水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

ベーシック

2023年01月24日 | 学年だよりなど
2学年だより「ベーシック」




 共通テストは、ほとんどの科目の内容が高校2年生で学習済みになる。
 この試験範囲には、どんな意味があるのか。そもそも文科省が示す「高校生が学ぶ内容」というのは、どのような性質のものなのか。
 日本の教育は遅れているとか、やり方がよくないとか批判する人もいるが、教える内容自体は、時代にあわせて変化はあるものの、多くの「不易(変わらないもの)」と少しの「流行」とで成り立っている。「不易」にあたる部分は、世界各国でそうは変わらない。




~ じつはこのカリキュラムは世界中の先進国でほとんど同じなのだ。アメリカにはアメリカのカリキュラムがあり(州によっていろいろ異なるだろうが)、イギリスにはイギリスのカリキュラムがあるし、中国にも韓国にも公教育のカリキュラムがあるが、内容自体にそれほど大きな差異はない。数学は進度の違いで高校卒業程度でどこまで終わるかで1、2年分ぐらいの差はあるものの内容はほとんど同じである。なお、日本は以前その点ではやや進度が速かったのだが、ゆとり教育などですこしずつ削られ、いまでは欧米の学校とそれほど変わらない。理科の学習内容も各国でほとんど同じである。社会はもちろん自国の歴史、地理に重点が置かれるが、似たようなものだ。国語でも各国が自分の国の伝統文化を形作ってきた古典を習う。~




 「古文や漢文など、今の時代に学ぶ必要性などない」と言う人はいる。しかし、多少ちゃんとした知識や教養のある大人であれば、欧米のエリートたちがラテン語を学ぶことを知っているし、そうした直接役に立たないように見える勉強こそが人としての基礎になることもわかっている。
 学校のカリキュラムが世界中どこでも同じなのは、目指す方向性が同じだからだ。
 小学校、中学、高校と学び、その結果として大学に入学する。そしてそのまま学問を続け、アカデミックな研究者になるための道程として、カリキュラムが組まれている。
 川東2年生415人の中から、将来研究者になる人はほんのわずかだろう。でも、なろうと思うなら、なれる可能性を残すために、今のカリキュラムで勉強しているのだとも言える。




~ 高校までのカリキュラムは、基本的には生徒のあらゆる可能性を潰さないようにできている。数学者になろうと思えば、大学で数学の専門科目の勉強をはじめられるだけの基礎学力をつけることが高校までの勉強の目標だ。国文学者になろうと思えば、そのための勉強の入り口に立てるようになっている。社会も理科も、それぞれの専門分野の入門をはじめられるように高校までは幅広く勉強するのだ。そして、大学になるといよいよ各自が自分の専門分野を決めないといけない。 (藤沢数希『コスパで考える学歴攻略法』新潮新書)~




 だから今している勉強は、「学問」という大きな山から見れば、ほんの裾野の部分ということだ。スポーツで言えば、腕立てや腹筋、もしくは声出し、球拾いにあたるのかもしれない。

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