最近、ドイツの文豪ヘルマン・ヘッセの「シッダルタ」を読んだ。昔読んだ時は難解で印象に残らなかった。が、今読み直して深く感動をうけた。
物語は、古代インド。釈迦(シッダルタ)が聖賢への道を選び修行を積むが悟りを得ることができずにいた。思うところがあり、俗界に下り、高い地位を得る。が、いまだ満たされることがない。老年に至り「川」の前に立つ。水の流れを見続け、見続け、そして見続け、最終の、悟りを得る。「シッダルタ」はヘッセ個人の精神的、思想的な苦悩と作風の変化を表しているとされる。発表は、1922年で、第一次世界大戦が終わり、ヨーロッパ文化、思想に疑問を抱き、東洋思想に救いをもとめていった、のように。
このようにすばらしい文学をその中にだけ留めず、作品を介して、現実の世界を見たい。少し、飛躍し、スケールも大きくなるが。
グローバル化は、世界の平和、発展への大きな流れである、とされる。EU設立は第二次世界大戦の反省に基づくものともいう。TPPは環太平洋の国々の発展のためだという。グローバルな自由経済は、世界の資源が適正配分されるという「貿易の比較優位論」が背景にあるようだ。一方で、国家間、国内での経済所得の格差、固有文化の喪失、などが副作用のように生じることもある。国内産業の構造改革は容易ではない。EUやアメリカなど先進国での反グローバル、保護主義の動きは理解できる。自由貿易と保護貿易は相いれないものなのか。統一はあるのか。歴史文化、宗教、習慣、・・・をもよく見なければいけない。
ヘッセの「シッダルタ」での「川」を、「現実世界」と読み替えてみる。本当によい姿は何なのか。その答は、現実を、よく見る、見続ける、そして得られるのではないだろうか。
さて、ヘッセの作品には高校生の頃、大きな影響を受けた。「シッダルタ」はこの1月から、ドイツ語の原書(Siddhartha)で読んでいるが1/3ほど進んだ。手塚富雄氏の素晴らしい日本語訳、ドイツ語の明確さと深み。日本語とドイツ語は違う。違いを理解して、一つの格調高い芸術作品を味読する。上記、グローバル化への課題の回答への糸口は、それぞれの違いをよく理解することではないでしょうか。
絵は、シッダルタが遊女「カマラ」に初めて出会うところ。
2017年2月10日 岩下賢治