「ゴジラは移動しているだけ」なのだ。
そこに何の感情もない。人間に対する憎しみもなければ、現代文明に対する抗議もない。
ゴジラから感情を読み取ろうとするのは、人間の恣意にすぎない。「シンゴジラ」は、そのような新しいゴジラ像を描く。
だとすれば、シンゴジラは人間の想像を絶する災害の象徴であり、今の日本人なら自然と東日本大震災を重ねあわせる。
想像を絶する災害に接したとき、人は、国はどう対処するか。どう対処したか。
基本的にパニック映画の文法に則った脚本だが、ハリウッドのそれと異なるのは、個人と個人のせめぎあいではなく組織の一員としての個人に焦点が向かう点だろう。
ちがうかな。「組織」というと西欧的なニュアンスもまじってしまう。むしろ「義」のために自分をどう処するかという問題かもしれない。とくに、公の立場にある人たちのふるまいがリアルに描かれ続ける人間ドラマとして、歴史に残る作品だとさえ思った。
東京湾から上陸し、容赦なく街を破壊しつくしたゴジラは電池切れとなって「眠る」。
活動を再開するまでの時間で、なんとかゴジラを凍結させる作戦を遂行しようとする特命チームが、政府の下に発足した。
同時に、人類の脅威と認識した各国は、国連軍の名のもとに早急に排除する作戦をとろうとする。それは熱核兵器を使用し、東京ごとふっとばすというものだった。
各国の結論もやむを得ないと思わせるほどのゴジラの力は前半部で十分に描かれる。
残された時間のなかで、特命チームは結果を出せるのか。チームの面々、自衛隊員、警察、消防、現場の作業員、化学薬品の会社、省庁の事務やスタッフのおばちゃんまで、なんとかしよう、この国を救おうという気持ちが、それぞれの持ち場で懸命に発揮されることで、不可能かと思われた作戦が徐々に形になっていく。
だから、長谷川博己にお茶とおにぎりをもってくるだけの官邸職員役に、片桐はいりさんが必要なのだ。
1シーンだけの消防隊員に小出恵介くんが必要だった。避難民役の前田敦子さんて、セリフあったっけ?
チームの一員である環境省の役人を演じる市川実日子さんのお芝居は、個人的には一番光って見えた。
コンクール疲れをとるには、ほんのりしたラブコメとか見たいなあ、でもやってないなあ、まあシンゴジラかなというゆるい姿勢でイスに座った自分を反省するほど、日本の映画界の総力が結集した大作だ。よかったぁ、見ておいて。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます