実家の氏神(正しくは鎮守)社たる諏方神社で「どんど焼き」をやるというので行ってみた。
(左ぎっちょの私としては、この行事を「左義長」と呼びたいが)
寒空の境内にいるのは、準備をしているハッピ姿の氏子連が数人、
あとはカメラを下げた見物客がまばら。
ちょっと寂しい風景。
焼かれる縁起物が集められた場所の前に神棚が置かれている。
まずは神事からということで、神官が2人やってきた。
私も見物客にまじってカメラを構える。
すると神官から、「写真は上座からは撮らないように」、
それと「祝詞の最中も撮らないように」との注意。
それを聞いて、第三者的視点で遠巻きに撮影するよりも、
この行事の当事者(氏子)として神事に参加する体験の方が、
ずっと意味があると判断し、カメラをしまう。
神事は、降神の儀からはじまり、けっこう丁寧に執り行なわれる。
その間、参列者はずっと立って、時たま(祝詞の最中)頭を下げるだけで、
寒空の中、じっとしているだけ。
といっても神事っておごそかな雰囲気が漂うので、
参列しているだけで心が洗われる(なぜか仏事ではそうならない)。
それに神官の最敬礼(直角礼)は、さすがに慣れているだけあって、
見事に直角になって形がきまっていると感心。
そして長い神事の最後として、氏子代表が持った紙に火打石で点火する儀式
(じっさいの点火はローソクの火を使う)の後、
火のついた紙を縁起物(可燃のみ)が集められた所に入れてどんど焼きが始まる。
そうなると神官に替わって、氏子連が動き出し、いろいろ準備を始める。
初めて参加するのでどうなるのかと見ていたら、「一列に並べ」といわれる。
気がつくと、境内には家族連れを中心に大勢集っている。
ぞろぞろと一列に並ぶと、行列の先頭では、餅が刺った長い竹竿が一人ずつ手渡されている。
つまり、どんど焼きの火に竹竿を伸ばして餅を焼くのだ(写真)。
更に、日本酒の一升瓶の蓋が開けられ、紙コップにお神酒が振る舞われる。
長い神事をじっと待っていた甲斐があった
(日本酒の瓶を見つけていたので、期待はしていた)。
配られた餅はつきたてということで、それが天然火で焼きたてとなり、やわらかくおいしい。
用意のいい人は海苔を家から持参しており、餅に巻いて食べている。
餅は1枚で充分だが、お神酒の方はもう少々ほしいので、飲み終えた紙コップをポケットに隠し、
そしらぬ顔で二杯目に手を出した。
(左ぎっちょの私としては、この行事を「左義長」と呼びたいが)
寒空の境内にいるのは、準備をしているハッピ姿の氏子連が数人、
あとはカメラを下げた見物客がまばら。
ちょっと寂しい風景。
焼かれる縁起物が集められた場所の前に神棚が置かれている。
まずは神事からということで、神官が2人やってきた。
私も見物客にまじってカメラを構える。
すると神官から、「写真は上座からは撮らないように」、
それと「祝詞の最中も撮らないように」との注意。
それを聞いて、第三者的視点で遠巻きに撮影するよりも、
この行事の当事者(氏子)として神事に参加する体験の方が、
ずっと意味があると判断し、カメラをしまう。
神事は、降神の儀からはじまり、けっこう丁寧に執り行なわれる。
その間、参列者はずっと立って、時たま(祝詞の最中)頭を下げるだけで、
寒空の中、じっとしているだけ。
といっても神事っておごそかな雰囲気が漂うので、
参列しているだけで心が洗われる(なぜか仏事ではそうならない)。
それに神官の最敬礼(直角礼)は、さすがに慣れているだけあって、
見事に直角になって形がきまっていると感心。
そして長い神事の最後として、氏子代表が持った紙に火打石で点火する儀式
(じっさいの点火はローソクの火を使う)の後、
火のついた紙を縁起物(可燃のみ)が集められた所に入れてどんど焼きが始まる。
そうなると神官に替わって、氏子連が動き出し、いろいろ準備を始める。
初めて参加するのでどうなるのかと見ていたら、「一列に並べ」といわれる。
気がつくと、境内には家族連れを中心に大勢集っている。
ぞろぞろと一列に並ぶと、行列の先頭では、餅が刺った長い竹竿が一人ずつ手渡されている。
つまり、どんど焼きの火に竹竿を伸ばして餅を焼くのだ(写真)。
更に、日本酒の一升瓶の蓋が開けられ、紙コップにお神酒が振る舞われる。
長い神事をじっと待っていた甲斐があった

(日本酒の瓶を見つけていたので、期待はしていた)。
配られた餅はつきたてということで、それが天然火で焼きたてとなり、やわらかくおいしい。
用意のいい人は海苔を家から持参しており、餅に巻いて食べている。
餅は1枚で充分だが、お神酒の方はもう少々ほしいので、飲み終えた紙コップをポケットに隠し、
そしらぬ顔で二杯目に手を出した。
