伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

旅の楽しみ57…東京・泉岳寺

2009-03-16 23:26:53 | 

 東京港区高輪に泉岳寺(1枚目の写真)という寺がある。

 知る人ぞ知る赤穂四十七士の墓があるところだ。
義人とされる大石内蔵助と息子の主税の墓は大きめに、他の士は「刃」の字が刻まれた石塔婆のような形で眠っている。

 「刃」の字が刻まれているということは、「自刃(じじん)」つまり切腹をしたということだ。

 主君のために我慢を重ね、時には自分を偽り他人に罵られても信念を曲げなかった大石内蔵助は時代劇には欠かせないヒーローである。
主君 浅野内匠頭の墓である。


赤穂四十七士記念館

このようなものまで出来ているが、仇敵「吉良上野介」は悪者なのか。

愛知県に吉良町(きらちょう)と言う町がある。ここでは吉良さんと呼ばれて親しまれているとか。

 庶民のことを考えた名君であったという。
 塩田を作ったり、干拓事業をしたり、赤馬に乗って庶民と気軽に話をしたともいう。

浅野をいじめていたのか・・・。

物事の見方一つで、良し悪しの逆転というのもある。
立つ位置の違いもある。

しかし、残念ながら吉良さんを名君にしたらドラマは成り立たない。

泉岳寺

 


大石良雄等自刃の跡
泉岳寺から北北西に300m程の所に建っている。

大石義男等自刃の跡
自刃の跡の地図

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市川の戦争遺跡02…陸軍境界標柱(共存)

2009-03-15 22:34:53 | 戦争遺跡

 今日は夕方になる前に時間が空いたので、以前市川市のフォーラムの方に案内していただいた場所のおさらいに行った。たまには行かないと忘れてしまうからである。

 そして先日載せた「市川の…01」での陸軍の大井戸がどうなっているか気になったので出かけたのである。

 陸軍の大井戸はまだ健在であった。ただ、道なりに先の方に当たる部分がだいぶ工事の手が入ってきているので心配ではある。

 さて、その後国立国府台病院近くに赴く。

 旧陸軍国府台教導団の東練兵場跡になるのだろう。
 そこに民家の塀と仲良くしている陸軍の境界標柱がある。

 一枚目の写真だと、壁の前に普通に立っている標柱に見える。

しかし次の一枚を見ると・・・



民家の壁と仲のよい境界標柱

それも誰も知らないような場所ではなく・・・


このように道路から近い場所だ。

 家を建てる時に、こういう標柱は邪魔なので抜かれることもあるが、このような形でも戦争遺跡の保存につながると嬉しいものだ。

 民家の脇であるので地図は載せません、悪しからずm(__)m

 

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旅の楽しみ56…鳥取県、鳥取砂丘

2009-03-14 23:10:17 | 

 なんと夜空のお月様の裏側は通常見えないという。
いつも見える側を常に地球に向けているからだ。

 そう、旅行雑誌に載る写真もいつも一方向だ。

 と言うわけで、今回は2004年夏の鳥取から。

 鳥取と言えば鳥取砂丘が有名だ。
 島根の旅のオプションとして鳥取に行くことにした。
 そして目指したのが鳥取砂丘。

 通常であれば1枚目の写真が、旅行雑誌によく使われている、通称「馬の背」だ。

 これではつまらないので裏側のご紹介だ。
 裏側は日本海とご対面になる。


横から見ると、結構急な角度だ。
調べたけれど名前の分からない島が向こうに見える


波打ち際まで行った、ゆきたんくの長男と次男
喧嘩ではなく、一方的な兄貴のかわいがりだ。


波打ち際で見た日本海
とてもきれいではないか

旅行というのは、本で見るものでなく、実際に行くものなんだねぇ。

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へぇ、そうなんだ。

2009-03-13 23:00:24 | 言いたんく

流山市は平方にある平方観音を取材していた時のことだ。

境内で写真を撮っていた時に、軽トラックが近くに止まった。

中からは品の良い女性が出てきた。

境内を掃除する方のようだ。

一通り仕事が終わったようなので、平方観音について聞いてみた。
何しろ数百年に一度ご開帳というような由緒ある観音様だと聞いていたからだ。

女性は丁寧に説明してくれた。

しかし、ゆきたんくの頭の中に残ったのは境内脇の石碑石像群のことだ。

「ここの石碑は、台座がなくて直接土の上に立っています。このようなのは流山市ではここだけなんですよ。」

 ゆきたんくも様々な神社や仏閣を見てきたが、台座のことはあまり考えたことがなかった。

 写真を見ると何か心もとない感じがする。

 


平方観音の本堂(右側のお堂)


上写真、左側のお堂にあった小さなたぬき

 平方観音

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松戸の戦争遺跡12…岩瀬の境界標柱

2009-03-12 23:20:40 | 戦争遺跡

 千葉県松戸市の松戸駅の東側には相模台という高台がある。
そこにはかつて、陸軍工兵学校というエリート兵を養成する学校があった。

 その場所は今では文教地区になっている。
 大学、小学校、中学校、そして千葉地方検察庁、千葉地方裁判所、松戸拘置所などの公的な機関が建っている。

 今回紹介する境界標柱(だと思う)は「陸軍」の文字を読み取ることはできなかった。材質や大きさが陸軍境界標柱と同じようだ。


これは境界標柱を背にして見える景色

向こうのほうに高台が見えるだろう。
これは、松戸市立第一中学校で松戸工兵学校の建物が建っていた場所である。

そして手前にあるのが低地の部分だ。
そこらの道を徘徊しているうちに見つけたのが次の階段だ。


この階段を上ると、境界標柱のそばに出るのだ

 この土地の近くには鉄道第二連隊の軌道敷跡があったり、公的な建物跡があったりするので、陸軍関係者の住まいがあった可能性もある。

 それであれば、この境界標柱の存在意味もあると思う。

 場所の掲載は、この境界標柱が民家の塀についているものなので遠慮する。

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不吉…アンサーソング

2009-03-11 23:04:55 | 言いたんく

昨日は出勤痔に見た東の空の雲について書いた。

今日は西の空だ。

今日も夕方からは、冷えて寒くなった。

空は暑い雲で覆われていた。

その雲が切れて来た時のことだ。

西の空に吸い込まれていくように消えてい雲。


昨日の逆を見ているような形。

しかし、手いるうちにホッとした。


小さい範囲だが見ることができた夕焼け

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不吉

2009-03-10 23:44:06 | 言いたんく

それは、出勤時の出来事だった。

いつものように流山街道を北上していた時のことである。

進行方向右(東)の空の感じが変だと感じたのだ。

信号で止まって右を見ると、おどろおどろしいばかりに雲が広がっていた。

それは東の空から西の空に向かって一反木綿が飛んでいるようでもあった。


一反木綿(水木しげるロード…鳥取県境港市)

ゆきたんくの住んでいる関東地方も、関東大震災なみの地震が起こると言われてはや(はやくないか・・・)80年を超えている。いつ地震が起こってもおかしくない。

 そして地震雲という雲もあるという。そういうことには詳しくないゆきたんくも、普段と違う形の雲を見れば、うがった見方をしてしまうのだ。

 雲を見ながら運転をすれば自己につながるので、次の停車まで我慢して運転した。東の空が気になる・・・。

 そして次のシャッターチャンスの時に、全体の様子がわかる写真が撮れた。


左右対称に近い状態に撮れた写真
いったい、この雲は何だったのだろうか

結局、その日には地震は起こらなかった。

よかった・・・。

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東京の戦争遺跡01…近衛騎兵連隊

2009-03-09 22:28:44 | 戦争遺跡

 巷では東京中央郵便局の文化財としての保存について賑わっている。

ゆきたんくも、ああいう建物は歴史的価値があるように思う。
なんとも味わい深いのだ。

 しかし、昨今の耐震強度について、建築物に求められている強度も問題になっているようだ。

 2007年7月28日に、戦跡探訪の仲間に誘われて、新宿方面にでかけた。
お目当ては、かつて軍事施設が集中していた戸山ケ原一帯だ。

 その中に学習院女子大学がある。ここには近衛騎兵連隊の兵舎として使われていた建物と、平屋で炊事場・風呂場として使われていた建物がある。

 外壁の赤レンガの色褪せが年月を感じさせる。

 何を言いたいのか。
 軍事施設としての保存はされていないが、現役の校舎として十分な機能を果たすことができる施設が存在するということだ。


かつて近衛騎兵連隊の兵舎

 現役の校舎として利用されている。この日(ちゃんと、入場許可はとった)この建物内にはたくさんの学生が行き来していたのを見ている。



かつての炊事場と風呂場

 ここは現在売店として機能しているようだ。

 特に史跡扱いは受けてはいないが、このような形で存続している半公的な施設もあるのだから東京中央郵便局のような重厚な建物は保存すべきではないかと思っている。使うことによって、メンテナンスが行き届き、建物の寿命が伸びる場合もあるはずだ。

 

 

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ジモティ05…松戸神社

2009-03-08 23:39:01 | 言いたんく

以前に勉強不足なゆきたんくが神社の狛犬のことで教えを受けた。

教えていただいたのはマイミクの伊謄さん。

第一に、狛犬も大陸から伝わってきたのであれば、最初は唐獅子だったはず。
神社に唐獅子がいても不思議ではない。

 ということだ。

 そして、ゆきたんくと伊謄さんの地元松戸の中心も中心にある松戸神社に唐獅子がいたのである。

 地元民(ジモティ)なのに、それも何回か足を運んだことがあるのに、「旅たんく」で紹介しているのに・・・。

 気がつかなかった・・・・・・・・・・・


狛犬の場所に唐獅子が



こりゃあ雄だね。地球を手玉にとっている


雌だね。わが子をころがしている

 

 松戸神社

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流山の戦争遺跡

2009-03-07 23:00:26 | 戦争遺跡

 何度かここにも登場しているが、ゆきたんくが一番好きな桜が、流山市のイトーヨーカードーの傍にある千草稲荷の桜だ。

 ここには、流山糧秣廠という名の陸軍馬糧倉庫があった。大正14年~昭和20年(1925~1945)のことだ。業務は軍馬用の大麦等の貯蔵や干し草の加工だった。

 最初は東京の本所にあったが 周囲の人家が増え火災の危険を生じたため流山に移ったのだ。流山がこの基地に選定された主因は、干草、ワラの主産地が千葉、茨城県下であること。近くに江戸川が流れ、流山街道沿いであることから、集配給に水陸両運の便が得られたためだ。

 ここの職員は朝の集会をこの千草稲荷前に集合して行ったという。

 戦時中は、東京糧秣本廠が空襲のため全焼したため、業務の一部が当所に加重された。重大任務の遂行と防空対策のため、職員は殆んど不眠不休の苦労を重ねた。

 それにもかかわらず、終戦直後は軍廃止のため全職員は失職した。

 


やっと青空とのコラボだ。



流山街道側から見た千草稲荷と桜

 先人の苦労などいざ知らず、のんきに写真を撮ったりブログを書いたりしているゆきたんくはのんきと言われてもしょうがないか・・・

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いすみ鉄道

2009-03-06 23:53:13 | 

小さい頃から鉄道好きのゆきたんくである。

 近頃は、車の世話になってばかりのゆきたんくであるが、鉄道好きは相変わらずだ。

 ゆきたんくが住んでいる千葉県にはローカル線がいくつかあるが、県の花であるナノハナ色のボディを輝かせて走っているのはいすみ鉄道だけである。

 春にはナノハナの咲く中を走る、最高の景色を車内から見ることができる。

 だが経営は1億を超える赤字を出し、今年度の収支で改善が見られない場合は廃止が検討されることになるという。

 現業社員はJR東日本からの出向で賄われているので、社員の行く末を心配することはないのでよいのだが・・・

 


てっちゃんにはたまらない運転席

 


記念乗車券の写真もたまらない

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旅の楽しみ55…栃木県

2009-03-05 23:08:27 | 

今日も旅シリーズ、昨日と同じ栃木県だ。

ただし今日のは旅よりも戦争遺跡という趣のほうが強いかもしれない。

栃木県は宇都宮市にある大谷博物館。
その昔は大谷石の採掘場であった。

一時は、軍需工場がこの中にあった。

中島飛行機の工場である。
その場所は、表示つきでしっかりと遺してある。

 写真を見ていただくとお分かりになると思うが、地下秘密基地へ続く階段という感じがするだろう。

 こり階段を下りていくと途中からなだらかな坂になる。
それが次の写真である。


秘密基地の通路のようだ。

 現在では、多目的ホールとして、コンサートが行われたりしている。
 坑内の照明も幻想的な光り方をしている。


かつての軍需工場も、平和そのものである。

 かつての大谷石の採掘場は、交通の便の良いところではないが一見の価値は大いにある。

 

大谷資料館

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旅の楽しみ54…栃木県

2009-03-04 23:54:33 | 

 栃木県と言えば日光が有名だが、中善寺湖からの唯一の流水出口は大谷川であり、その終点は華厳の滝である。

 ゆきたんくが小学校の時は、細くて美しかった滝も今では太めになった。
そしていずれは、この滝は湖の方にどんどん近づき、その姿を消してしまうという。

 そんな心配をしていたって、ゆきたんくが生きている間には起こらないことである。
 将来になくなってしまうことを憂うより、今その姿を見ることができることを幸運と考えればいいのだ。

 一生の間に2つ華厳の滝を見ることかできたことを幸運と思えばいいのだ。

 そりゃあ、太めが好きな人と、細目が好きな人といるだろうがどちらだって素敵に見える時は見えるし、見えない時は見えない。

 現在ある姿の中で魅力的なところを探せば良いのだ。


滝の始まり

 

華厳の滝

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ひな祭り

2009-03-03 23:16:10 | 言いたんく

 ゆきたんくには女の子がいない。
 うちは4人家族で男が3人。
 女は女房だけだ。

 そんな訳で、ひな祭りは寂しいものだ。
 雛飾りなんてぇのは飾ることはない。
 特にイベントも無し。
 

 「明かりをつけましょ、ぼんぼりにぃ~♪」

 なんて感じも無し。
 救いは、テレビを見て4人全員で笑っていること。
 会話があること。
 一緒にいて楽しいこと。

 そんな訳で、写真にあるようなものを非常に貴重に感じる。
 写真は菱餅。
 ゆきたんくの職場の食事についてきたのだ。
 そう、デザートみたいなものである。

 この菱餅を見て、ひな祭り気分に一時でも浸っていたゆきたんくであります。

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旅の楽しみ53…高知

2009-03-02 23:10:06 | 

 昨日は、葛藤を載せた。
できたものから公開するか、全部できてからにするか。

と言いながら、徳島県、香川県、愛媛県の作成は修了した。
愛媛県についてはかすっただけだからすぐに修了した。

高知県は、初めて四国入りした県だから、羽田空港からの様子から始まる。
1泊2日の中で、一番長い時間いた県だから内容も多い。

葛藤するよりも、どんどん作ってしまう方が精神衛生には良さそうだ。

ところで、まだ疾病が見つかった。2004年の島根・鳥取の旅で、中写真やオリジナルサイズがリンクされていない箇所があることが分かったのだ。

これも、インドネシアを先にするか、迷うとろこだなぁ。
まあ、きりがないということです。


坂本龍馬像
高知龍馬空港

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