夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

団塊世代の家内も、やがて70代を迎えた時、その頃の私たち夫婦は果たして・・。

2015-05-11 16:39:15 | ささやかな古稀からの思い

私は過ぎし東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋、私は大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をし、明日も見えない青年期を彷徨(さまよう)ような過ごしたが、やがてはかなくも敗退した。

そして止(や)むえず何とかして民間会社に中途入社したい為に、
苦手な理工系のコンピュータの専門学校のソフト科に1年間ばかり学んだりした。

やがて1970年(昭和45年)4月、この当時は音響・映像メーカーの大手のある民間会社に、
知人のご尽力もあり、何とか中途入社が出来たのは、25歳の時だった。

まもなく創立された外資系のレコード会社に移籍させられ、
音楽に直接に携わる制作畑でなく、商品、情報、経理、営業を配属されたが、
当初、職場の机を共にしたが、新卒まもない団塊世代の人たちであった。

このような関係で私が音楽業界の片隅で、何かと団塊世代の人たちと同じ空気を長年共にし、
2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した身である。

そして最後の5年半はリストラ烈風の中、私はあえなく出向となり、
各レコード会社がCD、DVDなどの音楽商品を委託している物流会社に勤めて、サラリーマンを卒業した。
          

私は定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

定年退職する数年前の頃、経済にも疎(うと)い私が、
信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読んだりした。

こうした中で、デフレ経済の蔓延している中、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
預貯金が3000万円あれば、少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができる、
と学んだりした。

そして世の中の多く人たちから、人生の3大支出は教育資金、住宅資金、老後資金と言われたりしているが、
私たち夫婦は子供に恵まれなく、「教育資金」は不要となったので、少し多めの預貯金ができたこともあり、
定年した直後から年金生活を開始ができた。

家内は私より5歳ばかり若い団塊世代で、我が家はたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、年金生活を開始した・・。
          

世の中の数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、何かと安堵しながら、
セカンド・ライフに於いて、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズの中、
知人、友人から何かと嬉しい、楽しげな便りを数多く受けたりしてきた・・。

そして私も過ぎ去った60代の年金生活の10年間の日々は、私の人生の中で何より安楽な時代、
と思い重ねたりして享受してきた・・。
             

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
我が家の周辺は、それぞれ住宅が密集している住宅街となっている。、

そして最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。

或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
そして私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

いずれの最寄駅までの路線バスの利便性は良い所で、たとえば都心の新宿のデパートに買物に行っても、
電車を利用すれば、我が家よりデパートの店内に45分ぐらい、
或いは東京駅でも我が家から一時間前後となっている。
          

2004年(平成16年)の秋、年金生活の当初は、
現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。

そして独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。
                

そして私は年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、
最寄のスーパーに買物に行ったり、或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。

その後、自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、季節の移ろいを享受している。
                                      

定年前の私は、現役時代のサラリーマンの時は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきたので、
定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなく、平素の買物専任者を自主宣言したのであった。

そして少なくとも家内は料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。

ご近所の方の奥様たちから、私たち夫婦の年金生活を見かけると、
お若いですねぇ・・仲良し恋しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。

しかしながら実際は日常生活の中で、ときおり私が失敗事をしたりすると、
平素は『あなた・・』と呼ばれるのに、
『ボケチンねぇ・・』と家内から微笑みながら私に苦言される時もある。

こうした中で、私は66歳の時に糖尿病と診断され、青色吐息となる中、
食事の改善とひたすら歩いて、何とか克服してきたので、
糖尿病の再発防止もさることながら、何よりも怖いのは認知症であり、
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、ひたすら歩くことが多くなっている。
                                                
      
この後の大半は居間で過ごしたりすることが多く、何かと随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多い。
定年後の年金生活の単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、櫻井よしこ、徳岡孝夫、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。

雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は45年近く購読し、毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。
そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は買い求めたりしている。

新聞は『読売新聞』を40年近く購読しているが、気になり記事を更に深く知りたい時は、
総合ビジネス情報誌として名高いビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】に縋(すが)り、
多々教示されている。

ときおり映画に関しては、20世紀の私の愛してやまい作品を居間にある映画棚から、
DVD、ビデオテープなどを取りだして、テレビを通して鑑賞したりしている。

或いは音楽を聴きたい時は、やはり居間にある音楽棚からCD、DVDなどを取りだして、聴いたりしている。
                    

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

そして日常生活で、昼下がりのひととき眠くなったら、
いつでも昼寝ができることは、年金生活の特権かしら、と享受する時もある。
             
こうした中で、ときおり我が家の小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行を幾たびか重ねている。

私たち夫婦は、子供に恵まれなかった為か、新婚時代から幾たびか旅路を重ねてきた。

現役サラリーマン時代は、殆ど2泊3日ぐらいの日程であったが、
年金生活を始めると日程の制約から解放されて、5泊6日前後の旅路が多くなっている。

こうした中で私たちは観光ホテルなどに滞在して、周辺の山里、遊歩道、街並みの中を歩きながら
その地の情景を観ながら風土、文化を教示されて、遊学したりしてきた。

そして観光ホテルなどに帰館すれば、心身共に解放感が満たされる露天風呂、大浴場に入り、
享受したりしてきた。

そして早朝、夕食前など時に広い露天風呂などで、たったひとり身を預けたりすると、
更に心も身も解放された上、四季折々の中のひととき景観を観ながら、圧倒的に充たされたりしてきた。
                                      

年金生活の我が家の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、通常の生活費するのが原則とし、
お互いの趣味を互いに尊重して、ささやかに日常を過ごしている。

しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。

そして、毎年年始が過ぎた頃に、新年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
このように年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。

こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑したりしているのが、
我が家の実態である。
                            

こうした60代の中で、多くの退職された方たちも同様と思われるが、
過ぎ去る年の会社時代の先輩、同僚、後輩たちの集いより、
家族の団欒はもとより、孫の世話で・・自身の病院の治療、或いは親族、親戚関係の冠婚葬祭が優先となっているのが、
私の周囲には多くなっている。
   
こうした中で、私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。

或いは定年後の62歳で、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
       
何よりも思いがけないことは、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
                            

やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。

そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

このように学んできた私は、昨年の9月に古稀と称せられる70歳になり、
家内も12月に高齢者入門の65歳となり、お互いに介護保険を支払う無職高齢世帯となった。
       

昨今、同世代の知人たちと懇親会の中で、何かしら葬儀の話題が多くなっている。
たとえば現役時代だったら葬儀に多くの友人、知人に来て貰いたいが、
今や退職後の10年・・自分なりのささやかな家族葬で執り行って欲しいよ、と私は聞いたりしている。

そして昨今の私は、布団の中で目覚めた後でもボンヤリとして正気には程遠く、
やがて起床してボンヤリとして煎茶を飲んだりして、
15分ぐらいの後に正気になり微苦笑することが多くなっている。

こうしたことは少なくとも60代には感じなかったことであり、
体力の衰えを増したのかしら、と苦笑してしている。

或いは亡き作家の渡辺淳一さんが、その歳になって見なければ解らない、
と確かこのような言葉を発露されていたので、
そうですよねぇ、と定年まで敗残者のような人生航路を歩んで私でも、同意したりしている。
                            

いつの日にか私たち夫婦は、片割れとなり、残された方は『おひとりさま』となるが、
果たして・・と年に数回は思案したりしている。

しかしながら私は何とか60代を大病もせず卒業できたが、
不幸にも知人の病死、大病で入退院している友人を思い重ねれば、涙を浮かべたりしている。

そして現役サラリーマン時代でも、幾たびのリストラ烈風の中、
何とか障害レースを乗り越えて、敗残者のようなつたない私でも、
五体満足で生かされているのは、ある面に於いては選ばれたひとりかしら、と微苦笑したりしている。   
               

私はゴールデン・イヤーズと称される60代を昨年の9月に卒業して、
私としてのこれまでの10年は、我が人生として最も安楽な期間を享受できたりしてきた。

そして70代入門の初心者して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、ときおり願いながら歩いたりしている。
       
こうした中で、私は母の遺伝を受けたらしく男の癖に、おしゃべりが好きで、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人さまと話し合ったりすることが多い。

或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
          

こうした中で、家内は昨年の12月に高齢者入門の65歳となり、介護保険を支払う通知書が郵送されて、
あらぁ・・あたし高齢者になってしまったわ・・と実感が乏しく、苦笑したりしていた・・。

私は昨年の「敬老の日」に合わせて、総務省は9月14日に於いて、15日現在の高齢者の人口推計を公表を
偶然に読んだりしてきた・・。

何かしら65歳以上の高齢者人口が3296万人(総人口の25・9%)、
75歳以上が1590万人(同12・5%)となり、いずれも過去最高。
「団塊の世代」の1949年生まれが65歳になったのが一因で、4人に1人が高齢者、8人に1人が75歳以上と、
と学んだりしてきた・・。

そして私は家内と同様な団塊の世代の多くは、やがて5年過ぎれば、70代となり、
どのように変貌するのか、思案させられたりした・・。

少なくとも我が家では、私が75歳となり家内は70歳となるので、
お互いに体力の衰えを実感させられる中、五体満足で過ごせれば、と私は念願したりしている。
          

こうした中で、過ぎし日に本屋で読みたい本を探している中で、
随筆家・桐島洋子(きりしま・ようこ)さんの『ほんとうに70代は面白い』(海竜社 )に於いて、
《・・聡明な女は素敵に老いる・・》の一節に私は微苦笑させられたりした。

私は確か5年前の頃、作家・曽野綾子(その・あやこ)さんの『晩年の美学を求めて』(朝日文庫)を購読し、
まえがきの中で、深く教示され勇気づけられた一節があった。

《・・晩年の意味は、年を追う毎(ごと)に濃厚になり、発見も多くなる、
とすれば、そこには楽しみな部分も増えるだろう。・・》
          

やがて私が75歳となり、家内は70歳になる頃は、
お互いに体力の衰えを実感させられる中、五体満足で過ごせれば、もとより最上であるが、
どちらかが大病となり、やむなく介護施設に移住することも思案する時もある。

長年私たちが生活してきた古びた家・・居間、寝室、台所、洗面所など、そして小庭に、
どのような断腸の思いで、愛惜を重ねて別れる時が到来するかも知れない・・。

このような悲嘆な出来事の思いも確かにあるが、こればかりは天上の神々の采配に寄るものである。

そして何かとプラス思考の私は、曽野綾子さんの一節を鑑(かがみ)として、
私たち70代の夫婦の時代に、過ごせれば最良と思ったりしている。


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