今日は、卒業式(院生は修了式)。
本番の卒業式(大講堂で学長の祝辞やらの)は、学生にとっては起立・礼・着席を繰り返すだけの単調作業。
その後、学部学科に分れて、卒業証書の授与。
教員も一言づつ挨拶をする。
それが終われば、学生と個別に記念写真を撮るだけ。
高校までのような、歌の斉唱もなく、「別れ」の雰囲気は微塵もない。
むしろ、着飾った女子学生のファッションショーの華やかさ。
華やかだけど、感慨がない。
夜、ホテルで修了した院生の記念バーティ。
私は今まで出たことなかった(授業1コマしか担当してないので)が、今年度から職務上挨拶をするので出ないわけにはいかない。
十数人(それでも多い方)のM2の修了生と、教員とM1在学生のみの、こじんまりとした会。
終わりの頃、壇上にあげられ花束・記念品をもらった教員に向って、修了生一人一人が、順番に「お礼の言葉」というか2年間の感想を述べる。
述べていくにつれ、ほとんど全員が涙声となっていく。
院の2年間がそれだけたいへんで、
その苦労を乗り越えてこれたから。
この2倍の長さの学部生はこのような気持ちにならない。
あと、何人かの院生が同じことを言った。
「これほど自分に向き合えた2年間はなかった」と。
それは、自分の限界に直面して、迷い・苦しんだことを意味する。
たとえば、いったん就職して、院に入った人も、仕事に追われる生活にはない、自分と真剣に向き合う体験に、充実感をもったようだ。
なるほど、大学院にはこのような意味があるのか。
それなら心から言える、修了おめでとう!
本番の卒業式(大講堂で学長の祝辞やらの)は、学生にとっては起立・礼・着席を繰り返すだけの単調作業。
その後、学部学科に分れて、卒業証書の授与。
教員も一言づつ挨拶をする。
それが終われば、学生と個別に記念写真を撮るだけ。
高校までのような、歌の斉唱もなく、「別れ」の雰囲気は微塵もない。
むしろ、着飾った女子学生のファッションショーの華やかさ。
華やかだけど、感慨がない。
夜、ホテルで修了した院生の記念バーティ。
私は今まで出たことなかった(授業1コマしか担当してないので)が、今年度から職務上挨拶をするので出ないわけにはいかない。
十数人(それでも多い方)のM2の修了生と、教員とM1在学生のみの、こじんまりとした会。
終わりの頃、壇上にあげられ花束・記念品をもらった教員に向って、修了生一人一人が、順番に「お礼の言葉」というか2年間の感想を述べる。
述べていくにつれ、ほとんど全員が涙声となっていく。
院の2年間がそれだけたいへんで、
その苦労を乗り越えてこれたから。
この2倍の長さの学部生はこのような気持ちにならない。
あと、何人かの院生が同じことを言った。
「これほど自分に向き合えた2年間はなかった」と。
それは、自分の限界に直面して、迷い・苦しんだことを意味する。
たとえば、いったん就職して、院に入った人も、仕事に追われる生活にはない、自分と真剣に向き合う体験に、充実感をもったようだ。
なるほど、大学院にはこのような意味があるのか。
それなら心から言える、修了おめでとう!
