ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

気になる言葉遣い

2022年11月13日 | 日記

                              次郎柿

 言葉は時代と共に変わる、と言います。漱石や鴎外などの作品を読んでいると、時々変な言葉遣いに出会うのものだ。日本語が標準語として洗練されていく過程で、こうした変化は当然に出てくる。
 自身を封建主義者として独特な主張を繰り返している呉智英さんは、すべからく(須く)は否定の接頭語なのに、これを総てと誤解し、肯定的に使う人士がいると、たびあるごとに罵倒していた。以前にも触れたことがあるが、檄を飛ばすという言い方も同様である。遠くにいる同士に向かって賛同を得るための文書を檄と言うのだが、今では叱咤激励のことだと勘違いしていて、味方を鼓舞する用語として、スポーツ番組などでは相変わらず使っている。「檄」と「激」を混ぜこぜにしているのである。
 以上のことは、漢字の誤用だが、こうした表現が今後、定着していくのだろうか。

 書き言葉以外のところでも、最近、気になることが色々とある。
 コンビニにいくと、「いらっしゃいませ、お客さま。こんにちは。」と声高に言われる。しかし、この言い方は変だ。何が変か。語順が変だ。「いらっしゃいませ」には、特定の来客者への挨拶が含まれているはずである。その暗黙の人称を、あらためて、後からつけるから変な感じになる。本来、いらっしゃいませ、だけで言葉は完結しているのだ。しかも、その上に、「こんにちは」までつける。「こんにちは」は時候のあいさつである。語頭につく言葉である。それが最後にくるから変なのである。だから「こんにちは、いらっしゃいませ」となるべきなのである。
 次に買い物を済ませ、レジで千円札を出すと、「千円からお預かりします」と言う。変だ。「千円をお預かりしました。そこから頂きます」となるべきだ。こんな変な言葉が一般化したのは、誰か無知な人が、丁寧な消費者対応だとして指導したからに違いない。
 テレビでの表現でも気になることがある。インタビューを受けてた人が、出演ありがとうと言われると、同じようにありがとうと返す。明らかにおかしい。感謝されているのだから、その受け手は普通なら「どういたしまして」とか「いやいや」となるはずである。こうした表現を知識人であるはずのテレビ出演者が堂々と述べているのである。
 それから、店内でのこと。例えば飲食店、店員がサービスとして「お茶はいかがですか」と尋ねると、お客が「だいじょうぶです」と答える。何がだいじょうぶ、なのか。また店員を呼ぶにに、「すみません」という。何がすまないのか。声がけの便利な表現なのだろう。でも用件をはっきり言って、「注文します」「お茶をください」「テーブルが汚れています」などと言えば良いのだ。
 「すみません」とか「だいじょうぶ」などというのは便利な言葉だが、その濫用が気になる。【彬】

 

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