国民平和大行進 2022
2022年08月07日(日)
4日、国民平和大行進に参加いたしました。ここ15年くらい、ほぼ毎年参加いたしております。
国民平和大行進 2017 - 団塊世代の人生時計 (goo.ne.jp)
広島市中区で、区役所の職員が出迎え見送りをしてくれました。
約20分の行進で平和公園に到着いたしました。
全国から集まったペナントです。
約200人の参加で、年々少なくなっています。
赤旗です。
朝日新聞には記事がありませんでした。暑いので取材しなかった・・?
中央にあるのは、かなわという「レストラン」です。
松井広島市政は、これを「船」と宣うておられるのです。河岸に固定していて、動くことはできません。なのに「船」なんです。船だから係留を認めるってことにしたのです。こりゃもう、嗤うしかありません。松井氏の頭の中の詳細は分らねど、観光資源として役にたつと思っているようであります。特定の個人の儲けに公共の場を提供するという愚の骨頂であります。しかも、これ危険なのであります。川の氾濫により、固定していると言っても自然の力は強いですので、流される可能性があります。すると、これが橋脚に引っかかり、川の流れをせき止め川が氾濫する可能性があるのであります。広島市民はこのような輩様を市長として選出しているのであります。いずれ、痛い目を見ることになるでありましょう。
核抑止論、つまり「核を持っている国は攻められることがないので抑止になる」は、一定の理屈が成り立つと、私は思っています。核抑止論に反対の人も、これは認める必要があると思うんですよね。
一方、核抑止論の本質は、「核を使う」ということが前提でありますので、これには反対し、核廃絶を求めなければなりません。
しかし、現実には核を持っている国があるんですね。その前提で、「核の先制不使用」をどのように評価するか?という問題があります。核を持っていれば、核戦争は勿論のこと偶発に使われる可能性もありますので、核の廃絶を求めることは言うまでもありません。しかし、現実には核が有る!
私は、核廃絶を求めることを前提としながらも、「核の先制不使用」を核保有国に求める戦術は有効なのではないかと思います。全ての核保有国が「先制使用はしない」と宣言したとすると、核って持っていても意味がないことになります。→核廃絶に近づくことになる訳であります。
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