松ぼっくりと柿のヘタ
今さらデジタル社会とは何か、などという問題設定はあまりに呆けすぎているが、最近の現金決済の不便さを思うと何かをいっておきたい気がする。
私の財布には1円や5円玉がゴロゴロしている。小銭は持ち歩くのも不便だから家に置いておく。貯まる一方である。消費税が加算されるようになって小銭が増えた。カード決済ではなく、現金払いをしているからである。また一方で、スマホなどでの手続きが面倒くさく、読み取りコードなど使ったことがない。デジタル社会に乗れきれない高齢者は、不平不満いっぱいである。
昔、今から4,50年前のことだが、デパートなどで店専用カードで決済をすると割引になった時代があった。商システムとしてカードの普及を目的にした特別扱いだと思っていたが、現金で買うより後日払のカード決済の方が安いという理屈が理解できなかった。カードというのは割賦販売と同じ後払いだから、むしろ高くなって当然だと思ったのである。今考えるとカード決済はデパートにおける会計業務の縮小、廃止だから、人件費の大幅な削減につながる。確認はしていないが、その分、安くなるという仕組みではなかったか。
これが、すなわちデジタル社会の始まりだと思う。
デジタル化は社会の動きを一変させる。それまで最も大切だったフェース・ツウ・フェースの手続きで支えていた社会通念を、不要のものにしたのである。ネット通販などは典型的である。また、今関心を呼んでいるマイナンバーカードについても同じである。アナログ社会では各種証明書が必要だった。身分証明書、運転免許証、学生証、健康保険証などなど。ところがマイナンバーでデジタル化すれば、暗証番号=パスワードに相当する数記号で一元化できる。それによって行政手続きは一気に簡便化できる。
デジタル社会は従来の仕組みを根本から変換する。この変化に対応できないのは、旧弊に染まった私のような高齢者だが、その変化は時代の変化であり、技術発展の成果でもあるので、ただただ付いていくほかはない。【彬】