鎌倉観光 その十二
鎌倉には戦さの時、外敵の侵入を防ぐため、街道に作られた切通しが何ヶ所かあったらしい。
鎌倉七口という。
岩山などを切り開いて道を作る時、ワザと道幅を狭いままにして、一度に大勢の兵士が通れないようにした守りの要衝。
建長寺から次の目的地、銭洗弁財天まで歩く間にその内のふたつがあったので通る事ができた。
建長寺と銭洗弁財天を最短距離で結ぶ大きな道はない為、山手の住宅地の細い道に入り、ふたつ小さな山を越えていくことになる。
建長寺から北へ少し行くと左手に長壽寺があり、その手前に路地が奥へと延びている。
なかなかの坂道。
ここが鎌倉七口のひとつ「亀ヶ谷坂」。
残念ながら今は車も通れるただの道になっていたが、その上り下りの急勾配と切り立つ法面に当時の姿を想像することができると思う。
山を下った後、JR横須賀線を潜りふたつ目の山へ。
源氏山公園へと繋がる坂道に次の切通しはあった。
こちらは「化粧坂」という。
斜面に建つ住宅地の裏山みたいなところにある。
車は通れない。
舗装もされておらず、山道と同じである。
ただ舗装が途切れてから登り切るまで、険しい部分の距離は100mも無いだろう。
こちらはだいぶ当時の面影を残している。
でもガイドブックか何かの写真で得た私の持つ切通しのイメージとは違い、ただの山道な感じ。
黒土が階段状に固まり、別の観点で面白い眺めの道だった。
人が通行しにくければそれで用を成すのだろう。
硬い地面の上に砂利が乗っているところとかあり、ずるりとすべり危険である。
街で履く靴で歩く時は要注意である。
登り切ると源氏山公園の遊歩道で史跡が近くにあり、観光客が再び多くなる。
銭洗弁財天まで、歩いて少しだった。
鎌倉には戦さの時、外敵の侵入を防ぐため、街道に作られた切通しが何ヶ所かあったらしい。
鎌倉七口という。
岩山などを切り開いて道を作る時、ワザと道幅を狭いままにして、一度に大勢の兵士が通れないようにした守りの要衝。
建長寺から次の目的地、銭洗弁財天まで歩く間にその内のふたつがあったので通る事ができた。
建長寺と銭洗弁財天を最短距離で結ぶ大きな道はない為、山手の住宅地の細い道に入り、ふたつ小さな山を越えていくことになる。
建長寺から北へ少し行くと左手に長壽寺があり、その手前に路地が奥へと延びている。
なかなかの坂道。
ここが鎌倉七口のひとつ「亀ヶ谷坂」。
残念ながら今は車も通れるただの道になっていたが、その上り下りの急勾配と切り立つ法面に当時の姿を想像することができると思う。
山を下った後、JR横須賀線を潜りふたつ目の山へ。
源氏山公園へと繋がる坂道に次の切通しはあった。
こちらは「化粧坂」という。
斜面に建つ住宅地の裏山みたいなところにある。
車は通れない。
舗装もされておらず、山道と同じである。
ただ舗装が途切れてから登り切るまで、険しい部分の距離は100mも無いだろう。
こちらはだいぶ当時の面影を残している。
でもガイドブックか何かの写真で得た私の持つ切通しのイメージとは違い、ただの山道な感じ。
黒土が階段状に固まり、別の観点で面白い眺めの道だった。
人が通行しにくければそれで用を成すのだろう。
硬い地面の上に砂利が乗っているところとかあり、ずるりとすべり危険である。
街で履く靴で歩く時は要注意である。
登り切ると源氏山公園の遊歩道で史跡が近くにあり、観光客が再び多くなる。
銭洗弁財天まで、歩いて少しだった。