第九の訳詩 松本憲治さん
2017年9月22日(金)
9月4日、松本憲治さんにお会いしました。
・東京芸術大学音楽部声楽科卒業後、バリトン歌手としての活動のほかに、作・編曲、指揮、音楽・舞台美術イベントの演出・構成など幅広く活動。第九ひろしまでは延べ21年間にわたり合唱指導を行っている。第九ひろしま音楽アドバイザー。(指揮者山下一史さんとのインタヴューから)
この松本さんが、昨年2016年に第九の新しい訳詩を発表されました。
右側の7行目に、「虫けらのような人」と訳しています。
一般には、次ですね。
単に、「虫けら」と訳しています。
私は、この「虫けら」という訳が、「取るに足りない人間」という趣旨だとしたら、それは違うのではないか?と疑問を持ったのです。それを、松本さんにぶつけてみたかったのです。
結論からいうと、松本さんの解釈は、「歓喜」ではなく「快楽」を求めるような人間という趣旨で、どちらかと言うと、「取るに足りない」という方に近い解釈でした。
これ、私が1983年頃買った楽譜です。
Wollustを快楽と訳しているのですが、( )書きで「歓喜」とあります。松本さんは、これは韻を踏むため、Freudeの代わりに使っている言葉と解釈しています。つまり、Wurm(虫)には、歓喜ではなく快楽。
うぅーん・・! 解釈の渦に巻き込まれたようで、疑問が更に膨らんだのですが、松本さんが、「人間主義が云々」というようなこととか、時代背景の話になり、難しくて、結局よく理解できない展開になりました。
松本先生には、1時間以上も時間を取って、説明していただきました。thanksです。ただ、私の理解が及ばなかったことで、申し訳ない気持ちです。
松本さんには、旧全日空ホテルで会いました。
私は、20年以上前から、第九の合唱指導を受けていますが、あまり変わっていません。
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