今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

ドローンの身になる

2015年06月03日 | 雑感

我がドローンもどき(マルチコプター:以後マルチコ)の操縦練習に励んでいる。

全自動の本物ドローンとちがって、マルチコは手動操縦なので、業務用ではなく完全な趣味のものだ。
操縦して自在に操る楽しさは、勝手に飛んで行く本物ドローンでは味わえない。
問題はその操縦技術が難しいこと。
といっても今までのminiヘリに比べればバランスがいいだけにかなり楽なので、なんとかなりそう。

超初心者の時は、機体の正面と自分(操縦者)の正面を同方向にして(操縦方向と運動方向が一致)、それでホバリングができたので、屋外デビューをして、機体を空に見失った。
機体の水平での向きが変化すると、もう操縦が混乱してしまった。

そこで、機体の水平の向きのいかんにかかわらず、自由に操縦できる必要を感じた。

だが、これが難しい。
たとえば、機体の向きが自分と向かい合わせの時は、前進後退、左右の移動の操縦が操縦者の視点とはすべて逆になる(前進は後退、左は右)。
さらに機体が自分と直角の向きの時は、操縦者の視野と前進後退と左右の移動が入れ替わる(機体が右向きの時は、前進は右、後退は左、そして機体が左向きの時は…)。

これらの4方向のそれぞれの変換式を頭に入れるだけでも混乱するのに、機体の向きが勝手に変化してしまうともう頭がパニック。

機体の向きを操縦者と同方向に固定すれば簡単だが、それでは前方についたカメラの撮影が制限される。
撮影するには、機体の正面を自在にして操縦したい。
それがドローン(マルチコ)の楽しみだからだ。

そこで思いついたのは、人間だけができるワザ。
自分が機体の身になることだ。
操縦者の視点ではなく、機体の視点で方向を判断すれば、前進はいつも前進ボタンでいい。
たとえ操縦者からは、それが右方向であっても 。
すなわち操縦者の視点を忘れて、ひたすら機体の視点を操縦者が取り入れる。
これは実際には、二重の視点になるので、その混在はどうしても整理する必要がある。

そこで、機体が右に行きたいときは、心の中で「右」と言語化することで、自然に作動する操縦者の視点(システム1)より、意識的に採用した機体の視点(システム2)を優位にして、その指令を動作化する。
言語による脳の支配力はかように強い。 

こうすることで、複雑な変換式をそのつど当てはめるよりは、ずっと直感的に操縦できるようになった。

これが人間だけができるワザというのは、他人の身(視点)になれる能力そのものだからだ。
この能力は、対象が人間である必要はない。
モノでも単なる空間でも可能(自分を天井から見下ろす視点)。 

 安永 浩(精神医学者)の理論で説明すると、本来の主体たる極自我と視点の立脚点である現象学的自極、この2者は通常は一致しているのだが、それを意識的に分離できるのが人間なのだ。