不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

人生見直した方がいい場合もある(電通の一件について思うことがあるから)

2016年10月17日 08時50分47秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

>広告大手代理店「電通」に勤めていた高橋まつりさん=当時(24)=が、過労を苦に自殺したことが波紋を広げている。高橋さんは直前の2カ月、友人や母親らに、LINEやツイッターなどで「過労」をうかがわせる50通以上のメッセージを発信していた。「本気で死んでしまいたい」。そこには、もだえるような苦しみがつづられている。電通は以前にも入社2年目の男性社員を過労自殺で失った。悲劇はなぜ繰り返されてしまったのか-


上記のニュースが、ネットに出ていた。

産経新聞のニュースである。

東大文学部卒だそうである。

ボキはドクターではないから、精神的な部分はわからない。わからないから書かないけど、それにしても残念である。こういう優秀な人材を失ってしまったこと、かわいい娘さんを亡くしてしまったご家族の方々の心情を思うと。

過労なのだろうとも書かれていた。

確かにエリートにはエリートなりの期待があって、それが周囲からひしひしと迫るから、つらかったのでもあろう。

それに自分自身でもやってきたこと、やらねばならないことは、優秀だけにわかっておられたのであろうから。

それにしても残念な結果である。

そして思ったことがある。

それは都知事になった小池百合子氏が、都庁職員労働時間短縮のことで言ったことである。

午後8時退庁の方針の課題を聞かれ「本当は6時にしようと言ったんですが、それは無理だということで現実的に考えて8時にしました。こんな長時間働いて、みんな文句も言わないのは私はよく分からないんですけど…。もう一度人生見直した方がいいじゃないですか? みなさんもいかがですか」と残業、長時間労働が当たり前になっている現状について報道陣に問いかけていた。
 続けて「世の中の流れは速いですから、目の前の仕事にヘトヘトになって、流れについて行けない人間になってしまう」との考え方も披露

 

つまり、早く帰れとのたもうたのであるが、それでも都庁職員は、夜8時以前には帰れないのだそうである。これはわかる。わかるような気がする。なかなか帰れないのである。そんなに仕事があるのか?公務員なんて暇なんだろう?と言う方も多いからである。議会があったら、都庁ばかりではなく、県議会の職員も残業の連続であるからだ。

公務員なんて暇だろうというのは、知らない人の言うことである。どんな職業でも仕事を熱心にやっていれば、時間短縮にはならないのである。

会社でもそうだ。明日までという締め切りがあったら、終わるまで帰れないではないか。

そういう無理難題を押しつけてくる上司も上司だろうけど。

小池知事は、そういう現実を見て、都庁職員に「人生見直した方がいい」とのたもうたのである。さすがである。

それくらい言ってくれれば、職場環境も変わることが予想される。

しかしである。

ボキはまた別の観点からこの電通のことも、都庁の労働環境も見ている。

それは「固定観念」である。

つまり、オノレはエリートであり、電通とか都庁とかの人もうらやむような立派な仕事につけたという「固定観念」のことである。だからがんばらなくちゃアカンというように直結した思考回路を持っているということを指摘したい。

エリートというのは、自分が他人より優れているからというその一点に限って、自己評価をしている。だから他人がバカに見えて仕方がないんだろうけど。さらにある。それは自分はエリートだからそれなりの仕事や待遇があってしかるべきであるという「固定観念」が、人生のジャマをしているのである。つまり、修正がきかないのである。固定観念から修正をしていくこと、捨てることも人生には重要なことがあるからだ。

もっとも、ボキのように捨てて捨てて捨てまくって、とうとう某大学大学院の学費まで捨ててしまったバカ・基地外もいるけどねぇ~~~~(^0^)。ものにならないと判断したら、ボキは行動がすばやい。なぜならエリートではないからである。修正もきくからである。マジに。敗退だらけの人生であるからだ。なにを今更川端柳である。そよそよと風が吹いてきたら、そのまんまである。流されているだけである。

春風駘蕩。

これをモットーとしたい。春風駘蕩というのは、「固定観念」がない。ある意味、鼓腹撃壌である。周囲になにが起きようとも、春風が吹く如くやんわりとしていられる性格のことである。

逆の場合が居合道でいうところの「居付き」であり、柔道ではパワー柔道である。技がない。工夫がない。「固定観念」から武道を考えていたら、破滅する。負けてしまう。

小池都知事が言ったことは、つまり「固定観念」から解き放たれよ!ということである。人生見直した方がいいというのは、そういうことなのではないのか。

もっとも、ボキは、見直してばかりいたから、こうなっちゃったのじゃが。

わははっははっはははっははっははははっはは。

 

お後がよろしいようで。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

貧乏暇無しというけど、貧乏でも暇ばっかりというボキみたいな人間もいるから世の中はおもしろし。

2016年10月17日 08時21分59秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

一日でも暇になると、ボキは退屈してしまう。よくよく貧乏性なのである。だからボキは、生涯学習ごっこをやっているんだけど。病みたくないので。

 

 

暇じゃなぁ~~~。

まったく、まったく。そもそもボキはモーレツ人間だったから、基本的には仕事大好きだった。隙間時間もかなり積極的に、自己研修をやって仕事に生かそうとしていたし。マジに。

そういう運命のもとにバリバリ仕事をやってきたと思う。思うというのは自己評価でしかないからであるが(^0^)。

だから、定年退職した今でも濡れ落ち葉ではない。これは古女房ドノがそう言っているから間違いではないだろう。定年退職してからも、家にいないからである。「家には、いないほうでしょうねぇ・・・」と彼女はのたもうたからである。いない方がいいのだろうけど。

それにしても暇なのは精神的に良く無い。

それに今やっている三つのアルバイトに暗雲が立ちこめてきた。つまり、馘首である。遠回しにそういう雰囲気でもって言われているからである。その時はその時である。アルバイトにどうのこうのと言うつもりはない。

エリック・ホッファーに学んでからは、在野で勉強しているのも意味があると決めたからである。尊敬するある方だって、清掃のアルバイトをしながら文学研究に邁進している。M大学の大学院で修士をとった方である。彼に在野で研究することの意義を教えていただいたからである。

それにボキは、もう年金生活をしている。なんの不満もない。特に平和な我が日本の政治システムには感謝申し上げているのじゃ。嫌味ではない。だから、これから政治不安になっていくことは嫌いである。もうこれ以上は書かないが。

で、ふと思ったことがあった。同業だったあの人は今なにをしているのだろうかと思って、インターネットで調べてみた。そしたら西安にいた。写真も出ていた。西安の大学で日本語を教えているというのは知っていたけど、まだやっていたのである。中国人の学生と談笑している写真もあった。ボキなんかより若干先輩である。

彼は、精神的にタフなのである。暇ではないのだ。こういうタフさが彼の良い点である。見習うべし。

中国で日本語を教えるというのは、あまりカネにはならない。収入の点では。月収5000元程度だというから、たいしたことはない。しかし、やることがある、やらねばならないことがある、生きがいを持って老境を生きていけるというのは素敵なことである。

なにも閉じこもることはねぇのである。

暮らしの方は年金でやっていけばいい。ボキの場合は、書籍代が欲しいからアルバイトをやっているだけである。

それにしても暇じゃ。

まったく。一日でも暇になると、ボキは退屈してしまう。よくよく貧乏性なのである。仕事人間なのである。中毒である。

こういう人間がいるのである。仕事人間だった人ほど、退職すると暇をもてあましてしまう。そして病む。精神的に。そういう方もいるのじゃよん。

だからボキは、生涯学習ごっこをやっているんだけど。病みたくないので。

来年なにをするか。

なんでもいいんだ、なんでも。

ささやかな小遣いを得て、書籍代にしたいだけであるから。

わははっはははっはははっはははっは。

今日は朝から雨である。

Gymも月曜日だから休館である。

(*_*) マイッタなぁ。

ショッピングセンターでも行って歩いてくるか。

暇だから、こんなことしか考えない。

アカン、アカン。

 

Bye-bye!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10月16日(日)のつぶやき

2016年10月17日 05時18分28秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

俳人 金子兜太の気骨  荒凡夫(あらぼんぷ)

2016年10月16日 11時38分33秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

俳人 金子兜太の気骨  荒凡夫(あらぼんぷ)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書斎訪問-大峯あきら代表(後編)-

2016年10月16日 11時19分27秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

書斎訪問-大峯あきら代表(後編)-

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書斎訪問-大峯あきら代表(前編)-

2016年10月16日 11時10分49秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

ううううううううううううううううううん・・・・・・・すごい話ですなぁ

 

書斎訪問-大峯あきら代表(前編)-

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

また楽しみが増えましたな。慈しみながら、老境を生きていくしかないので。この本を友として。

2016年10月16日 08時01分58秒 | 在野研究ごっこ

 

アンチエイジングを気取る必要もないと気がついてからである。アンチエイジングのために生涯学習をやろうとすると苦しい。無理があるからである。

 

 

「ユリシーズ」の古本をyahooオークションで注文した。新潮社のである。かなり古いが、なに、読めればそれでいい。さらに、自分の本だと書き込みが自由自在である。これがいい。でないとあらすじも記憶できなくなっているのだから。惚けてきて。文庫だと四冊くらいあったのだが、こっちの新潮社の方は単行本で二冊。たったの1000円である。コンビニ払いを選択したから、これから朝食後walkingを兼ねて支払ってくる。今週中には来るだろう。自宅に。

なんだ?・・・1000円払うのも四苦八苦か・・・と言われそうだ。まさにそうである。四苦八苦なのである。まったくしょうも無い。定年退職してから、まったく四苦八苦の連続である。ゼニと縁が切れてしまったからである。

わはっはははっははっはははっははは。

ま、それならそれで生きる道はある。自分の内面を見つめてこれからは生きていきたい。世間の名利ともまったく無関係だったし、そんなもんと関わりたくはねぇのである。正直言えば、新刊本が買えるくらいのゼニは欲しいが、ないものはないから諦めるしかない。

アルコールと、香水クサイお店とは縁を切ったから、出ていくゼニはなくなった。全部テメェの小遣いから支払っているから、無駄金はもったいなくてもったいなくて(^0^)。

なんで「ユリシーズ」か。

徒然草を教えていただいている退学した某大学生涯学習センターで、教授の先生が講義中ふとおっしゃられたからである。ユリシーズは、増賀上人と吉田兼好に通じるものがあるって。ボキは、すぐ反応した。エリック・ホッファーと通じるもの、あるいはモンテーニュ「随想録」と通じるものがあるのかもしれないとひらめいたのである。

それで、「ユリシーズ」を読んでいなかったことに気がついてしまった。だからyahooオークションで買ったのである。

つまり「老境を慈しむ」というボキの基本姿勢からである。今年になってから、ずいぶんこちら側にシフトしてきたのである。考え方がである。

無理に、アンチエイジングを気取る必要もないと気がついてからである。アンチエイジングのために生涯学習をやろうとすると苦しい。無理があるからである。なんでもそうだ。Gymでも、70代なのに無理している御仁もかなりいるからである。全力でランニングをしている爺婆もたくさんいるからである。そんなに無理をすることはないのだ。無理は、破綻を生み出す。自然に生きていればいいのだ。ボキは健康学に関してはそう考えているから。

さらにある。エリック・ホッファーに在野で研究するというか(ボキ如きが研究と言ったらおこがましいけど)、ともかくこのまんまやっていけばいいと学んだからである。「老境を楽しめばいい」のである。無理して若返る必要もない。ボキの見事なるスキンヘッドにアデランスをかぶる必要も無い。むしろみっともない。暑いだろうし。おっとこの話はこれ以上書かない。あちこち差し障りがあるだろうから。

ごめんね・・・。

お後がよろしいようで。

 

 

Bye-bye!

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

復活のきざし?・・・・去年からちょっと変わってきたと思へり(^0^)

2016年10月16日 06時49分03秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
 
冗談ばかり言っているけど

油断禁物である。私は、自分でも何を考えているのか、わかっていないからで  昨日放送大学大学院のHPを見ていた。博士課程の方である。そしたらびっくりした。入学試験......
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10月15日(土)のつぶやき

2016年10月16日 05時16分34秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジタバタして生きてきたから、今こそボキは陽狂、風狂の輩としてのんびり生きていきたいのじゃ。

2016年10月15日 08時02分58秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

徳はないから陰徳とは言えないけど、陽狂、風狂ならボキも合致するなぁ・・・・トホホ

 

 

陰徳陽狂の人ということを初めて知った。昨日の某大学生涯学習センターで。徒然草の冒頭に描かれている増賀上人(僧賀とも)のことを詳しくご指導いただいたので。この部分は、浅学非才のボキはさ~と通り過ぎていたからである。しかし、昨日はかなりの時間を割いて教授に説明いただいた。

知らないことは知らないから感謝したのである。まったく、何年徒然草を読んできたのであろうか。無為徒食である。ボキなんか。いっぱしの仕事人を気取ってなにをやっていたのだろうと思った。37年も仕事人を自称していたのである。笑っちまう。こんな程度でもって生きてきたのである。どうしようもない。もっと知るべきこと、やらねばならぬことがたくさんあるではないか。改めてそのことを思っていた。受講中は。

そして、家に帰ってから(つまり塾から帰ってきて)、増賀上人のことを調べた。資料にして印刷もした。関連の論文もいろいろと印刷してみた。かなり多い。関連する資料が。

ますます感動した。

芭蕉も興味関心を持っていた御仁である。さらに増賀にはおもしろい奇行が多い。比叡山で得られない道心を求めて、伊勢に下向した際には、示現によって私物をなげうち、裸形となって帰山する。この話に芭蕉は、伊勢山田において、「裸には まだ衣更着の 嵐かな」という一句を作っているくらいである。

要するに、深遠なる仏教哲学の碩学であるにもかかわらず、決してそのことを表に出さず、風狂を気取った法師である。徳高い高僧であるにも関わらず、その徳を隠してあくまで明るく、陽狂の生活を送った方である。それこそが、吉田兼好のみならず芭蕉のこころまで動かしたのだ。

これぞまさしく「つれづれなるままに」である。日暮らし・・・・なにもすることがなく、決まりきった生活の中でもってつまらない計算もなくて生きていた御仁である。さらに皮肉もそうとうなもんじゃよ。

で、ここまで書いてきてふと思ったのが、これってボキの目指すべき心境ではないのかということである。

陽狂、風狂・・・・なんでもいい。もうボキは普通の生活を送っていないしねぇ。そして思った。陽狂なんである。陽狂。明るく基地外一歩手前まできているのじゃ。皮肉ばかり拙ブログで書いているしねぇ。これ、ボキそのものではないか。

ふううううううううううむ。

エリック・ホッファーにも教えてもらったが、老境を慈しむということでもある。あるいはモンテーニュの随想録もそうである。老境になって、なにを今更である。ジタバタして生きてきたから、今こそボキは陽狂、風狂の輩としてのんびり生きていきたいのじゃ。

芭蕉のように「旅に病んで 夢は枯れ野をかけめぐる」で、このおおいにつまらない人生の幕引きができれば、ボキはマンゾクである。

この秋に、紅葉を愛でる旅に出ようか。また我が故郷に愛車を駆って。みちのく東北で、ボキは夢ばかり見てきたような気がするから。

 

Bye-bye!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10月14日(金)のつぶやき

2016年10月15日 05時18分50秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それにしても健康オタクじゃなぁ・・・・・と思う。惚けてるけど。アタマの方は。

2016年10月14日 09時46分28秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

寒くなったから早朝walkingはやめた。朝食後walkingに変更した。今日から。

 

 

ぞっとすることがある。それは、生涯学習ごっこをやっていなかったら、もともと悪い頭脳がもっと悪くなっていたのではないかということである。

こいつが一番怖いのじゃ。マジに。

ボキは、そもそも知的活動には向いていないが、やはり人間の尊厳というのは知的な部分がかなり大切であると思っている。

今朝もNHKの語学講座をテキスト片手に聴いていた。ところが、昨日の放送も記憶にないのだ(少しはあるけど)。毎週金曜日は、一週間の復習日であるからで、その復習がおぼつかないのである。

情けない。まことに情けない。

英語も中国語もである。記憶の彼方に吹っ飛んでいってしまっている。

ああああああああああああああああああああああである。

これでもって、なんにもチャレンジしていなかったら・・・・と思うと、ぞっとするのである。意識そのものも寝ているのと同じようになってしまうからである。

もっとも、ボキは睡眠というのは実に重要だと思っているから、確保している。時間的には。さらに昼寝もしているから、ずいぶん暇なジジイではある(^0^)。

よく寝ると血圧も高くならない。

それと、最近寒くなった。寒いと早朝のwalkingは健康に良くない。寒い中を運動していると血圧が上昇する。徹底的に健康に良くないから、今朝から切り替えた。つまり、早朝walkingではなくて、朝食後walkingにである。今(9:23)その朝食後walkingから帰ってきた。一時間は歩いてきたことになる。歩数で6677歩(exで)。これでよし、これで。

これで夕方もgymに行ってくるから、かなりの健康オタクである。

わはっはははははっはははっはははっは。

Gymでも血圧を測ってから歩く。ランニングは絶体にやらない。柔道現役のときに、無酸素運動ばかりやってきて、結局身体を痛めたからである。もっとも、ボキ、柔道は60歳までやっていた。完全にアホである。それでたったの四段である。バカバカしい。よくまぁ指導者ズラができたもんじゃよ。もうやらないこってすな。

なんでもそうである。指導者なんてぇガラではないのじゃ。ボキは。他人に指導できるだけの能力も品性もないじゃないか。自覚しているのである。

原罪を背負っているしねぇ。これまで、喰ってきた牛や豚の肉、鶏肉、魚の肉、野菜の命・・・・なんでもかんでも命を奪って平気の平左で生きてきてしまったではないか。

かなりの罪悪人である。

それに気がついてからは、食事の前に、他の命を奪って生きているジジイとして、「ありがとう」と感謝申し上げてから喰うことにしているのだ。

ホントウに、今、こうやって生きていられることがアリガタイもんでござる。

今日はこれから退学した某大学生涯学習センターに行ってくる。11時にはスタートする。講義は、13時20分からである。かつての師匠から講義をいただく。

老人大学に行ってみて初めてわかったのだが、ボキ、やはり老人大学では知的活動としてマンゾクできていなかったのだと思う。要するに、つまんねぇのだ。ゼータクだけれども。

老人大学は、もっと年取ってから再入学するつもりである。

その前に老人大学が無くなってしたりして・・・トホホ。

さ、これにてBye-bye!

夜は塾があるからこっちも楽しみであるけど。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10月13日(木)のつぶやき

2016年10月14日 05時20分25秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

色即是空・空即是色であるからだ(去年の記事じゃ・・・半グレジジイの)

2016年10月13日 18時50分17秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
 
ぐれよう、グレヨウ、gureyou!半グレでもいいから。ジジイになったら。

ガキのころからの「半グレ」状態でそのまんまジジイになっただけで  今日は老人大学がない。簡単に言えば、学校が開いていない。こういうのは無上に嬉しいもんで......
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九十九里浜で鼓腹撃壌を気取って、のんびり・ゆったり生きていきましょう。行政をアテにせず(^0^)

2016年10月13日 08時19分33秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

大都会で挫折したら、海の見える九十九里浜でもって、ずっとずっと海でも見ていればいい。うつ病でもなんでも治っちまう。そんな人と人との争いでもって、病むことはないのである。

 

 

地方活性化の要は、行政をあてにせず、行政に面倒見てもらいたいというのではなく、住民自治を柱に住民の意識を高めることだと教えていただいた。行政から全部面倒を見てもらおうという精神ではなくて、考え方を変える必要があるとも。昨日の老人大学で。

しかし、果たしてそうであろうか。住民自治を非常に活性化して、言わばお上の言うことはまるっきりムシしてこれまでやってきたのが九十九里浜の某市町村だからである。ま、あまり詳しくは書けないが、事実である。そのツケが回ってきたとボキは感じているのだが。

いろんな国の施策も全部お断りしてきた自主自立の見本みたいな庶民が多く暮らしているのである。そのおかげで、高速道路も走っていないし、東京まで出るのにエライ時間がかかるのじゃ。東京まで2時間。東京-米沢間と同じ時間がかかるのは、悪い冗談かとボキの従兄たち(故郷にいる)に言われたが、事実である。

それはそれでボキは非常に楽しいし、面白い方々が多いと思っているのだ。独立自尊。行政のことなんか意識していないんじゃらから。まるで鼓腹撃壌だよ~~~~ん。

田舎だし、自然にも恵まれている。なにしろ食糧自給率日本一である。野菜も魚も大量にとれる。ゼニがなくなったら、海に行って釣りをしてくればいいのである。腕前にもよるが。ボキはイシモチすら釣ったことがないからである。マジである。

だから昨日老人大学で教えていただいたことは、理論としてはわかったが、お上をアテにしていなかった地域・住民の自治でもって自ら生きてきた我々は、どうなるんじゃい?って質問したかった。ハナから行政をアテにしていなかったのじゃよ。こっちは。もっとも、税金も高額納税者なんてこの地域にはいないから、行政も相手にしてくれなかったのかも知れないがねぇ。

しかし、講師は質問時間も設定せず帰っていってしまった。

ご学友達とは、あの講師の話とは真逆の市町村がここ九十九里にはあるわいのぉ~~~と嗤い話になった。まるっきり自虐話である。

フェリーだって、九十九里からは出ていないし(大洗港にもっていかれた)、大規模工業地帯は全部利根川の向こうの茨城県に行ってしまったし。サッカーチームまで隣の県にあるのじゃ。日本でも有名なチームと、巨大なサッカースタジアムである。あえてここには書かないが。

おかげで、シアワセ一杯に生きていられるのかねぇ。アリガタイもんじゃよ。

鼓腹撃壌。

地方創生の要はここらへんにあるのかもなぁと思う。

人口減少?

気にしない、気にしない。

大都会から逃げ帰ってくるなら、九十九里であるから。

大都会で挫折したら、海の見える九十九里浜でもって、ずっとずっと海でも見ていればいい。

うつ病でもなんでも治っちまう。

そんな人と人との争いでもって、病むことはないのである。

良い見本があるのじゃ。九十九里浜には。のんびり、ゆったり過ごすことですよ。大事なことは。

こんなふうに思っているボキは、アホだからかもしれないけれど。

ま、99%当たっている。

気にしていないが。

今日は塾がある。

それまで図書館でも行ってきて、エリック・ホッファーを気取って読書でもしてきますかな。往復歩いて。

健康オタクだから。

 

Bye-bye!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/