今朝、いつものように私は家内と朝食を頂く中、
『今日はお買いもの・・やめたら・・』
と家内から平素の買物専任者の私は言われたりした。
昨日の午前中、6時間半ばかり小庭の手入れをして、初夏のような暑さの中、
家内の支援もあったりしたが、私は汗まみれ泥まみれで奮闘した為か、
今朝も疲れが残り、俺も齢をとったと感じるょ、と私は家内に言ったりした。
結果的には、私は本日は一歩も我が家から外出しなかった。
午前中のひととき、居間から下駄を履いて降り立ち、テラスにある簡易椅子に座り、
少し高いモミジの樹の下で、新聞を読んだりしたりした。
ときおり吹く風は、薫風だよねぇ、と心地よく、モミジの枝葉が揺れるを眺めたりした。
やがて一冊の本を持ち出して、読み始めたりした・・。
一昨日の3日、駅前のスーパーに片道20分ばかり歩いて、家内から要望の買物の前に、
本屋に立ち寄り、文藝雑誌、単行本、新書本、文庫本コーナーを見たりして、
たった二冊の本を買い求めたりした。
清武英利・著作の『切り捨てSONY ~リストラ部屋は何を奪ったか~』(講談社)、
そして松谷明彦・著作の『東京劣化 ~地方以上に劇的な首都の人口問題~』(PHP新書)であった。
『切り捨てSONY ~リストラ部屋は何を奪ったか~』を読み始めて、
悲惨で過酷な実態を学び、ため息を重ねたりし、ときおり前方に見えるツツジの花を眺めたりした。
私は1955年(昭和30年)の小学4年生の頃から、独りで映画館に通ったりした映画少年であったが、
都心の高校に入学した直後から、遅ればせながら読書の魅力に取りつかれたりした。
新潮文庫本、岩波文庫本を中核に読み、ときおり単行本を購読したのであるが、
創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
心の深淵まで綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力に引きづり込まれた。
若き20代の頃は小説を読むことが圧倒的に多かったが、サラリーマン生活で奮戦していると、小説は激少し、
定年後の年金生活をしている10年は、随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などが多くなっている。
そしてときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりするが、やはり読書が最優先となったりしている。
昼食後、まもなく居間のソファに座り、本の続きを読んだりしたが、
横たわって読みたくなり、やがて寝室の布団に横たわり読んだりした・・。
まもなく睡魔の誘惑に負けて、昼寝をしてしまった。
やがて目覚め、まどろみながら、いつでも昼寝ができることは、年金生活の特権かしら、
と現役サラリーマン時代は数多く人と同様に、睡眠時間を削り奮闘してきたので、
微苦笑したりした。
洗面した後、ぼんやりとテラスに降り立ち、
微風を受けたりすると、昨今の流行(はやり)言葉に『人生の楽園』があるが、
私にとってのひとつには、読書と昼寝かしら、と微笑んだりしている。
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『今日はお買いもの・・やめたら・・』
と家内から平素の買物専任者の私は言われたりした。
昨日の午前中、6時間半ばかり小庭の手入れをして、初夏のような暑さの中、
家内の支援もあったりしたが、私は汗まみれ泥まみれで奮闘した為か、
今朝も疲れが残り、俺も齢をとったと感じるょ、と私は家内に言ったりした。
結果的には、私は本日は一歩も我が家から外出しなかった。
午前中のひととき、居間から下駄を履いて降り立ち、テラスにある簡易椅子に座り、
少し高いモミジの樹の下で、新聞を読んだりしたりした。
ときおり吹く風は、薫風だよねぇ、と心地よく、モミジの枝葉が揺れるを眺めたりした。
やがて一冊の本を持ち出して、読み始めたりした・・。
一昨日の3日、駅前のスーパーに片道20分ばかり歩いて、家内から要望の買物の前に、
本屋に立ち寄り、文藝雑誌、単行本、新書本、文庫本コーナーを見たりして、
たった二冊の本を買い求めたりした。
清武英利・著作の『切り捨てSONY ~リストラ部屋は何を奪ったか~』(講談社)、
そして松谷明彦・著作の『東京劣化 ~地方以上に劇的な首都の人口問題~』(PHP新書)であった。
『切り捨てSONY ~リストラ部屋は何を奪ったか~』を読み始めて、
悲惨で過酷な実態を学び、ため息を重ねたりし、ときおり前方に見えるツツジの花を眺めたりした。
私は1955年(昭和30年)の小学4年生の頃から、独りで映画館に通ったりした映画少年であったが、
都心の高校に入学した直後から、遅ればせながら読書の魅力に取りつかれたりした。
新潮文庫本、岩波文庫本を中核に読み、ときおり単行本を購読したのであるが、
創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
心の深淵まで綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力に引きづり込まれた。
若き20代の頃は小説を読むことが圧倒的に多かったが、サラリーマン生活で奮戦していると、小説は激少し、
定年後の年金生活をしている10年は、随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などが多くなっている。
そしてときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりするが、やはり読書が最優先となったりしている。
昼食後、まもなく居間のソファに座り、本の続きを読んだりしたが、
横たわって読みたくなり、やがて寝室の布団に横たわり読んだりした・・。
まもなく睡魔の誘惑に負けて、昼寝をしてしまった。
やがて目覚め、まどろみながら、いつでも昼寝ができることは、年金生活の特権かしら、
と現役サラリーマン時代は数多く人と同様に、睡眠時間を削り奮闘してきたので、
微苦笑したりした。
洗面した後、ぼんやりとテラスに降り立ち、
微風を受けたりすると、昨今の流行(はやり)言葉に『人生の楽園』があるが、
私にとってのひとつには、読書と昼寝かしら、と微笑んだりしている。
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