今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

正月読書録4:心理編

2009年01月06日 | 作品・作家評

正月を迎えるたびに、一年が過ぎたことを実感する。
そして何より、歳をとるたびにこの一年間がだんだん短く感じ、無為に歳をとっていくことの寂しさを強める。
いやその前に、大晦日がある。
大晦日はまさに過ぎゆく時を味わうように、一秒一秒噛みしめてすごし、一年が切り替わる最後の瞬間を神妙に迎える。
これは世界の”死と再生”の交換を体験する心境だ。

その一方で、大晦日や元日など実は一年の任意の一日にすぎず、特別視するのは馬鹿らしいというシニカルな発想もある(実は私自身学生時代そうだった)。

そのような”時間”そのものと向かい合えるこの時期に最適な本を見つけた。
『大人の時間はなぜ短いのか』一川誠 集英社

著者は認知心理学者で、認知心理学は心理学の基礎分野でありながらもっともホットな領域である。
つまり誰にも関係していてしかも新しい情報が産出している、心理学の中で一番おすすめの領域。
私も専門でないので、このような新書レベルでも最新の研究成果が載っていれば参考になる。

本書の1,2章はイントロで、視覚的な錯視の話から始まるので、「本題はまだ?」という歯がゆさを感じるかもしれない。
3章で時間体験の生理的基礎が解説され、
4章と5章で時間体験の認知心理学の紹介され、ここがいちばん楽しい。
時間感覚の錯覚現象を実験データにもとづいて紹介しており、たいへん興味深い(ただし認知心理学的実験に馴染みがないと、理解しにくいかもしれない)。
ちなみに、いちばん知りたい「加齢に伴って過ぎた時間が短く感じられる」現象は実験データ的に確認されており、身体的代謝の衰えと関連しているという(詳しくは本書を)。

だが6章以降の時間を使いこなすという実用的問題になると、どう生きるかという本質的な価値観の問題にかかわるため、歯切れが悪くなり、今までの知見の表面的な応用に留まる。
それでも、毎日1分間の時間評定をして、今日の体調を判断するというのは、役に立つかもしれない。

時間をどう生きるかという問題は、刻々と少なくなっている"生"をどう生きるかという問題になるはずだが、そのような問題の深みには達していない。
それが物足りなさとして残る。
だがその問題を認知心理学者に求めるのは酷だろう。
これは存在論的思惟が必要な哲学的領域だからだ。

時間とは"存在するコト"という現象である。
このレベルの時間論は、私にとっては、フッサールの『内的時間意識の現象学』とハイデガーの『存在と時間』が基本となっている。
ではこれらの時間哲学が時間体験の正確なデータに基づいていのかというとそうではなく、彼らの時代の前科学的な一般常識に準拠している。
認知心理学レベルの時間体験のデータと、私や世界が"在ること”の意味を問う哲学とを結びつけることこそ、必要だと思っている。