と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

10月12日(水)のつぶやき その1

2016年10月13日 05時19分35秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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さ、これから弁当持って、ルンルンと老人大学に行ってきまぁ~~~~す。楽しみ、楽しみ。

2016年10月12日 08時41分15秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

ボキみたいに、老人大学で雑談ばかりしているのは、不要だということなのか。まったく世知辛い世の中ですなぁ。

 

 

登校日じゃ、今日は。つまり老人大学の。

今月はあまり登校できない。朝から登校できるのは、今月は二回のみ。来週は、午前中古文書講座で教わるし、午後から登校していたら行けない。なぜなら、老人ホームでボランティア活動を朝からやっているからである。間に合わない。それで欠席する。

もっとも、ボランティアするよりされる方の年代になっているのに、と老人大学のご学友様たちとはお互いに笑いあっているのじゃが(^0^)。

二週間後は、またまた欠席する。日帰りバスツアーでお江戸吉原歴史散歩に行くからである。朝早く九十九里浜を高速バスで行かないと、東武浅草駅に10時集合だから間に合わない。それにしても、物好きである。「吉原なんか行ってなにすんのよ!」と古女房ドノには思い切り叱られたから。

退学した某大学でもそうだった。「藝能史の勉強なんかしてなんになるのよ!」とさんざんであった。「学位をとってもなんにもなりゃしないじゃない!」というのも、口癖であった。(それにしても古女房ドノの台詞は『!』が多いですなぁ・・・・トホホ)

退学したからもう言ってこないけど。

わはははっははっはははっははっははは。

今日は老後の法律知識ということで、千葉大学の元教授から講義をいただく。これで確か二回目か。かなりわかりやすく教えていただくが、内容がまさにボキたち爺婆の切羽詰まったことであるから、寝ているわけにはいかない。

こういうのを聞いていると、世間にはゼニにキタネェ爺婆がたくさんいるってぇことを知るのじゃ。みっともないこと限りなし。

親が死んでトラブルになっている爺婆もたくさんいるし、その爺婆のお子ちゃまたちも相続で本性丸出しというのもたくさんいるからである。

そういう輩はオノレもまた死んじゃうということに考えが及ばないのである。

ボキは、行政書士もできるから、遺産相続には詳しい。遺産分割協議書も書けるからである。だから世間の裏表もちょいとばかり知っている。そうして情けなくなる。あまりの欲張り人間に。例えば、相続する子どもが3人いたとする。それが、1万円を3人で平等に分けようとする。割り切れないのはわかっているのに、争う。

ほとほと世間の強欲ぶりには、呆れてしまうのじゃ。

これって、最近英語混じりの日本語を使って、「メリットがある」とか「デメリットだ」ということをくっちゃべる方々が増えてきたのが理由なのではあるまいかと密かに思っているのだ。

世の中そんなに「メリット」「デメリット」だけで成り立っているのかね?

おおいに疑問である。メリットがないのなら、なんにもしないってか・・・・情けない。もっともアレか。一億全部経済アニマルと化してしまった日本の特徴なのかねぇ・・・・・。これ以上は書かないけど。

そうすると、ボキみたいに、老人大学で雑談ばかりしているのは、不要だということなのか。

まったく世知辛い世の中ですなぁ。

 

これからその老人大学に行ってくるけど。

 

午後は手話講座もあるし。楽しみ、楽しみ。

 

Bye-bye!

 

 

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10月11日(火)のつぶやき

2016年10月12日 05時14分39秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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吉原に非常に興味があって、しばらくは退屈しないですなぁ(^0^)

2016年10月11日 13時53分07秒 | 在野研究ごっこ

この画像の書籍を今日のお昼頃に注文した。Amazonである。明日には来るらしい。楽しみである。書籍データは今回はブログに載せない。だって、まだボキの手元に来ていないからである。

江戸時代の歴史を知らないということと、特に脇田晴子先生の論文から、女性差別問題をピックアップした「女性芸能の源流」というのは、おもしろそうである。こちらは県立図書館にもなかったからである。注文したのは。

さらに、吉原は今月の26日に日帰りバスツーアーで東京に行ってくる。専門ガイド付きの格安ツアーである。3999円だった。もう支払いを済ませたので、後は行くだけである。むろん、こんな物好きツアーには誰も一緒に行ってくれないだろうから、隠密である。つまり一人で行ってくる。今まで、あまり一人旅というのはやったことがないから(オートバイのツーリングは独行道だったけど)、こっちも楽しみである。

最終的には、中国単独旅行をしてみたいと思っているからである。むろん、中国の宗教劇「目連救母」を見てみたいのだ。しかも、泉州市のである。学位論文にしたいと思ってコツコツ書いていた内容である。しかし、ここはなかなかツアーにもないから、苦労しているのじゃ。

それに中国語はまるっきり話せないし。参っているのだ。

その予行演習みたいなものであ。単独行のである。

ボキの小遣いの中から単独旅行をしているのだから、古女房ドノも文句は言わない。それならど~ぞ御勝手にである。むしろ家にいない方がいいだろうから、積極的に外に出ることにしている。その方が、健康にもいい。

ゴミのようなダメ論文もどきを書いているよりも、ずっといい。

ボキの場合は、論文もどきをやり始めたら、時間のたつのを忘れてしまうからアカンのである。じっとしていたら、病気になっちまうからである。

他にも、午前中に吉原関係の書籍を読んでいた。しかも、キーワードだけをメモしながらである。小さいノート(100円で売っているやつ)に、メモしながらである。あまり詳細にはノートしない。やってもすぐ忘れてしまうからである。

サブノート学習法というのは、小学校からずっとやってきたからもういいのだ。もう固定化された学習法であるから。大事なのは、記憶に残すことである。どーも、ジジイになってからはそれが危うい。特に、年代・年表。

郷土史を趣味でやっている以上、苦手にしたくはない分野である。スラスラ出てくるようでないと。

それには興味のある分野から始めるに限る。

今日もあまり天気がよくない。

これからgymに行って、健康学を実践してくる。

それだと、もっと長生きできるような気がするから(^0^)。

 

じゃぁねぇ・・・・・・・。

 

Bye-bye!

 

 

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10月10日(月)のつぶやき その1

2016年10月11日 05時24分40秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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去年の記事なり こういうこともやっていたのじゃなぁ~~~

2016年10月10日 18時37分23秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
 
こういうバカなジジイを、今日の植草学園大学でどう分析していただくのか。楽しみである
植草学園大学campus「マイナス」からのアイデンティティ  今日は久しぶりに正規の大学に行ってくる。千葉市小倉台にある植草学園大学である。心理学の......
 

 

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仕事しながら大学院生活も送っていたから、そちらはそちらで楽しかった。別の世界の方々との出会いがあったし、刺激にもなった

2016年10月10日 14時49分36秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

仕事一筋、真面目を絵に描いたような完璧主義では身が持たないのじゃ。アバウトでけっこう。ボキのように徹底してデタラメというのも困ったもんじゃが(^0^)

 

 

自分のことを完璧主義者だと言ったら笑われる。それはおおいにわかっている。

しかし、それに近いのかもしれない。そもそも真面目だからだ。自分で言うかと叱られそうだが、そう思う。性格的にはカタイのかもしれない。もっとも、決まり切った生活しかしてこなかったから定年まで無事これつとめられたのであろうから。

つまらない仕事人時代であったのかもしれない。自由に生きるという点では。自由自在に生きることなんてできなかったからである。いろんな縛りがあったからである。法規上も。

ちょっとでも悪いことをしたら、たちまちマスコミの餌食になるし。

だから生涯学習ごっこをしながら、余地を楽しんでいたのであろうと思う。今になって。むろん職務上の研修もやっていたし、日々研究活動をやっていないと太刀打ちできなかったから(能力的にも)、かなり日々の勉強はやっていた。

それに、仕事しながら大学院生活も送っていたから、そちらはそちらで楽しかった。別の世界の方々との出会いがあったし、刺激にもなった。中には、大学院5つ目という剛の者がいたし。彼には大いに刺激を受けた。受けさせていただいた。感謝している。

ボキは、大学院は都合3つ関わっている。卒業できたのは、たったひとつであるけれども。それはそれでマンゾクしている。

それぞれの大学院での経験は、実に貴重なものになったからである。

それでも趣味でやっていたという側面はある。それにそういう知的生活をやっていないと、ボキの場合、惚けがくるという自覚があったからでもある。

退職後は、老年期を生きていかざるを得ない。当たり前である。誰でも年をとるからである。避けたくても避けられないのだ。

再就職はしなかった。したいとも思わなかった。もっとも、再就職したいと手を上げても断られただろうけれど。

退学した某大学で、真剣に今度こそ真剣に勉強してみたいと思っていたからである。できなかったけどねぇ。しょうがない。そもそも本格的な勉強に向いていなかったということである。

しかし、逆に考えれば、これで良かったのかもしれない。在野でもって、好きな学問分野をシコシコとやっていく楽しみをいただいたからである。

それにしてもこんなくだらないブログの文章なんか書いていないで、論文を書いてみればぁ~とは言われる。これまでやってきたことをまとめてみればぁというわけである。愚かなボキへの応援歌である。ありがたいこと限りなし。

ブログを書くのも惚け防止のためである。自分のためである。打鍵しながら、これでも考えているのじゃ(^0^)。

マジに。

今、オノレがやっていることをである。

それでもボキは、フリー・アナウンサーをやっている長**氏のように(最近ブログの過激な発言でもって全番組を降板した)、訪問者がたくさんこられるからという視点で舞い上がってしまって受け狙いの暴言に近いものは書かない。受け狙いではブログの意味がない。読んでくださる方を意識していたら、ブログなんて意味がない。

他人の思惑のために生きているのではないからである。

今日も早く起きてしまった。

5時前には目が覚めた。そして、体重をはかり、血圧もはかり、昨日の日記を書く。それから、朝のwalkingに出かける。

今朝は懐中電灯を持った男性にでくわした。ボキよりももっと早い時間からwalkingをやっているのだろう。

見たことがない方であった。たいてい顔なじみになっているので、挨拶くらいしているので。

しかし、これからドンドン暗くなっていくなぁ。危ないな。

クルマに轢かれないようにしなくちゃアカンですな。

まだまだ生きていたいので・・・・・わははははっはははっははっはははは。

さ、これから夕方の5時にはgymに行く。今日は体育の日であるから、本来休館になっているgymが休みではないのである。行事はたくさんあるようだけれども。

5時になったら、行ってきます。

 

Bye-bye

 

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10月9日(日)のつぶやき その1

2016年10月10日 05時20分12秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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コンビニで日本酒を一合だけ買って、昨夜は呑んでみた。そしたら、赤鬼さんみたいになっちまって(^0^)

2016年10月09日 16時18分32秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

一合くらいなら呑んでもいいとドクターに言われているからコンビニでホントウに一合だけ日本酒を買ってきて呑んだ。美味かった。そして、たった一合で真っ赤になってしまった・・・・ナント!

 

 

習慣というのは恐ろしいものである。

例えばつめ切りひとつにしても、やり方が固定化されてしまっている。実は、この爪の切り方でもって、深爪をしてしまって、先般難渋したのである。深く切りすぎて、巻き爪になってしまった。そして、なんと大病院に行ってドクターに診て貰ったのである。バカも休み休みやらないとアカンと古女房ドノに大いに笑われてしまった。

深爪をしていたのは、柔道をやっていたからである。身体勝負である、柔道は。だから、可能な限り爪を短くしておかないと危険である。自分も、相手にも。それでないと相手に失礼になるからだ。

その長年の習慣が変化した。大病院に行ってからである。つめ切りもUの字になっているようなカーブしたつめ切りは捨てた。まっすぐに一直線に伸びたつめ切りに替えた。

それからは快調である。巻き爪も治ってしまった。

飲酒もそうである。

飲酒も習慣なのである。しかもこっちは長年の習慣になっていて、呑めば呑むほど量が足りなくなって、ついつい過ぎる。つまり健康を害する。

適量というがこれほど難しいものはない。否、なかった。酔うために呑んでいくようになっちまう。だから、健康に害をなすのである。

定年退職してから、アル中になる方もおられると聞くことがある。なにもすることがないから、朝から茶碗酒ということになってしまう方もおられる。

そうすると、必ずといっていいほど病気になる。定年退職したら、おとなしくしていればいいのに長年の習慣でもってできなくなるのである。ましてや、仕事を辞めたのだからというわけでやることが破綻の方向にぶれてしまう。

さ、そこで生涯学習ごっこの登場である。

やることがないなら、なんでもいいからともかく始めることである。NHKのラジ英でも、ともかく毎日一定の時間にラジオの前に座ってみることである。それでいい。

そして、老人大学とかに出かけていって、周囲の年寄り達となじむのである。

くだらないと言っていないで、雑談に応じることである。世間話でもなんでもいいから、楽しくしゃべって暮らすことである。たまには卑猥な話でもして、おおいに笑ってもいいではないか。どうせ卑猥や淫奔を実践できないのは、お互いわかっているのだから。もうそんなアホな体力もねぇだろうにとお互いを指さして、カカカッカカと笑っていた方がどんなに健康に良いかはかりしれないものである(^0^)。

男は黙ってサッポロビールだとかなんとか言っていないことだ。むっつりしていた方が男らしいから、オレは黙って我が道をいくという御仁は、雑談の楽しみを知らないと言うべきであろう。

世間は面白いのである。楽しみに満ちているのである。

それを自ら道を閉ざすことはないのだ。

趣味を持って、いろんなことに手を出すことである。ものにならなくてもいいではないか。所詮趣味である。趣味ならば、成果もなんも要求されない。

自分だけが楽しければいいのである。

昨日、郷土史の会で千葉市に一日いた。会議もあった。文化講座で講演を聴いた。古文書講座で講義を受けた。そしてマンゾクして帰ってきた。

あまりにも疲れたので、一合くらいなら呑んでもいいとドクターに言われているからコンビニでホントウに一合だけ日本酒を買ってきて呑んだ。

美味かった。

そして、たった一合で真っ赤になってしまった。

アレルギーである(^0^)。

とうとうここまでなってしまったのである。

アルコールのない世界にいきたいと思っていた酒豪時代のボキからしてみれば、大変化である。

ありがたいものである。

病気に感謝している。今では。

 

さ、これからgymに行って歩いてくる。卓球の大会が行われていて、体育館のランニングコースが使えないから、これから行けばもう終わっているだろうから。

それではBye-bye!

 

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10月8日(土)のつぶやき

2016年10月09日 05時18分48秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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江戸ぶらり 古地図walkingという日帰りバスツアーにたった今申し込んだ

2016年10月08日 22時48分57秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

江戸時代のことをなんにも知らない。



特に吉原のことを知らない。さらに遊郭というのも知らない。当たり前である。ボキは、そんなの知るわけない。その時代に生きていなかったからである。妖怪ではあるまいし。顔は鬼の如き凄惨な顔をしているけど。

わはははっははっはははっははは。

佐伯泰英の時代劇小説を、今、ずいぶん楽しんでいる。主人公の剣豪坂崎磐音の許嫁が、藩政改革の犠牲となって、身売りすることになる。奈緒という見目麗しき女性である。彼女が、花魁として流されてきたのが吉原である。

あああああああああああああ、かわいそうだと毎回涙を禁じ得ない。

だから、歴史的事実として興味があったのである。でも、よく知らない。

事の善悪から言ったら、そういう時代に逆行しては絶体にならない。これは娘を持つ身として、ホントウにそう思う。娘を身売りさせるような状況に舞い戻ってはアカンのだ。

白拍子というのも、かつてはあった。

能が行われる以前からいた方々である。これまた、女性差別の典型であったのだ。能の「百萬」から、ボキは、芸能と鬼(隠されたものとして女性差別)というようなテーマをずっとおっかけているのだ。だから、江戸時代のこと「も」、勉強しなくちゃ後悔するではないか。

それでもボキは江戸時代のことをよく知らない。

で、今日家に帰って、老妻(古女房ドノともいうけど)の作ってくださった夕食をありがたく、いただきながらあることを思いついたのである。

それは阪急交通社から来ていた旅行パンフレットが、リビングのいつも座っているボキの椅子の脇にあったのだ。

老夫婦二人で、食べながらあれこれと今度二人で行く旅行のことなんぞ話していたのである。そしたら、ふと目に留まったのが、この江戸歴史の旅シリーズである。全10回。日帰りである。格安である。3000円代からある。しかも弁当がついている。

二人して笑ってしまった。これ、九十九里の田舎から高速に乗ってお江戸まで行ったらとてもじゃぁないが、この値段ではできない。

結論。

つまり、ボキ一人なら行けることになった。大蔵大臣のお許しがなければ、なんにもできねぇ情けないジジイであるから(^0^)。

さっそくインターネットから注文してみた。

OKであった。

10月26日の水曜日に行ってくることにした。

この日は老人大学があるが、欠席しちゃうのだ(^0^)。

楽しみですなぁ。

楽しみ。

全10回もあるので、毎月一回行ってみようと思っているのじゃ。

専門ガイド付きだし。

けっこうお得ですよん。

マジに。

 

さ、これくらいにします。

 

あまりブログばかり書いていると、元々おかしいアタマがさらにおかしくなってしまうから。

 

オヤスミ・・・・・・・・・・・(-。_)。。o〇

 

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千葉市民会館に行った。午前中から、夕方5時まで。きぇ~~~~疲れたですがな。

2016年10月08日 22時08分02秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

午前中は会議。お世話になっている郷土史の会の研究誌とか、その他いろいろ。で、文学博士川村優前会長の記念号を特集するのだが、ボキ、重大な誤謬をやっていた。川村優博士は、本会の前会長ではなくて、その前の会長だった。だから、元会長が正解である。訂正させていただく。

そのうち雨が降ってきた。かなりの大雨である。お昼の弁当を買うのを忘れたから、近くにあるコンビニに買いに行って、市民会館まで戻るのも面倒臭くなってしまって乗っていったクルマの中で食べた。しょうがない。こういうときもあるんじゃなぁ。

午後は、著名な文学研究者の中谷順子先生から講義をいただいた。「林芙美子と房総」というタイトルであった。放浪記のお話がかなり面白かった。さすが碩学である。さらに、古文書講座。かなりレベルが高い。どちらも。参ったね。

夕方5時までかかった。それから、愛車を運転して、家に着いたのが、夜。

朝早く千葉市に着いたので、千葉神社にもお参りしてから千葉市民会館に行った。この神社の禰宜様は、郷土史の会の副会長でもある。凄い方々ばかりである。よくまぁ、ボキ如きがこのような会に参加させていただけるもんじゃと思う。感謝である。

さらにあちこち徒歩で歩いて、今日は合計10943歩。むろん強度計のレベルである。普通に歩いたら、13563歩。

ま、これでよかよか。

これで健康になるのだから、なんでもやってやろうじゃないかという案配である。

よくまぁ、動いたよん。今日は。

だから、明日は、久しぶりに一日昼寝できるな。

わははっははははっははは。

 

Bye-bye!

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10月7日(金)のつぶやき

2016年10月08日 05時18分01秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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これから退学した某大学に行ってくる。生涯学習講座でもって、徒然草を教えていただく。楽しみである。

2016年10月07日 08時29分52秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

修行した道場に舞い戻ったという感覚である。懶惰な門下生が、道場の隅っこで師匠にご指導をいただく。これである、これ。まさに末席を汚すとはこのことである。

 

 

どの面下げていまさらかつての師匠の講座に参加できるのかと言われたことがあった。今日、大学院博士後期課程を退学した某大学に行くからである。社会人講座で徒然草の講義を拝聴させていただく。「人生の無常をたのしんだ吉田兼好」という副題がついている。まさに、これである。これこそ、老境を慈しみながら、老いさらばえていくボキのことだ。人生は無常であるが、しかしそれを楽しみとして受け取り、生きていきたい。これぞタイムリーである。ありがたいではないか。

むろん、ボキは昨日の時点で、徒然草の古文書(影印本)をコピーしてある。縮小サイズにしてあって、A4になっている。全文を持参していく。ノートの代わりである。メモも途中から挿入可能である。A4ルーズリーフでやればいいだけである。実は、こうやって古文書を読み込んでいくとなかなかなのである。何が?・・・ちったぁ慣れるのである(ちょっとだけだが)。まだまだである、まだまだ。学力劣等で低学力だからじゃ。当然、古文書解読辞典も持っていくけど。

わははっははっはははっはははは。

師匠の書かれた講談社学術文庫「徒然草全訳注」(全四巻)も持参していく。この文庫本シリーズで著書を出せるという学者は、相当である。だからボキは某大学に入学したのであった。還暦過ぎて、退職して。物好きである。まったく。血迷っている。なんとでも言ってくださいませ。もう屁でもないので(^0^)。

さらに、別の著者の書かれたモンテーニュと徒然草とを比較検討した書籍も持参する。老境を慈しむとその本には副題に書いてあるし、まさにこれからのボキにはうってつけの課題であるからだ。マジに。

ボキは退学したが、別に破門になったとは思っていない。むろん某大学に対しても、内容等々まったくマンゾクしていたからなんの文句もない。かなり質の高い講義をしていただいたし、クラスメイトの俊秀たちにもかなり刺激を受けたからである。

だからなんということはない。

つまりボキの健康が回復基調にあるから、今日からの社会人講座に参加するのである。ここまで回復できたことに感謝しているのだ。ドクターに、古女房ドノに、二人の子どもたちに。

まったくICUに入っていたときには、もうこれでオイラは死んじゃうのだなぁ~~~~としみじみ思っていたから。実際、失神3回も経験したし。死ぬなんて簡単なことである。だからこそ、生きているうちにオノレをふか~く(_ _ )/ハンセイして、充実した今を生きていかなくちゃアカンと、ホントウに・ホントウに考えていたのである。だからこその生涯学習ごっこである。自堕落なバカジジイではあるけれども。それこそ生きているうちが花である。海外旅行も、秘湯めぐりもやっていきたいし、ゴミ論文も生きているうちに書いてみたい。あちこちと。どんなに笑われてもいい。それは生きているうちにしかできねぇことだからだ。だったら、ボキはこれからも変わっていく可能性はおおいにあるってぇもんじゃ諦めて、すべてのことから撤退していちゃ生きている意味がない。どうせ、一度は死んだ身だ。これからは好きなことを好きなようにやっていくのである。

と、ボキが書くとまるで冗談のようだけれども、マジなんである。マジ。

生涯学習ごっこと自称しているけど、確かに「ごっこ」かもしれない。ボキのレベルが低いからである。だからこそ、自分でも努力せんとアカンのである。そしてその結果なにかになろうとも、まったく思っていないし、なれるわけもない。

久しぶりに、修行した道場に行って、稽古をつけていただくという感覚である。ダメになってしまった不肖の門下生が、道場を訪れて師匠に教えをいただくという感覚である。もっとも、ボキは学業劣等・不健康でもって退学したのであるから、今更である。今更、師匠にさも親しげに挨拶申し上げるわけにはいかない。まさに末席を汚すということである。

今日は、30名くらい参加されるそうだが、ボキは教室の隅っこで古文書の徒然草を傍らに置いて、読み解こうと思っている。楽しみである。

ボキにはそれしかできないからなぁ。まったく、まったく。

それにこんなくだらないブログなんか書いていないで、論文でも書けバァ~という方もおられるだろう。毎日、1000字以上書いたら、100日で十万字になる。論文の字数にしたら相当のものである。しかし、バカブログの記事と論文では質が違う。内容がないとしょうも無い話であるからだ。それに、誰かの研究書をコピーしてそのとおりに書いていたら、バカである。当然新しい視点や、独創性がなくてはならない。でなければ、論文を書く意味がない。

資料も読み込まなくちゃいけない。しかも古文書が多いのである。全部が全部とは言わないけど。だから四苦八苦なんである。それが楽しいのだから、変人なのであろう。

どんなに笑われてもいいのである。バカが、アホが、基地外がと言われてもめげない。

所詮、ボキは「バカ」であり、「アホ」であり、「基地外」であるからだ。

むしろそういう風に他人に言われるようになりたい。それくらい言われたら名誉なことだと思っているくらいだから。

わはははっはははっははははっははは。

 

 

今日の夜も塾がある。これもまた趣味である。昨日の夜もあった。国数英。いつまでやれるか。勝負である。惚けないためにも。

 


Bye-bye!

 

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10月6日(木)のつぶやき その1

2016年10月07日 05時18分12秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/