続きです~
首都高の下を通って江戸川橋の北側を水路跡を辿りながら歩きます。
この辺りは北側が崖で高く、水道道路跡は左右に蛇行しながら絶妙な位置取りがしてあります。
道路の北には寺院が沢山あります。
大日坂下交差点先に総合福祉センターがあります。
前には案内板。
左側拡大
右側拡大
センター入り口脇には白堀跡が保存してあり、中を見ることが出来ます。
中へお邪魔して、お茶休憩しました。
先へ歩いていくと、所々に旧町名の由来が書かれた立て看板があります。
牛天神下交差点の先を南へ進むと、
石垣が続きます。
石には「山」や「◇」の刻印が沢山見られます。
小石川後楽園の西門へ出ました。
左にあった石垣の説明板。
「山」の刻印は、岡山県の備中成羽藩主山崎家の刻印だったのです。
おっとの出身地なので、とても親しみが湧きました。
南側の緑道を歩いて、
東門へ出ました。
小石川後楽園は、江戸時代初期に水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式の日本庭園(大名庭園)。
名前の由来は、中国の岳陽楼記の「(仁人)は天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から付けられた。
小石川後楽園の紋章は、江戸徳川家の裏家紋ともいわれている六つ葉葵紋。
下見時には中に入らず、先へ進みます~
小石川橋。対岸へ渡って門の跡を探します。
橋の上から下流方向。
南詰めに案内板がありました。
江戸城跡と外堀の絵が書かれています。
隣の橋、後楽橋。
奥は東京ドーム、遊園地などがあり、人々が続々と向かっています。
私たちは、橋を右へ
川沿いに市兵衛河岸の案内板。
下には降りることが出来ません。
水道橋へ来ました。
水道橋の青銅版画が飾られています。
こんなモニュメントがあります。
微妙に高低差があるので、水が流される空間のようです。
ここから石碑がある場所へ向かいます~
続く
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