>広告大手代理店「電通」に勤めていた高橋まつりさん=当時(24)=が、過労を苦に自殺したことが波紋を広げている。高橋さんは直前の2カ月、友人や母親らに、LINEやツイッターなどで「過労」をうかがわせる50通以上のメッセージを発信していた。「本気で死んでしまいたい」。そこには、もだえるような苦しみがつづられている。電通は以前にも入社2年目の男性社員を過労自殺で失った。悲劇はなぜ繰り返されてしまったのか-
上記のニュースが、ネットに出ていた。
産経新聞のニュースである。
東大文学部卒だそうである。
ボキはドクターではないから、精神的な部分はわからない。わからないから書かないけど、それにしても残念である。こういう優秀な人材を失ってしまったこと、かわいい娘さんを亡くしてしまったご家族の方々の心情を思うと。
過労なのだろうとも書かれていた。
確かにエリートにはエリートなりの期待があって、それが周囲からひしひしと迫るから、つらかったのでもあろう。
それに自分自身でもやってきたこと、やらねばならないことは、優秀だけにわかっておられたのであろうから。
それにしても残念な結果である。
そして思ったことがある。
それは都知事になった小池百合子氏が、都庁職員の労働時間短縮のことで言ったことである。
>午後8時退庁の方針の課題を聞かれ「本当は6時にしようと言ったんですが、それは無理だということで現実的に考えて8時にしました。こんな長時間働いて、みんな文句も言わないのは私はよく分からないんですけど…。もう一度人生見直した方がいいじゃないですか? みなさんもいかがですか」と残業、長時間労働が当たり前になっている現状について報道陣に問いかけていた。
続けて「世の中の流れは速いですから、目の前の仕事にヘトヘトになって、流れについて行けない人間になってしまう」との考え方も披露
つまり、早く帰れとのたもうたのであるが、それでも都庁職員は、夜8時以前には帰れないのだそうである。これはわかる。わかるような気がする。なかなか帰れないのである。そんなに仕事があるのか?公務員なんて暇なんだろう?と言う方も多いからである。議会があったら、都庁ばかりではなく、県議会の職員も残業の連続であるからだ。
公務員なんて暇だろうというのは、知らない人の言うことである。どんな職業でも仕事を熱心にやっていれば、時間短縮にはならないのである。
会社でもそうだ。明日までという締め切りがあったら、終わるまで帰れないではないか。
そういう無理難題を押しつけてくる上司も上司だろうけど。
小池知事は、そういう現実を見て、都庁職員に「人生見直した方がいい」とのたもうたのである。さすがである。
それくらい言ってくれれば、職場環境も変わることが予想される。
しかしである。
ボキはまた別の観点からこの電通のことも、都庁の労働環境も見ている。
それは「固定観念」である。
つまり、オノレはエリートであり、電通とか都庁とかの人もうらやむような立派な仕事につけたという「固定観念」のことである。だからがんばらなくちゃアカンというように直結した思考回路を持っているということを指摘したい。
エリートというのは、自分が他人より優れているからというその一点に限って、自己評価をしている。だから他人がバカに見えて仕方がないんだろうけど。さらにある。それは自分はエリートだからそれなりの仕事や待遇があってしかるべきであるという「固定観念」が、人生のジャマをしているのである。つまり、修正がきかないのである。固定観念から修正をしていくこと、捨てることも人生には重要なことがあるからだ。
もっとも、ボキのように捨てて捨てて捨てまくって、とうとう某大学大学院の学費まで捨ててしまったバカ・基地外もいるけどねぇ~~~~(^0^)。ものにならないと判断したら、ボキは行動がすばやい。なぜならエリートではないからである。修正もきくからである。マジに。敗退だらけの人生であるからだ。なにを今更川端柳である。そよそよと風が吹いてきたら、そのまんまである。流されているだけである。
春風駘蕩。
これをモットーとしたい。春風駘蕩というのは、「固定観念」がない。ある意味、鼓腹撃壌である。周囲になにが起きようとも、春風が吹く如くやんわりとしていられる性格のことである。
逆の場合が居合道でいうところの「居付き」であり、柔道ではパワー柔道である。技がない。工夫がない。「固定観念」から武道を考えていたら、破滅する。負けてしまう。
小池都知事が言ったことは、つまり「固定観念」から解き放たれよ!ということである。人生見直した方がいいというのは、そういうことなのではないのか。
もっとも、ボキは、見直してばかりいたから、こうなっちゃったのじゃが。
わははっははっはははっははっははははっはは。
お後がよろしいようで。