田上豊「奇想曲第58番」をキラリ富士見で観劇。
とにかく役者さんたちが力のある方ばかりだ。埼玉県の、駅から徒歩二十分以上かかる小屋の、何十人のお客さんの前でやってもらうのが申し訳ないと思うくらいに。
みな身体性が高い。自分が知ってるだけでも、本校のダンスの先生ともお知り合いの黒木絵美花さん、中林舞さんはダンサーとしてのお仕事もされる方だ(おれもけっこうマニアックになったな)。劇中の踊りの振り付けはどちらかがされたのだろう。
演劇が身体のすべてをもちいる芸術表現である以上、歌や踊りとの境界線など本当はないのだろう。
音楽も基本は同じだけど。
客席に入ると、自分が狙っていた席をはじめ前の方のいいところが、団体席といって囲まれていた。せっかく早めにチケットとったのにと思いながら、ほどよい席をキープする。その後に入って来た小学生の集団がその区画に座った。子ども演劇鑑賞会みたいな企画のようだ。
お芝居はなかなか難解だった。
自分の命を終えようとしている男が、そのこと事態には気づかず、あの世とこの世の端境で出会う自分の記憶たちとのやりとりを描いた作品、といったところだろうか。
たとえば、男の目の前に、突然兵隊さんが現れる。戦争でなくなったおじいちゃんであることが後でわかるわけだが、「あのー、あなたは一体…。あのー」と男が言うと、やめろ! と制せられる。
「あのー」は四回まで。五回言うとアウト、「あの世」が「あの後」になってしまうから、というよなやりとりがあったり、突然レビューが始まったり、クイズ大会がはじまったり、えっとこのシーンは何を表してるんだっけ? と考え始めると置いていかれてしまう。
いや、意味など考えてしまうオヤジだからわからないのだ。身体で感じればいい。
事実、小学生達は楽しんでいたし、ポイントポイントでけっこう笑っていた。えらいな。
この中から将来の堀北真希や山本耕史が生まれるかもしれない。
そしたら、私がこの道に入ったのは、子どもの時キラリ富士見で見たふしぎなお芝居がきっかけです、といいそうだ。
よかった、こどもの時こういうの見なくて。絶対に道をふみはずしてた。
中身をちゃんと楽しんだかと問われれれば心許ないが、芝居と役者さんの恐ろしいほどのパワーをこれでもかと感じた作品だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます