水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

ジグソーパズル(3)

2018年06月18日 | 学年だよりなど

    学年だより「ジグソーパズル(3)」


  ずいぶん前に、野球評論家の江川卓氏が「3連敗しないチームをつくるのが大事」と言っていたのが記憶に残っている。
 プロ野球の長いシーズンの間には、チームの好不調の波が必ずある。
 打撃陣が好調で、同時に投手陣も開幕以前に想定していたより良い状態になる時期があるかと思えば、主力の何人もが怪我で戦列をはなれてしまうような事態も起こりうる。
 調子の良いときに連勝できるチームをつくることはできる。
 しかし、調子が悪くてもカード3連敗しないチームをつくるのはなかなか難しくて、最終的にシーズンを制するのはそういうチームである、という話だった。
 野球シーズンよりももっと長い、高校3年間、大学4年間、人生数十年、という単位を生きることに、この考え方はあてはまるのではないだろうか。
 今一つ調子が出ない時期に、何連敗もしない状態の自分であること。
 人間だから好不調の波は必ずある。
 やることなすことうまくいく時期もあれば、何をやっても裏目に出る時期もあるかもしれない。
 そんな時でも、やけをおこさずに地道な日常を積み重ねていけるかどうか。
 そういう自分をつくるためにこそ、高校生活はあるのだろう。
 勉強で言えば、調子がでない時期でも「勉強ゼロの日をつくらない」こと。
 小さなピースを集め続けていることだ。
 そんな毎日は、外から見れば、変わりばえのない日常だ。
 しかし自分の意識のなかで、大きな絵を完成させるイメージがあれば、マンネリではなくなる。


 ~ 毎日決められたメニューをこなす、言われたことをただやるというのでは、やる気が出ないときもあるでしょう。しかし、一つひとつの練習に意味を持たせて、一つでも欠けると本番で最高のパフォーマンスを発揮できない、と自分に言い聞かせて、どんなに小さなトレーニングでも集中して取り組むことが大事です。 (鏑木毅『プロトレイルランナーに学ぶ やり遂げる技術』実務教育出版)
 ~


 今のみなさんは、高校の勉強や部活にも、ずいぶん慣れてきて、かるく手を抜く方法も身につけつつあるようにも見える。「工夫」と「手抜き」とは違う。
 家に帰ったらへとへとで、「今日はあえて勉強しないで、体を休めて明日に備えよう!」というような理屈を思いつく日はきっとあるだろう。「土日にがっつりやろう」などと思いながら、日曜がくると「やっぱ日曜は身体を休めなきゃな」と自分に言い聞かせてしまう。
 やらない理由を考えさせることにおいて、人間は天才的な能力をもつ。
 30分でもいい。必死で机に向かい、結果的に5分でおちてしまったとしても、ゼロよりは無限大によい。小さなピースをはめつづけることが、目標に向かって進んでいるということだ。

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疎外感

2018年06月18日 | 教育に関すること

福島で長く行われていた向山洋一先生の「QA講座」に何度か参加したことがある。
 資料やノートをどこにしまったかさえわからなくなった今でも、記憶に残っている向山先生のお言葉がある。
「先生が準備してやればいいんじゃないですか」
 一刀両断だった。
「自分のクラスの子の母親が外国人だ。おたよりを出しても読んでくれない。忘れ物が多くて困る」
 という小学校の先生からの質問に対してだった。
「自分の妻と子供がたとえば中国で暮らすことになった。言葉もわからない。おたよりを見ても、何を持って行くかわからない。子供は学校に行くと、先生や友達から何か言われる。そんな状況を想像できますか?」
「そこまで考えるんですよ。見知らぬ国にやってきて、生活することさえ大変で、学校からのおたよりに対応できるわけないじゃないですか。先生が用意してあげればいいんです、あたりまえじゃないですか」
 質問した先生は、おそらく予想外の答えだった。いや、自分もそうだった。
 仕事に対する考え方をゆさぶられるお答えだったから、今も覚えているのだろう。
 昨日、バスケットボールの試合で審判を殴ってしまった高校生の映像をみて、急にこの話を思い出した。
 スマホの小さな画面でみただけだから、表情まではわからないが、殴ってコートから逃げるように去って行く彼が、ものすごい疎外感を感じているように思えたからだ。
 もちろん、暴力がいけないことは言うまでもないし、彼に相応の処分が必要なことも論をまたない。
 でも、と思う。
 留学生といっても、ストレスなく勉強できる環境におかれていたのだろうか。
 クラスメイトやチームの仲間とのコミュニケーションはとれていたのだろうか。
 顧問や先生、学校は充分に配慮していただろうか。
 言葉が通じる者同士であってさえ、気持ちを伝え合えないことがあるのは普通だし、そういうことへの耐性ができあがっていない年ごろだ。
 伝え合えない同士が、閉鎖的な空間や集団におかれたときの息苦しさは、大人が想像するよりきびしい。大人も昔はそうだったはずだ。まして、異国の地にやってきて、覚悟して来たとはいえ、思うようにならない日常へのストレスは大きかったにちがいない。
 人を殴っていいという感覚があるとは思えない。わからんけどね。
 だとしたら、部活動を活性化するために、ありていに言えば「勝つために」留学生を連れてくる風潮を、見直さないといけないし、彼個人の問題にして問題を語るのだけは間違っている。

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