ご存知の方も多いのではないでしょうか。「スーホの白い馬」モンゴルの古いお話。馬頭琴(こんな楽器)がどうしてできたのかにまつわる、とても悲しいお話です。
小学校2年生の国語の教科書にこのお話が学年末の総仕上げとして載っていまして。
娘も、何度も音読をして覚えてしまうほどにじっくりと学んできたのですが。
今日、その「馬頭琴」の演奏会が学校で行われました。
小学校のお父さんにN響のバイオリニストの方がいらっしゃいまして、演奏してくださったのです。2年生全員に保護者もどうぞ、と声がかかったので、こんな機会はもうないだろうと参加してきました。
不思議な音色です。
絵本の「スーホの白い馬」の朗読にあわせて、場面場面に合うように演奏してくださったのですが、眼をつぶって聴いていると、複雑に重なり合った音色に朗読のお母様のやさしい声が重なって、どんどん広いゴビ砂漠に引き込まれるような感覚になりました。馬の走る音や、スーホのところに息も絶え絶えに戻ってきた白馬の、扉をたたく音まで表現されていました。
悲しい悲しい、昔読んだとき、救いようのない話だなあ・・とページを閉じた記憶が私にはあるのですが、この音色は、ほんとうに白馬の涙とスーホのくやしさと、そしてあたたかかった生活を表しているんですね。
このお話は、外モンゴルのお話だそうです。モンゴルに行かれたときの体験なども話してくださり、子どもでなくてもほんとうに楽しい有意義な1時間でした。
馬頭琴。
沢山の馬のしっぽの毛で作られた弦は、ひとつの音にもたくさんの違う音が重なって、奏でられると、次々に音と音が包まれあって、あたたかく、悲しく、やさしい音色を作り出してくれました。
もっともっと、演奏していただけたらな~と、、思いつつ、学校を後にした私でした。
仕事休んで(!!)行った甲斐があったなーと、思います。
小学校2年生の国語の教科書にこのお話が学年末の総仕上げとして載っていまして。
娘も、何度も音読をして覚えてしまうほどにじっくりと学んできたのですが。
今日、その「馬頭琴」の演奏会が学校で行われました。
小学校のお父さんにN響のバイオリニストの方がいらっしゃいまして、演奏してくださったのです。2年生全員に保護者もどうぞ、と声がかかったので、こんな機会はもうないだろうと参加してきました。
不思議な音色です。
絵本の「スーホの白い馬」の朗読にあわせて、場面場面に合うように演奏してくださったのですが、眼をつぶって聴いていると、複雑に重なり合った音色に朗読のお母様のやさしい声が重なって、どんどん広いゴビ砂漠に引き込まれるような感覚になりました。馬の走る音や、スーホのところに息も絶え絶えに戻ってきた白馬の、扉をたたく音まで表現されていました。
悲しい悲しい、昔読んだとき、救いようのない話だなあ・・とページを閉じた記憶が私にはあるのですが、この音色は、ほんとうに白馬の涙とスーホのくやしさと、そしてあたたかかった生活を表しているんですね。
このお話は、外モンゴルのお話だそうです。モンゴルに行かれたときの体験なども話してくださり、子どもでなくてもほんとうに楽しい有意義な1時間でした。
馬頭琴。
沢山の馬のしっぽの毛で作られた弦は、ひとつの音にもたくさんの違う音が重なって、奏でられると、次々に音と音が包まれあって、あたたかく、悲しく、やさしい音色を作り出してくれました。
もっともっと、演奏していただけたらな~と、、思いつつ、学校を後にした私でした。
仕事休んで(!!)行った甲斐があったなーと、思います。
馬頭琴の演奏、とても良かったみたいですね。私も聞いてみたいです♪あの物語とともに聞く演奏は、きっと悲しげで、だけどとってもとっても暖かいものだったんでしょうね。
馬頭琴。とてもよかったです。こんなことしてくれる学校、まんざら悪くもないかなーなんて思ったりして。言葉で表せない音色。バイオリンやチェロと全然違うし、三味線でもないし・・・
語彙力ないんで・・なさけないんだけれど、一度聴いたら忘れられない音色です。
砂漠の砂の色がみえます。。