2~3月は梅の季節。4月の桜とともに、日本人に愛されている花である。ただ趣は違うと思う。桜は、華やか、艶やか、そして花見。酒宴がつきもの。梅は、質素、控えめ、花を見るより、香りを楽しむ。茶などを味わいながら。
茨城といえば梅が有名。素朴で控えめな県民性が、なにか梅のイメージに合うような気がする。茨城が梅で有名なのは水戸偕楽園の梅園からと想像するが、桜に慣れた眼には質素な庭園に見える。酒を楽しむ人はない。野点が開かれている。梅の木は古風な茶屋や茅葺の家の庭先にそれとなく立っている風景が、桜のよりも日本の原風景のように感じる。私の住む茨城には、まだ茅葺屋根の家がそこそこにある。私のマラソン練習コースの途中にも、茅葺屋根の家と梅の木がある。
平安時代の高名な歌人、西行法師の、私の好きな歌、
「ねがわくば 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ」
私には、満開の桜の怖いほどの美しさを詠んだものと思えばぴったりとする。梶井基次郎の「桜の樹の下には」のように。ところが如月は2月。梅の時期である。私にはこの花が梅として、どうもイメージが湧かない。桜、それもソメイヨシノのような華やかなのが合うと思うのだが、これは現代人、いや凡人の私の感性。
平安時代の桜はソメイヨシノのように派手は花ではなかっただろう。西行は冬から春への移り行く風情、美を、満月を背景に梅の花で印象を強く表現しようとしのたのであろうか。現代。花見といえば桜が主流。が、梅の花の控えめな風情、香をあらためて味わいたい。 2月25日 岩下賢治