たけれども。

偏差値の考え方からしたら、ボキなんか最低である。最低で、ヒラメのように高校の同級生達をひたすら見上げて生きていた超劣等生である。だから高校の同窓会にも出席できない、いじけたガキであったのじゃ(^0^)。

大学の学部だって、やっと入れたのである。合格可能性はゼロであったからだ。学力も足りない、入学金も払えない(親が町役場職員&田舎教師で貧乏だったし、そもそもその大学を受験することすら許可してくれなかったから)、なんにもなかったのである。学力プラスゼニなし病である。親が受験する大学に反対していて、学費も払ってくれないとなると、あとは全部自分一人でやるしかないではないか。これぞ人生最初の冒険であったからである。

わはははっはははっはっははっははははっはは。

高校の担任の先生も困った顔をしておられた。貧乏していたから学費も全部自分で払うと担任に相談したら、呆れていたっけ。

しかも苦学して学費すら日本経済新聞に払ってもらって、新聞配達してやっと卒業したのであった。教員免許も取得できず(教育実習に行っている時間がなかったから)、学部を卒業してから書店員をやりながら母校の通信教育でやっととれたのである。

これもまたある意味冒険であったのだと思う。

ま、こういうことを打鍵していると「何が苦学だ?」「ふん、暇なジジイの戯れ言じゃぁねぇか!」という反発のメールもくるけど事実なんである。苦学したのもそうだし、偏差値教育とは無縁であったし。冒険したから、今のボキがあると思っているので。

もっとも、定年退職してから某大学大学院を中退する羽目に陥るとは思ってもみなかったが。こんなことになるんだったら、昨日書いた居住地にある某国立大学大学院博士後期課程に冒険して入学していればよかったとも思ったけど。だって、合格率が半端ないほど高いからであった(^0^)。

冗談はこれくらにしておこう。

さ、これから朝食後walkingに行く。

それから退学した方の某大学生涯学習センターに行く。冒険心の残骸がボキであるから・・・・・トホホ。

 

Bye-bye!

 

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10月20日(木)のつぶやき

2016年10月21日 05時23分21秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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中国に行ってみたいですなぁ。。。。。舞踊の映像が欲しいから、マジに。

2016年10月20日 17時50分29秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

海外雄飛の夢断ちがたく・・・ホントか?中国語講座で一緒のグループで中国に行ってみようかとなって(^0^)

 

 

さることに関心があって、ずっと今日は調べものをしていたのだ。そしてひょんなことから居住地にある某国立大学の大学院のHPに入り込んだ。博士後期課程の受験者数と合格者数を見て驚いた。合格率に。実際の数値なのだろうかと思ったからである。信じられなかった。ま、いろいろ差し障りがあるからこれくらいにしよう。興味のある生涯学習者は、その大学大学院HPに行ってみられた方がよろしい。

もっとも課程博士も、なかなか取れないだろうけど。何年在籍しようとも。さらに、文系大学院博士は就職できないときている。企業が敬遠している。これもまたインターネットにはいろいろ書いてあって、学部から就職しなかったのは、逃避からであるという人事担当の思い込みがあるそうな。これじゃぁ、日本の大学院ってぇものが発展するわけもない。

で、もっと調べていたのが、海外で働けないかということである。なんとボキのことである。サラリーは安くてもいい(^0^)。近所にも大先輩がおられる。東南アジアの某国にアルバイトをしにいっているのじゃ。ボキなんかよりもずっと年配である。年に数回行っておられる。ご本尊に直接聞いたから間違いない。それに生き生きしておられる。たいしたもんである。

ここにも老境になっても、ご活躍している方がおられるのである。もう一度繰り返す。たいしたもんであることよ。

さらにいる。それは海外で日本語教育をしておられるシニア層である。中国や、東南アジアでやっておられる。知人で西安の外国語大学で講師をしている人がいて、ちょっとだけ拙ブログでも紹介した。彼のように生き生きと老後を過ごしておられる方もいるのである。

そして、あっと思った。

ボキは、無理じゃと。健康であってこその海外雄飛である。あああああああああああああああ。時間よ戻れ!である。健康な時代になら海外雄飛も可能だったに違いない。

もう無理じゃ。無理。

昨日の居住地での中国語講座も楽しかった。講師は、中国人の女性であるが、だんだん教え方がうまくなってきた。ホンモノの発音が聞けるから、月に二度ではあるが、楽しみで通っているのじゃ。

そして、昨日は受講生だけで中国に旅行に行かないかということになった。ボキは、当然いの一番に手を上げた。参加希望である。徹底的に参加希望である。

わはははっはははっは。

受講生には、杭州に16年間単身赴任していたという豪のものがいて、彼がついてきてくれれば、帰ってこれないということはない。そういうことで、いつ中国旅行ができるか楽しみにしていたのである。

中国に行ければ、頓挫しているボキのゴミ論文もはかどるかもしれないではないか。

なんといっても日中の芸能比較だからだ。実際の映像が欲しいのである。

なにしろ某大学大学院を学力劣等・不健康等々で中退したからなぁ(^0^)。

これをこのまんま、放っておいたら、死ぬに死ねないのじゃよん。

私家版でもいいから、なんらかの形にしてみたいもんじゃと思っているので。

 

さ、これから塾に参上する。

こっちも趣味でやっているアルバイトである。

待っていてねぇ~~~~。(誰も待ってなんかいねぇか・・・トホホ)

 

Bye-bye!


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10月19日(水)のつぶやき その2

2016年10月20日 05時19分54秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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10月19日(水)のつぶやき その1

2016年10月20日 05時19分53秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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それにしても不勉強じゃな、鈍才の極みなり・・・・・・・・トホホ

2016年10月19日 08時51分12秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

不勉強じゃなぁ~。どんな講座に出てもそれを感じてしまう。しょうがないか(^0^)。

 

 

中国語の講座を12月に三回毎週連続でやっていただけることになった。火曜日午後2時からである。ありがたいものだ。退学した某大学の生涯学習センターである。ものにならないのが、こころ苦しいけど。そもそも中国旅行にもこれまで関心があったわけではなかったから。唯一、目連救母劇を除いては。

受講生のご婦人が昨日は中国茶を持参してこられて(ポットも)、それをボキ達にふるまってくださった。上海在住7年という剛の者である。それをおいしくいただきながら、四方山の話をしていた。

会話ができないとどうしようもないとか、辞書のひき方も教えていただいた。まったくこんなレベルなんである。

そんなボキがフリープランで大連に行ってみたいと言ったもんだから、やめといたほうがええと言われた(^0^)。

まずは、ツアーで行きなさいよとのことである。帰ってこれないよとも忠告いただいた。ホントだなぁと思った。北京も上海も行かないで単独行は危険だとも。

まったくである。

大望を抱きすぎる。

わははっははっははははっははははっは。

甲羅にあった生き方をせんと・・・・トホホ。小さな甲羅ではあるけれども。

ま、不勉強を戒めてくださったのだから感謝感激である。

不勉強でなかったら、退学なんかしなかっただろうからねぇ。

もっともボキは、それはそれなりにクスリにはなったと思っている。傲慢とか、不遜とかという価値観からは完全に脱却できたからである。だから、いい加減な知識でもって他人を指導したりはしないことにしたのである。

だったらアルバイトも辞めればぁとなるな(^0^)。

ま、居住地でもって相手にされていないというのはひしひしと感じているからである。

それくらいの知識しかないからである。実績もねぇし。そもそも学問に適していないっちゅうもんだよん。

学業劣等なんだから。こっちは。

さ、これから性懲りもなく古文書講座に行ってくる。相変わらず、四苦八苦である。

参っちゃうよん。

しょうがないですな。

努力不足なんだから。

 

Bye-bye!

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10月18日(火)のつぶやき

2016年10月19日 05時17分34秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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もう入りたくないね、とボキが言ったから、11月2日はサラダ記念日(入院記念日)だね

2016年10月18日 07時45分17秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

来月の2日は、サラダ記念日ならぬ「入院記念日」である。元気で無事にこれからも生涯学習ごっこに邁進したいものじゃ。

 

 

昨日あんなに暇なのを嘆いていたのに、けふは午前中から用事があってイキキしている。

午後は、退学した某大学生涯学習センターに行くからなおのことである。中国語を教えてもらうのである。専門の先生にである。中国人の助教の先生。だから楽しみなのである。

これでもって、大連あたりにフリーで行ってみたい。語学の練習にである。行程も全部自分で作って、ホテルを予約して、中国語でやってみたいのじゃ(^0^)。マジに。無理かなぁ。でもやってみなくちゃわからんではないか。大連フリーなら、2泊3日で2万円しないし。

ツアーだと、ミンナ日本人だから語学の練習にはならんからなぁ。ましてや、ボキ一人なら否が応でも中国語を使わなくてはアカン。だって、腹減ったと言えないようでは死んじゃうではないか。

昨夜、テレサテンの歌(中国語)をMP3に変換して、sdカードに落としていた。ついでに中国語の歌詞も印刷してファイルした。これをクルマの中や、書庫で聞いて楽しみたいと思っている。ファンだったからである。彼女が死んじゃったのはまことに残念であるが。ボキよりずっと若かったし。なにしろ、彼女の歌は叙情がある。すばらしいもんじゃ。下手くそな日本人歌手よりずっと聞かせる。もうあんな歌手は出ないだろうが。

ついでに、中国語の話せるカラオケスナックがあればもっといいのだが。あ、もうアルコールはヤメタのだった。クワバラ、クワバラ。

わははっははははっははっはははは。

それにつけても、こういうきっかけが大事である。なんでもいいのだ、なんでも。それが生涯学習ごっこに結びつけばそれでいいのだ。

鬼来迎の起源をたどってみたいと思ったのも、これまで能楽の勉強をしていたからであるし。能を見てみるのも、ただ単なるきっかけでしかなかった。つまり面白いから、見ていただけである。

大上段に振りかぶって、オレはこんなのをやっているのじゃと自慢してやっていたわけではない。ただの趣味である。楽しいから見ていただけである。それが藝能史の追求に結びついただけである。そこから発展して、いろんな古典を漁ってきたというだけである。

サラリーは、仕事人時代は別の分野からいただいていたから、それはそれで別問題である。ま、それなりに自分では自己研修もしていたが、なにもここに書くような話ではない。

しかし、その自己研修が今の生涯学習ごっこに結びついている。そうなのである。働きながら、あちこちと食い散らしていたのだ。いろんな学校に行っていたから。通信教育ならそれが可能なのである。で、最後が退学した某大学大学院というわけである。ずいぶん知人友人には笑われた。今更、なんというこっちゃ。なにを血迷っているんじゃ?って(^0^)。

ま、それもあり、これもありである。

健康に老いていくことを教わったし。約二年前に、16日間入院して。11月2日。これがボキの入院記念日である。

だから来月の2日は、サラダ記念日ならぬ「入院記念日」である。

そういう思い出を吹き飛ばしていきたい。もうこりごりであるから。ICUなんか入りたくはないからである。

元気で無事にこれからも生涯学習ごっこに邁進したいのじゃ。

惚けないために。

 

Bye-bye!

 

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10月17日(月)のつぶやき

2016年10月18日 05時16分14秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/