ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

都民ファーストという空文句

2017年01月09日 | 日記

 日本スイセンが咲き始めています。


 豊洲や東京オリンピックの設備設営についての利権構造をあばきたてた小池知事の活動については支持を惜しみませんが、彼女が盛んに発する「都民ファースト」あるいは「都民目線」といったキャッチフレーズには、いささか違和感を覚えるので、はっきりさせておこうと思います。
 まず「都民」というのをどう規定しているのかが問題です。都内に住民登録している人を都民というのでしたら、近郊から都区内に来て、東京都の経済や各種文化事業に従事している人達をなんと言えばよいのでしょうか?この人たちは「都民」ではないのでしょうか。住民税を払わないからとか、選挙権がないからといって、こうした東京に大きく関与をしている人たちを「都民」から外してしまっては行政はなりたたないと思います。埼玉県人でありながら、東京都の職員もいるでしょう。つまりと東京という巨大な都市の坩堝で生計を営んでいる人は多種多様で一概に限定できないのです。都市というのはもともと流動の激しいところで、それこそが都市の都市たる所以なのです。中でも東京は世界に類例を見ないメガロポリスですから、これを都民などという地方行政用語で括ってしまっては、元も子もありません。
 具体的に見てみましょう。最近話題の待機児童の問題。少子高齢化だというのに、都内ではなぜ保育園にまともに入れないのでしょうか? それは、子ずれの若夫婦が職を求めて都心になだれ込んでくるからです。ところが都区内では先年まで子どもが少なく閉校するところが多かったのです。
 外国人の観光客が増え、民泊の問題はどうなのでしょう。住民が嫌う民泊を都民ファーストだからと締め出せばよいのでしょうか。
 通勤時はおろか、渋谷、新宿、池袋のターミナル駅の終日の混雑をどうするのでしょうか? JRや交通各社に任せておけばよいのでしょうか。
 このように、東京都の行政は都民のためではありません。東京という特殊な都市の、地域・空間のための行政です。このことを忘れるべきではありません。

 おそらく、知事がこうした言辞を振りまくのは、国家主権に対する主権在民という理念を、地方行政にまで敷衍しているからなのだろうと思います。しかし、国家と地方では、権力の位相がまったく異なっていて、この違いに対する知見をなくしては、都市の将来像を求めることはできません。都市は国家がなくとも栄えることができます。また、国家があっても衰退することがあります。ローマや敦煌が衰退したのはなぜでしょうか。また、メガロボリスはヨーロッパにはありません。あるのは北米と日本や中国などアジアです。選挙で選ばれたからといって、国家と同じように行政権を振舞っているのだとしたら、大きな禍根を残します。国家と地方自治体、あるいは都市の違いについては難しすぎ、私の手に負える問題ではありませんが、指摘だけはしておきたいと思うのです。【彬】

 

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