団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

妻の親友の死(日記)

2008-03-30 18:05:59 | ともだち
               妻の親友の死(日記)

                         2008年3月30日(日)作成

 妻の親友が死んだ(59歳)。3月24日のことである。膵臓癌を半年患ったという。

 妻とは、約40年前、職場で知り合い、お互い退職してからも交遊があった。
 妻は、「母親が死んだときより悲しい。」と言った。そういうものだろうか。私も親友を自殺で失うという悲しいことがあった(2007年10月10日「親友の自殺」参照)が、私の場合は母親の死が一番悲しかった。

 悲しかったというより、当分の間「茫然自失」のような状況だった。
 母の死から4年半後死亡した父親のときは、薄情なようだが、「茫然自失」にはならなかった。

 同じような年代の方の「死」に出くわすと、どうしても自分の立場に置き換えて考えるようになる。

 亡くなられた方のご主人は、2年前に定年退職し、2人の娘さんはおられるが、既に結婚しているので、これからは一人での生活になる。

 妻によると、ご主人は家のことはほとんどしておられなかった方だという。私と同じだ。

 趣味は「出目金」を育てて飼うことで、品評会に出すなど相当な凝りようだ。でも、出目金だけで孤独を癒すことはできないのではないだろうか。

 よく、退職後は趣味を持つとよいといわれるが、一日中しているわけにもいくまい。

 となると、「孤独」といかに闘うかが必要になる。いや、「孤独」と仲良くなる方がよいのか。


 26日、通夜に行きました。そして、浄土真宗のお坊さんの説教を聞きました。四苦八苦の四苦「生老病死」の話でした。私は、「生」の苦しみの意味を初めて知りました。
 「人間 親を選べない」ということだそうです。

 私は、「アッ!」と思いました。私がいつも考えていることと「同じ」ではないですか。

 しかし、よく考えると、とんでもないです。お釈迦さんと私が同じ考えだなんて、罰あたりです。

 私は4歳の頃から、祖母の膝の上、毎晩仏壇の前でお経を聞かされていました。それで知らず知らずにお釈迦さんの考えが「身に付いた」のかもしれません。

 説教の続きは、この「生老病死」を克服するには、それから逃げるのではなく、「向き合う」必要があるというのです。
 そして、「南無阿弥陀仏」という呪文を唱えれば、克服できるというのが親鸞聖人の教えだというのです。

 私は、祖母の膝の上で、何千回「南無阿弥陀仏」を唱えたか知りません。ですけど、一向に「苦」を克服できていませんで~す。

 齢60 加齢を華麗に変えて エイジレス(windy)


(写真)亡くなられた方の娘さんから頂いた磁器です。その娘さんは、現在アメリカに住んでおられ、これはアメリカで造られたものです。高さ16cmと小さいですが、ずしりと重みがあり高級感があります。

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