旅に出ると、「朝の散歩」を予定に入れるゆきたんくである。
これは、ツアーであっても他人に迷惑をかけることがないからである。
ツアーでは単独行動は許されない。
朝早くならば、出発時間までは自由時間と同じだ。
そう、旅先でのゆきたんくの予定は早朝の散歩から始まるのである。
これは国内旅行でも海外旅行(治安にもよるが)でも変わりはない。
この日の日の時時刻は5時22分。5時20分に出発だ…萩グランドホテル天空 → Map
昨晩、ホテルのフロントでいただいた散策地図を頼りに歩く。
ホテルの一番近くにある史跡は長州藩の牢獄として有名な「野山獄・岩倉獄跡」である。
市指定史跡の解説板より
1645(正保2年)年9月17日の夜、藩士岩倉孫兵衛(大組禄高200石)は酒に酔って口を隔てた西隣の藩士道路の反対側に屋敷がある大組藩士野山六右衛門(大組禄高200石)の家に切り込み、家族を殺傷した。この事件のため、岩倉は死刑となり、両家とも取り潰され、屋敷は藩の獄になった。
野山獄は上牢として士分の者の収容を、岩倉獄は下牢として庶民を収容した。
なお、現在の指定地は獄の一部分である。
幕末、吉田松陰は海外渡航に失敗したのち野山獄に、その従者金子重之助(重輔)は岩倉獄に投ぜられた。松陰はここで仲間の囚人を教化するという前例のない教育活動を行っている。
野山獄はまた維新前夜の藩内構想の中で、正義派(革新派)・俗論派(保守派)双方の藩士が投ぜられ、処刑された場所でもある。
歩きで時間も7時までにホテルに戻るということで、次に近い場所選ぶ。
次は「旧萩藩御船倉」である。
旧萩藩御船倉 → Map
国指定史跡 「旧萩藩御船蔵」の解説板より
御船蔵は、藩主の御座船を格納した場所である。慶弔13年(1608)に萩城築城後、まもなく建てられたと思わせれる。構造は両側と奥に玄武岩で壁築き、上部に瓦屋根を葺き、全面は木製扉を有している。大きさは桁行26.9m、梁間8.8m、高さ8.8m、石壁の厚さは6mである。現在は、明治以後の埋め立てのため河岸から離れた所になったが、往時は松本川に面して船が自由に出入りできる場所であった。
その他、旧家や「花 燃ゆ」の舞台となった海岸など見何処がたくさんあった。
なまこ壁の美しい、「旧山村家住宅」
「花 燃ゆ」の舞台となった「菊が浜」
さあて情報が頭の中で散らかっていてまとめきれない。
拙サイト幸たんくの旅たんくにアップするまでにはまとまるだろう。