今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

お節を食べた体

2011年01月02日 | 生活
大晦日・元日と二日続きで、このブログが高アクセス
(gooの全ブログの上位1%以内)を記録した。
これも読者の皆さんのおかげです。

それにしても、つくづく関心するのは、自分の体。
余分に食べると、その分、よけいに出るようにできている。
昨日はお節と「のり塩」をふんだんに食べた結果
今日の”お通じ”は、午前中に3回(!通常は起床後に1回)、
さらに夜にも2回あった。
もちろん腹をこわしているわけでははく、いたって正常。
このメカニズムが作動している間は、太らないに違いない。

2日の今日も、屠蘇の儀の後、盛大にお節を食べ、
その後は wii party大会。

そして弟一家は、嫁さんの里帰りに出発。

元日をこう過した

2011年01月01日 | 歳時
元日の朝
本来なら元旦は鶏鳴で起床すべきなのだが、それは無理な生活環境なので、
自然な目覚めで起き、禊(みそぎ)の代わりに新湯(あらゆ)で湯垢離(ゆごり)をし、
特別な日用の絹の白い下帯(褌)をつける(昨日の大晦日は、イタリア風に”赤”ふん)。

白足袋を履き、着物に角帯を締め、袴をつけ、羽織をはおる。
腰には脇指代わりに鉄扇を差して、草履を履き、この地の鎮守・諏方神社に詣でる。
もちろん、手水(ちょうず)で手と口を清め、本殿前で、正しく「二礼二拍手一礼」で参拝する。
晴天が続きすぎたせいか、残念ながら富士見坂からの初富士は拝めなかった。
その足で、第二鎮守の八幡神社にも詣でる。

帰宅して、着物を脱ぎ、今度は直垂(ひたたれ)に装束を改める。
腰には鉄扇ではなく、白扇を差す。
最後に、烏帽子をかぶり、額の前で白帯を結ぶ。
この時ばかりは眼鏡をはずし、これで500年前の姿になった。

弟一家4名が来て、いよいよ元日の節会(せちえ)が始まる。
全員が着席したところで、先ずは、屠蘇の儀を”式三献”にて執り行なう。
雅楽・越天楽が流れ(室内のスピーカから)、厳かな雰囲気を高める。
烏帽子・直垂姿の私が、列席者の幼い順に恭(うやうや)しく盃に屠蘇を注ぐ。
三口で屠蘇を飲んだら、杯洗につけて次の者に盃を渡す。
それを三巡して三三九度(式三献)が終る。

雰囲気は一変し、子供たちにお年玉を渡す。
私は千代紙を小笠原流の「当座金子(きんす)包み」に折って、それをお年玉袋とした。
音楽を軽快な江戸囃子にかえて、獅子舞の人形に片手を入れて、
子供たちの頭をパクリとやる。

そして大皿に盛ったお節料理を、とっておきの日本酒を酌み交わしながら賞味。
BGMは箏曲「春の海」になっている。
私が一番好物にしている根菜の煮物類は毎年母の手作り。
蒲鉾は、長州・萩のものをあえて調達。
通常の品々の他に、家族の好みでサーモンやイクラも添える
(写真、写っている手は甥っ子の)。
この三が日だけは、酒を真っ昼間から飲むのを解禁している。

食は雑煮で締めて、その後は甥っ子が待ちに待った ”wii party”で遊ぶ.

また、湖池屋の「のり塩」(もちろんポテトチップス)の大袋を買って、
卓の中央に拡げ、皆でバリバリ食べる。
湖池屋の「のり塩」を無制限に食べるのも三が日だけ解禁している。

かくして元日は、飲食と遊び三昧で過ぎ行く。
「一年の計は元旦にあり」というが、こんな感じで一年すごせたら…。