品覚寺
2014年11月1日(土)
品覚寺。「ホンカク」と読みます。
2014年9月25日、広島県江田島市内の品覚寺を訪れました。ある事を探しにです。その1か月位前にTVの報道で、この寺に海軍兵学校生たちの寄せ書きがあるということを知りました。私の楽友(音楽のお友達)の義父が海軍兵学校に在籍していて、その方の寄せ書きもありはしないかと思ってです。楽友にはそのTV番組を録画したBD-Rを送ったのですが、たちまちは行く計画がないということでした。余計なお世話とも思ったのですが、私が行って確認することにしたのです。
海抜数メートルの所に車を停め、歩くこと10分程度、急な坂道で最後は息切れがしました。毎日のウォーキングでは息が切れることはないのですが・・。
びっくりしたのは、蝉が鳴いていたことです。私の住む広島市南区では1か月前に蝉の鳴き声は止まっていました。この品覚寺から直線距離で20㎞程度しか離れていないのですが、この地域は南斜面に面していて、温暖なのだと思います。
何だ、車でも行けるんだ。息切れを返して!
まだ、新しい建物です。
昭和56年といいますから、1981年ですが、局地的集中豪雨による災害で門徒多数が死傷したということです。
寺と言えば、どちらかと言うと、災害等の際の避難場所になるのでしょうから、無念の念はいかばかりだったでしょう。
本堂です。
牡蠣筏が浮かぶ、穏やかな風景です。写真では小さくてよく分からないのですが、正面が海上自衛隊術科学校です。
寄せ書きの原本です。
なぜ、海軍兵学校生がこの品覚寺と交流を持つようになったか、疑問がでますが、住職の奥様によると、学校で海難事故があり、その法要を品覚寺が行ったことが縁ということでした。
寄せ書きをコピーしたものです。このコピーで探したのですが、ないようでした。「ようでした」というのは虱潰しに確認した訳ではないからです。索引簿があれば良いなと、勝手なことを思いました。
「無念無想」一切の妄念を離れること。無心(広辞苑)
天皇の名の下に戦争に駆り立てられて、無心になることなんか有り得ないと思いますが、そのように教育されたのでしょう。若い有意な人物を無駄に死なせたものです。
写真には撮らなかったのですが、当時「死」というただ一文字を書いた人がいて、戦後再び訪れその時「生」と書き加えたということです。戦前の価値は「死」、戦後の価値は「生」ということです。
このことで、小学校の先生の話を思い出しました。海軍兵学校の試験は非常に難しかったのですが、受験生の一人が論述の問題の最中に、鉛筆研を暫くしたそうです。試験管は、難しくて書くことができないのかなと思ったということですが、その受験生は終了間際に、試験用紙一杯に大きく「死」と書いたそうです。その受験生は主席で合格したのですが、その「死」の意味を問われ、「天皇陛下のためには死あるのみ」と言ったそうです。
2階の廊下からです。読書をしたり、談話をしたりといった最高の空間のようです。
海軍兵学校生同士、本心で語り合っていたのでしょうか・・。