イカナゴの釘煮(くぎに)
6月29日は佃煮(つくだに)の日です~~
全国調理食品工業協同組合が制定しました。
日付は佃煮発祥の地とされる東京都佃島の住吉神社大祭が6月29日であることにちなみます。
東京都中央区に佃島がありあます~
佃煮はここで生まれました。
佃島で煮た物だから「佃煮」と言う様になったのです。
一方、大阪の西淀川区にも佃島があります。
しかも、島の形まで東京の佃島とそっくり。
実は、大阪の佃島の方が先輩なんです~~~
天正10年、本能寺の変により織田信長は自刃!
その時、徳川家康は大阪堺にいました。
信長死すの報を受けた家康は自らの危険を察知し、すぐさま居城のある岡崎(現愛知県岡崎市)に帰ろうとしましたが、
すでに京都は明智勢に押さえられ、帰路にあたる奈良街道も、明智の盟友筒井勢が押さえ、
陸路はすべて塞がれた状態にありました。
側近として仕えていた伊賀忍者の服部半蔵は、機転を利かせ海路脱出を図ります。
住吉・佃の漁師に船を出してもらえるよう依頼し、快く受けた佃の漁師たちは海路で家康を紀伊半島に
送り届けました。
また、漁師たちは帰路の道中にと、漁師の保存食「潮炊き」の小魚を分け与えたとか。
この「潮炊き」こそ佃煮のルーツであります~
伊賀忍者の先導とその潮炊きのおかげで、家康は無事帰りつき、その後は天下取りに邁進します。
また、佃の漁師たちとの交流も続き、大阪冬の陣、夏の陣においては、大阪城の出入り漁師に扮し、
大阪方の情報を徳川方に伝えていました。
この「潮炊き」がなければ家康は天下を取れなかったかもしれません。
関が原の戦い(1600年)を征した徳川家康はその3年後江戸に幕府を開きます。
そして御用漁師に佃の漁師を呼び寄せ、その後、今の佃島に住まわせたことから「佃煮」は
参勤交代に訪れる大名たちにより全国に広まって行きました。
そう~江戸幕府を開き~大阪の佃島の漁民達を遠く江戸へ招いたのは~ほかならぬ家康です。
その後、江戸前の新鮮な海の幸を幕府に献上するようになりました。
隅田川下流の中州を与えられた漁民達が数年に渡る大掛かりな整備を経て築島し、
故郷の名(佃島)をそのまま付けたチックな~~
歴史やな~~~ロマンやな~~~
今日は佃煮で~~~~一杯!&米!
ワカサギの甘露煮
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