ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

茅野・縄文尖石考古館を訪れる

2017年08月17日 | 日記

発掘された仮面のビーナス。顔の部分が逆三角形の仮面になっている。


 夏休みを利用して、長野県茅野市の尖石縄文考古館に行ってきた。観光施設としても通用するような立派な施設で、展示物など充実している。長野県は内陸部でありながら、縄文人が繁栄した地域で、各地に古代に関する施設が設営されている。
 今回、私なりに学んだことが、二つあった。
 一つは、相当大きな土器(口径40センチ、高さ80センチほど)の展示があったこと。一戸は小さなの掘建小屋なので、これほど大きな土器は、とても戸内では使えない。おそらく仮の屋根を葺いたであろう屋外の場所で、共同のカマドのもと、集落全体で食べる機会があり、長の何某がそれぞれ分け与える時に用いたのではないか。縄文土器は、通常、筒状で底の部分が尖っている。これは、火にかける時、下からではなく、横から熱を受けるためで、そうすると大きな土器は、中の食べ物を汲み取り出すことが難しく、食べる時になにか儀式めいた仕草があったにちがいない。
 第二は、人形の頭部分だけを折って埋められたと思われる制作物。人形だけでなく、用途の不明な焼き物で、意図的に壊された土器類が展示されていたこと。図像に示した仮面のビーナスの場合も、足が折られていた。これはいったい何を意味するのだろうか?
 勝手な解釈だが、トーテムが思い浮かぶ。アメリカの先住民は、それぞれ自分の分身である、実際の木とか秘密のトーテムを持っていたとされる。縄文の場合、死んだ時、このトーテムを死者とともに葬り、恐らく忌み嫌うため、破損させたのではないか。あるいは病気とか集団内である事象が起こったために、それを回避するため人形などの大切なものの部位を折り捨てたものではないか?
 私は専門家ではないから、思いつくままに書くのだが、何故、遥か彼方の、歴史から分断された縄文にこだわるのかと言えば、私たちは、弥生以降の稲作文明の慣習や気性に、今でも気付くことなく拘束されているのではないか。自然の変化にこだわる心性とか、祭りの習俗、家族介護、障害児に対する意識、皇族などを崇める気持ちなどなど、稲作文明の習俗が根底に潜んでいるのではないか、と感ずるからだ。そしてもっとも重要なことは、日本という共同体意識・国家意識が、この稲作文明の遺制なのではないか、と思うのだ。その共同体意識から脱皮するヒントが、ひょっとすると縄文文化にあるのではないか、と思うからである。

 どなたからでも教えを請うものである。

 ついでながら、この考古館で2006年に発行された「考古論文集」を購入した。全部目を通しているわけではないが、「縄文農耕論の行方」(勅使河原 彰)が、藤森栄一以来の問題提起を総括しながら、日本の土壌問題に触れていたのに興味が湧いた。論者は中学校の教師で、古墳の探求はこうした教師たちに負っていることが多い。【彬】

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