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グレツキー ヘリテージ・カード NHL

これもグレツキーのコレクティブルの1つ。一般的にはヘリテージカードと呼ばれているシリーズの1枚だ。製造枚数はちょうど100枚。以前にも書いたことがあるが、グレツキーのものなら何でも欲しい、何が何でも集めたいというディープなコレクターが世界に100名程度いると言われていた。したがって、製造枚数が100枚以下になると、途端に入手が難しくなる。しかし2000年くらいからだと思うが、コレクティブル市場は、世界25枚限定…10枚限定…5枚限定とレアものの製造がエスカレートしてしまい、「全て集める」ということが100%不可能になってしまった。そのため、多くのコレクターが目標を失い、そのうちの何人かは収集そのものを止めてしまうという事態に陥ったと言われている。そんなことがあって、こうした100枚前後の製造枚数のものが数多く市場に出回るようになり、値崩れを起こすということになった。私がこれを入手したのは値崩れする随分前だったので、入手のためにそれなりに苦労したのを覚えている。こうした値崩れは、一方では入手しやすくなるという面で良いことではあるのだが、今までの苦労は何だったのかと思うとやや寂しい想いがするのも確かだ。
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テリー・オライリー スティック NHL  

NHLの名門ボストン・ブルーインズの元キャプテン、テリー・オライリーのスティックをあしらったコレクティブル。1971年にNHLデビュー後、85年に引退するまで一貫してブルーインズでプレーした典型的なフランチャイズ・プレーヤーだ。私はこのコレクティブルを入手するまで彼の名前を知らなかったのだが、地元を中心に絶大な人気を誇っていたようで、彼の背番号「24」は現在ブルーインズの永久欠番になっている。直接見たわけではないが、彼のプレー・スタイルはいわゆる「ラフ・プレー」だったらしい。彼の活躍した時期は70~80年代だが、華麗なスケーティングとパスを誇るグレツキーの登場は79年だ。グレツキーの登場で、アイスホッケーが徐々に変わっていったとはいえ、当時のNHLは、基本的には荒くれ者のラフなプレーを見て楽しむものだったのだろう。その頃ようやく安全のためにヘルメットをつけることが義務付けられたものの、ヘルメットなしでプレーして気概を見せることが喝采を浴びていたという。彼は、そうした時代のヒーローだったのではないかと思われる。
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フランク・セルピコ 洋服 NY警察

アル・パチーノ主演の映画「セルピコ」の主人公のモデルとなった実在の人物フランク・セルピコのコレクティブル。映画はニューヨーク警察の汚職や不正を自らの体を賭して戦った1人の警察官の話で、主演のアル・パチーノがゴールデン・クラブ賞主演男優賞を受賞するなど、当時かなり話題になった作品だ。この映画が実話を基にしていることは有名な話だが、いくら彼が英雄視される有名人とはいえ、その本人のコレクティブルが作られるというのはどうなのだろうか。あしらわれた彼の洋服は、いかにもフラワー・ジェネレーションのアメリカ人が好んだような「花柄」で面白い。
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グレツキー ナショナル 1998 NHL

これは、1998年にカナダで開催された「ナショナル」というカード・コレクターの世界大会の記念カードである。その世界大会の会場に入場し、ある特定の商品を買った人にだけ配られる特殊なもので、写真の左下のところに金色でそのことを示すインボイスが刻印されている。もちろん配られる時は、誰のカードか判らないようになっていて、お目当ての選手をもらえる確率は1%もない。このグレツキーのカードは正に「当たり」なのだ。オフィシャルなプライスガイドにも掲載されていないアイテムなので、どのくらいの価値があるものかは判らない。このカードは、私の記憶では10枚しか作られなかったレアなものなのだが、そもそもこうしたものまで集めようという需要が少ないので、思ったよりは手に入り易いように思われる。
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グレツキー&リーチ パック NHL

グレツキーの90年代後半のNYレンジャースへの移籍は、すでに紹介したように、かつての盟友メシエとの再会という意味で歴史的出来事だった。伝説的なグレツキーとメシエのコンビをもう一度この目でみられるという思いがNHLファンを熱狂させた。さらに、グレツキーのNY移籍は、もちろん意図されたものではないが、アメリカ最大の都市NYの関心をNHLに向けさせるというNHLのマーケティング戦略上も画期的な意味合いを合わせ持っていた。グレツキーがロサンジェルスに移籍したときに、アメリカ全体がNHLに熱狂したのと同様、グレツキーのNY移籍はアメリカでのNHL人気の定着を確認する一大イベントだった。そしてさらに、もうひとつ、私自身が当時思ったのは、NYレンジャースというチームがこれからどうなるのかということだった。当時、レンジャースには、ブライアン・リーチという現役最高のディフェンスマンという評価の高かった選手がいた。それにキャプテンは当代最高のキャプテンと言われたメシエ、更にはマイク・リクターという名ゴールキーパーがいた。そこに、全盛期は過ぎたとはいえ、相変わらず傑出したプレーをみせていたグレツキーの移籍。当然ながらどのようなチームができるのかという期待が高まったのである。ここで紹介しているカードは、左右にリーチとグレツキーというディフェンス・オフェンスの両雄の写真、中央にNHLの試合で使用されたパックを配したクレクティブルである。この両雄の出会いが何をもたらしてくれるのか、そうした期待が溢れたような1枚である。結果的に「マンハッタン計画」とも呼ばれたこのスター軍団は、大きな成果を残すことなく瓦解していく。この1枚にそれを暗示するようなものは何もない。コレクターはこうした1枚を眺めながら、そうした歴史に思いをよせるのである。
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グレツキー POG NHL

これも私のグレツキー・コレクションの1つ。アメリカDでは「POG」と呼ばれているコレクターアイテムの一種だ。材質は厚い紙で、ちょうど日本のメンコのような大きさ、形をしている。ここには4枚しか写していないが、実際は20種類近くある。POGと呼ばれていると書いたが、これが何なのか、そもそもどのように使うのか、あるいは使わずにただ集めるだけのものなのか、私にはよく判らない。メンコに似ていると書いたが、メンコのように使うのかもしれない。あるいは、昔小学生の頃に「牛乳瓶のふた」を集めるのが流行ったが、ちょうど形も大きさも似ているので、そうしたものなのかも知れない。これも、正式なクレクター雑誌には載っていないアイテムなので、私が持っているもので全てなのか、もっと種類があるその一部なのかも判らない。ただし、小さい割には印刷も丁寧で、金箔等が使われていて、非常に美しい。
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グレツキー 1982 TOPPS NHL

これもグレツキーのオイラーズ時代のコレクティブルである。製造元はTOPPS社という正式なカード製作会社だが、当時、年に1度製造されていたものとは違うバージョンのグレツキーだけの特殊なシールだ。全体的に縦と横の長さが少し小さめで、縦横の長さの割合が通常のカードと少し違っているが、このシールの最大の特徴は4種類のシールがワンセットなっていて、それらを全部集めないと1枚の写真が出来上がらないことだ。コレクターの心理を利用して、あと2枚、あと1枚と集めたくなるように工夫されている。入手したいセットがあってもあと1枚がなかなか入手できないというのは良くあることだ。手っ取り早いのは誰かが集めたセットを一度に入手する方法で、これもそうして入手した。そもそもこれがどこでどのように売り出され、配布されたものなのか、私にはそうした情報がないのでわからない。公式なオイラーズ時代のカードを全部集め終えても、見たことがないものを見つけると入手したくなる。かくしてコレクションは終わらない。
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グレツキー マクドナルド 1983 NHL

グレツキーのオイラーズ時代のカードをコンプリートしたと言っても、それは公式のプライスガイドに掲載されているカードを全て集めたということであり、実際には、何かの催しだけのために作られた非公式のカードなども、かなり存在する。なかには、本人の承諾なしに作られた海賊版や、有名なカードの偽造品などもある。コンプリートを果たした後は、公式カードを全部集めるほどの熱心さはなくなったものの、そうした非公式のカードの存在を知ると、やはりそれを欲しくなる。このカードは、そうした非公式カードの中の1枚である。マクドナルドのおまけだということはわかっているが、どのように配布されたのかなどはよくわからないし、オフィシャルなガイドブックに載っていないアイテムなので、製造枚数とか、どのくらいの値段で取引されているかなども判らない。
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グレツキー 3rd year NHL

グレツキーのRCカード、2年目のカードはすでに紹介済みだが、これは3年目のカードである。当時は1年間に1選手につき1種類のカードが製造されるのが基本だったが、その選手が最多ポイント、最多得点、MVPなどの賞を獲得すると、翌年にそれを記念したカードが作られていた。そのため、ある選手が色々な賞を獲得するとその次の年にその選手のカードが数種類作られることになる。グレツキーの場合、ルーキーの時からそうした記念カードがいくつも製造されたため、グレツキーのカードをコンプリート(全て集める)するためには、2年目、3年目あたりの記念カードを全てちゃんと集められるかどうかがポイントになる。私の場合は、幸運なことにカナダのかなり年配のディーラーと親しくなり、私のグレツキーのカードをコンプリートしたいという目標を知って、かなり親身になって協力してくれた。このカードも彼から譲り受けたものである。当時は、コンプリートできたら、お礼に彼を日本に招待したいと思っていた。もう10年以上前のことだ。しかし、最後のメールのやり取りで「もう引退だ」と連絡してきてそのまま音信が途絶えてしまった。今彼はどうしているのかと時々懐かしくなる。とにかく私がグレツキーのオイラーズ時代のカードをコンプリートできたのは彼のおかげだ。本当に懐かしい1枚である。
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ネットの炎上力 蜷川真夫

独自のニュース・サイトを運営する会社の代表者によって書かれた本書。世の中により良いサービスを届けたいという理想と現実の葛藤のようなものが随所に感じられ、これまでに読んだIT解説の本とはかなり違う面白さがある本だ。題名に「炎上」という言葉が使われているが、内容は「炎上」と関係ある部分は一部で、多くはネット・ニュースにまつわる話題・事件についての幅広い解説となっている。ネット・ニュースのいろいろな事件の経緯が、書き込み・コメントをそのまま印刷したような形で再現する形式で紹介されているところもあり、その事件を追体験出来るように工夫されている。
 本書の内容については、そうしたネット・ニュースに関わるいろいろな事件を取り上げた部分も十分面白いのだが、本書で最も面白いのは、著者のこれまでの経験から語られるネットニュースという新しいビジネスモデルがビジネスとして成り立つようになるまでの苦労話の部分だ。読んでいると、著者の経験談の中にこそネット・ニュースの可能性のようなものが感じられる。(「ネットの炎上力)蜷川真夫、文春新書)
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グレツキー オー・カナダ NHL

グレツキーのカード。「オー・カナダ」(カナダの国歌)というカナダ出身の選手だけで構成されたシリーズの1枚だ。このカードは1000枚作成されており、特に珍しいというほどのものではないが、とにかくそのデザインの美しさが際立っている。カナダ国旗の白と赤にレンジャースの青という3色が程よく配置されているし、しかもグレツキーの写真が大きいことがファンにとっては堪えられない魅力だ。このシリーズが製作された時期は、まだユニフォームなどを織り込んだいわゆるメモラビラ・カードといったものがほとんどなく、コレクターはそのデザインと製作枚数の希少性を求めて収集していた。なお、このカードはよく見ると長方形ではなく、縁が丸くなったような特殊な形をしている。こうした処理をしたカードは「ダイカット」版と呼ばれ、特殊なものであることが強調されていた。このカードは、製作された時期に流行っていた様々な要素を全て盛り込んだような、メモラビラ全盛になる直前の傑作だと私は思う。
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グレツキー ゴールドチーム NHL

「ゴールドチーム」というネームが付けられた全体が金色に輝く「グレツキーのカードである。なんという印刷方法だったかは忘れてしまったが、写真のようでありながら見る角度によって表面の光り方が違う印刷の美しさが、このカードが発売された当初は大いに話題になった。とにかく美しいの一言で、見ていて飽きない。このカードも、例によって、何が入っているか判らない形で売り出され、何百個に1枚(しかもそれがグレツキーとは限らない)という割合で出てくるというレアなもので、今から考えるとかなりの値段で取引されていた。ただ、この印刷方法を売り物にしていたこのカードの製造会社は、その後のメモラビラ中心になっていくコレクターの嗜好についていくことができず、現在は姿を消し、他のメーカーに吸収されてしまっている。1990年代後半以降のコレクターの嗜好の変化を思い起こさせる1枚である。
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グレツキー キングス移籍 NHL

これはグレツキーがエドモントンというカナダのチームからロサンゼルスへの移籍を発表した記者会見の時の写真が使われたカードである。グレツキーがロサンゼルスのユニフォームと一緒に写っている最初の写真ということで、極めて有名な1枚だ。グレツキーのロス移籍はNHL史上の大事件だった。そもそもカナダという国はアメリカという超大国と隣り合わせの位置にあるという宿命を負った国だ。「メキシコの最大の悲劇はアメリカの隣にあること」というジョークがあるくらい、超大国アメリカに隣接している国にとって、そのことが様々な面で問題を引き起こす。アメリカと隣り合わせというデメリットが、アメリカという巨大市場へのアクセスが容易であるというメリットとどちらが大きいか、これは大変難しい問題だ。当時は、グレツキーがアメリカに行ってしまうということが、「良いものは皆カナダからアメリカへ流出してしまう」という現象の1つとして問題視された。有名な話だが、国会でも取り上げられたという。ところが、長期的にみた場合、グレツキーのロス移籍は、そうした文脈とは全く違った影響をNHLにもたらした。まず、アメリカでのNHLの人気が急上昇し、アメリカ国内に次々とNHLのチームが創設された。今では1年中温かくそれまでウインタースポーツと無縁に近かったフロリダ州にさえ、アイスホッケーのNHLチームがあるほどだ。現在のアイスホッケーの北米全体に及ぶ人気は、グレツキーのロス移籍によって可能になったと言ってよいだろう。グレツキーの移籍とアメリカ国内でのエキスパンションとの関係を明示的に示す証拠はないが、グレツキーがアメリカのチームに移籍したことが背景にあることは間違いない。それから、アメリカでの人気が高まると当然、市場の大きなアメリカのチームのほうが試合などによる興行収入が多く入ることになり、年棒の高額なスター選手がこぞってアメリカに移籍していくこととなった。カナダのチームの中には本拠地をアメリカへ移すところさえ現れた。こうしたカナダにとっての危機的な動きも、その端緒はグレツキーのロス移籍にあると言ってよいだろう。このカードはそうしたNHLのここ20年の歴史を想起させる貴重な1枚なのだ。
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ウェイン・グレツキー チームピナクル NHL

これはコレクティブルではなくただのカードであるが、私のグレツキー関連コレクションの中でも特に美しく気に入っているものの1つなので紹介する。これは今は倒産してしまったと思うが「ピナクル社」という会社が製作した「チーム・ピナクル」というシリーズのカードの1枚である。見る方向によって光り方が変化する「ピナクル社」独自の印刷方法で印刷されており、しかも金色であることから大変美しく輝いて見える。使われている写真は、グレツキーがNYレンジャースと契約した時の記者会見の時の写真で、ついに「グレート・ワン」がアメリカ最大の都市ニューヨークのチームにやってきたという記念すべきショットである。NYレンジャースのキャプテンは、グレツキーのオイラーズ時代の盟友マーク・メシエで、メシエ・グレツキーのコンビ復活ということでNHLファンが熱狂した。
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ウェイン・グレツキー パック NHL

グレツキーに関しては、サイン、ジャージ、スティック、RCなど様々なものを紹介してきたが、これは、グレツキー選手が1999年の引退した年に発売されたコレクティブルの1つである。但し、NHLの公式戦で使われたパックということになるが、グレツキーがその試合に出場していたかどうかは定かではないので、グレツキーのコレクティブルと呼ぶのがふさわしいかどうかは微妙なところだろう。なお、これも1999年の彼が引退した際に記念に製作されたシリーズの中の1枚である。
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