私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の70歳の身であるが、
本日の午後のひととき、ネットでニュースを見たりしていた。
やがて「保険はできるだけ入らない」が世界の常識】と見出しを見て、
どういうことなのょ、と思いながら、クリックしてしまった。
ビジネスニュースサイトとして名高い『東洋経済オンライン』が、
2015年04月15日に配信して下さった記事で、
保険を知り尽くした男と称賛されている橋爪 健人 さんが、寄稿された文と私は知った。
そして標題は、「保険はできるだけ入らない」が世界の常識、
副題して、日本の保険はガラパゴス状態、だから日本人は保険で損をする として明記され、
私は精読して、多々教示され、少なくとも30年前に学んでいたら、と苦笑したりした。
無断であるが転載させて頂く。

《・・「社会人になったら保険の1本ぐらいは入っておこう」
「結婚したら愛情の証として、子供が生まれたら親の責任として保険を契約しよう」
これが平均的な日本人の保険の入り方です。
でも、このように考えているのは、おそらく世界中で日本人だけです。
こうした保険の入り方は、欧米諸国の人たちにはとても理解のできない、日本特有のものなのです。
それでは、世界一の保険大国・米国では、どのような場合に保険に入るのでしょうか。
まずもっとも利用されるのは、住宅ローンを組んだ時です。
死亡によりローンが返済できなくなった場合の担保として保険が必要となります。
次は、相続対策として生命保険が必要な場合です(主に金持ちの人たちです)。
どちらもスキームの中に保険が組み込まれているケースです。
その他の場合、米国人は特に生命保険に入ろうとは考えません。

☆絶対に必要な保険にまで入らない米国人
社会人になったからとか、結婚したからとか、そんな理由で保険に入る米国人は、まずいません。
日本では固定観念に近い、子供ができたら生命保険に入る、という感覚も
共働きが当たり前の米国人は持ち合わせていません。
夫婦のどちらかが死んだ場合でも、遺された方が自分の収入でなんとか子供を育てあげられるなら
保険はいらないと考えます。
「できるだけ保険に入らない」という米国人気質が典型的に現れたのが、
医療保険の分野です。
米国には、日本のような公的な健康保険制度がありません。
そのため民間保険会社の医療保険に加入していないと、病気の際に治療してもらえません。
だから米国では、医療保険は生活する上で必須の保険です。
ところがその医療保険ですら、5000万人近い人たちが入っていなかったのが実情です。
米国が長らく悩み続けている無保険者問題です。
ついにオバマ大統領は「オバマケア」と呼ばれる、医療保険加入を強制化する法律を成立させ、
昨年より施行されています。
このように、必要な保険までなかなか入らないのが、保険大国と言われる米国の実態なのです。

☆ヨーロッパではもっと「保険に入らない」
欧州に目を転じても、英、仏、独といった先進諸国の人たちは
「保険にはできるだけ入らない」と考えています。
その傾向はむしろ米国よりも強いと思われます。
保険発祥の国・英国で売られているのは、ほとんどが一時払いの年金保険です。
フランスでは、伝統的に銀行での保険販売が盛んですが、
売られているのは、投資信託などと同じ運用目的の保険です。
どちらの国の人々も、日本では代表的な死亡保険にはほとんど入りません。
生命保険料総額では、世界の1位が米国、2位が日本、3位英国、そして4位仏国と続きます。
しかし、その中身をよく見てみると死亡保険、がん保険、医療保険のような保障系の生命保険は、
日本以外ではわずかしか売れていません。
日本こそが世界トップの保障保険大国なのです。
では、なぜ日本人はこのように保険好きなのでしょうか。
その大きな理由として、次の3つが挙げられると思います。
ひとつ目は、戦後からバブル崩壊まで、長い間続いた高度成長経済です。
この間、人々の給与は上がり続けました。
そして豊かになったフトコロが、膨張する保険料負担を支えました。
経済的余力があったからこそ、日本人は多くの保険に入ることができたのです。

2つ目は、成長経済下で育まれた日本人の「一億総中流」意識です。
そもそも生命保険は、中間所得層向けの金融商品です。
富裕層はお金があるので保険を必要としません。
低所得貧困層の人たちは、保険料を負担する経済的余裕がないので保険に入れません。
唯一、保険の引き受け手となるはずの巨大な中間所得層が、かつての日本には存在しました。
そして、まわりの人たちが次々と保険に入る様子を見ながら、
何となく自分も保険に入らねば、との思いも生まれます。
中流意識と日本的ヨコ並び意識が相まって、保険加入の流れが加速されたのです。
そこでは欧米のような、何のために保険に入るのか、保険は必要なのか、
といった根源的な疑問が生じることがありませんでした。

3つ目は、保険情報の閉塞性です。
人々が目にする保険情報は、ほとんどが保険を売るサイドから発信されるものばかりでした。
「売らんかな」のバイアスがかかった情報ばかりに振り回され、
いつしか人々は、売り手の思惑通りに行動するようになりました。
「どの保険が選ぶのがよいのか」を迫る保険情報によって、
「何のために」「そもそも必要なのか」といった視点は覆い隠されてしまいます。
その結果、いつの間にか「保険は入るもの」が日本人の常識になってしまいました。

☆日本の保険はガラパゴス状態
こうした日本人の保険観は、世界の潮流から取り残された保険ガラパゴス的産物と言えるかもしれません。
そこからは、欧米のような「保険はそもそも必要なのか」という疑問は生まれません。
そして、「必要がなければ保険はできるだけ入らない」という当たり前の発想も
ついに出てきませんでした。
日本人は、必要でない生命保険に入り過ぎています。
日本は、とうの昔から欧米諸国並みに社会保障制度の充実した国になっています(場合によっては欧米以上です)。
ですから、屋上屋を重ねるような多額の生命保険に入る必要はありません。
不要な保険に入る、ということは、それだけ他の生活費を圧迫する、ということです。
「保険は入るもの」と情緒的、感覚的に信じ込み、
何となく生命保険に入る時代は、とうに終わっているのです。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に築後36年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。
私は過ぎし昨年の9月の誕生日を迎え、古希と称される70歳となり、
家内は昨年の12月に65歳の高齢者入門となったりした。
そしてお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私は25歳で民間会社に中途入社して、会社に来社する保険のセールスレディに、
結婚したら生命保険に入りますから、と幾たびも断り続けたりしていた。
やがて31歳の時に、遅ればせながら結婚して、新妻に対して責務のひとつとして、
程ほど額の生命保険に入ったりした。
その後、一戸建てを新築した時、住宅ローンが多額であったので、生命保険は倍額としたり、
死亡保険、医療保険、傷害保険にも加入したりした。

やがて2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めた直後、
私たち夫婦は齢を重ねるとボケたことを配慮して、
銀行、郵便局、生命保険等を出来うる限り集約したりした。
こうした中、健康保険に関して定年退職後も、勤めていた企業の所属する健康機関に継続していたが、
支払い請求額の通知を受けて、少し高いなぁ、とため息をついたりした。
現役の企業の諸兄諸姉が所属していた健康機関なので、
何かしら病気とか万一の病死などは手厚く保障されていたが、
私の現役サラリーマン時代は給与から自動的に毎月差し引かれていたので、
余り気にせずに、高いとも低いとも感じていなかった。
やがて私は定年後に年金生活に入ったが、昭和19年9月生まれであるので、
年金満額支給は62歳になってからであり、それまでの2年間は年金支給額は、ほぼ半額程度であった。
このような収入時期の時代で、やはり企業の所属する健康機関は手厚く保障されていたが、
支払う毎月の保険料も高かった、と遅ればせながら気付いたりした。
やむなく私は、健康保険を企業の所属していた健康機関から国民健康保険に切り替え後、
最初の『国民健康保険料』の夫婦合算の請求支払額が余りにも激少したので、微苦笑したりした。
もとより国民健康保険料は、前年度の収入に基づいて、
家族構成、お住まい地域の自治体により差は発生するが、算出されている。
この後、保険関係をすべて見直して、
現役サラリーマン時代より生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険は、ほぼ半減に修正し、
火災保険、家財保険だけは従来通りとしたりした。
やがて私は高齢者入門の65歳になり、介護保険証を受けたりした。
その後、2011年(平成23年)10月初旬に、
家内は家内の父の命日に際して、家内の母と家内の妹の三人で、
墓参を兼ねて1泊2日の短き慰安旅行に行った時に、何かの話題の後に、
年金生活の保険金の話題になったらしい。
この時に、程ほどの貯金があれば、『国民健康保険』、『介護保険』もあり、
高額治療になった場合は、程ほどの自己負担で済むから、
『医療保険』などはなくても大丈夫よ、と家内は教えらた、と家内の帰宅後に私は聞いたりした。
この後、何かと愚図の私は、現行の長期にわたって自己負担する高額な医療費について調べたりした。
そして私は厚生労働省の公式サイトのひとつ『高額療養費制度を利用される皆さまへ』を視(み)たりした結果、
公的の『国民健康保険』と『介護保険』さえ加入していれば、
我が家としては、『死亡保険』、『医療保険』、『傷害保険』は、年間として少なくとも約30万円を支払ってきたが、
我が家としては不要かしら、と私たち夫婦は結論した。
そして、私は解約の手続きを開始したのは、私たち夫婦は年金生活を7年過ぎた頃であった。
こうした中、家内は年30万円で7年だから、210万円・・無駄だったかしら、と苦笑したりした。
『でもねぇ・・先の見えない漠然とした年金生活を始めて・・無事に病気することなく、
旅行に行けたし・・こうして8年を迎えられたのであるから・・良かったじゃないの・・』
と私は微苦笑しながら、家内に言ったりした。
そして我が家は、私は国民健康保険、介護保険さえあれば、
万一、大病やケガで多額の医療費が要した時は、「高額療養費制度」を活用させて頂く、と思いながら、
生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険を解約したりした・・。
こうした中で 「高額療養費制度」は、何かしら手術や治療で、
月に100万円かかることになったとしても「高額療養費制度」を活用すれば、
実際の負担額は月9万円を超えることはない、と学んだりした。
たとえば100万円の医療費のうち、70歳未満なら、
まず3割が自己負担なので、窓口で支払うのは30万円。
さらに「高額療養費制度」を利用すると、1か月の医療費が約9万円を超えた分については、
加入する健康保険に申請すると、払い戻してもらえ、約21万円が後から戻ってくる、と知ったりした。
このように「高額療養費制度」を学び、何よりも私のような高齢者に頼りになる制度、
と私は信愛を深めたりしてきた・・。
今回、この記事から多々教示され、私も現役サラリーマン時代に、
保険に精査して、加入額を減少させていたら、少なくとも1000万円は貯金が増やせたかしら、
微苦笑を重ねたりしている。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村

本日の午後のひととき、ネットでニュースを見たりしていた。
やがて「保険はできるだけ入らない」が世界の常識】と見出しを見て、
どういうことなのょ、と思いながら、クリックしてしまった。
ビジネスニュースサイトとして名高い『東洋経済オンライン』が、
2015年04月15日に配信して下さった記事で、
保険を知り尽くした男と称賛されている橋爪 健人 さんが、寄稿された文と私は知った。
そして標題は、「保険はできるだけ入らない」が世界の常識、
副題して、日本の保険はガラパゴス状態、だから日本人は保険で損をする として明記され、
私は精読して、多々教示され、少なくとも30年前に学んでいたら、と苦笑したりした。
無断であるが転載させて頂く。

《・・「社会人になったら保険の1本ぐらいは入っておこう」
「結婚したら愛情の証として、子供が生まれたら親の責任として保険を契約しよう」
これが平均的な日本人の保険の入り方です。
でも、このように考えているのは、おそらく世界中で日本人だけです。
こうした保険の入り方は、欧米諸国の人たちにはとても理解のできない、日本特有のものなのです。
それでは、世界一の保険大国・米国では、どのような場合に保険に入るのでしょうか。
まずもっとも利用されるのは、住宅ローンを組んだ時です。
死亡によりローンが返済できなくなった場合の担保として保険が必要となります。
次は、相続対策として生命保険が必要な場合です(主に金持ちの人たちです)。
どちらもスキームの中に保険が組み込まれているケースです。
その他の場合、米国人は特に生命保険に入ろうとは考えません。

☆絶対に必要な保険にまで入らない米国人
社会人になったからとか、結婚したからとか、そんな理由で保険に入る米国人は、まずいません。
日本では固定観念に近い、子供ができたら生命保険に入る、という感覚も
共働きが当たり前の米国人は持ち合わせていません。
夫婦のどちらかが死んだ場合でも、遺された方が自分の収入でなんとか子供を育てあげられるなら
保険はいらないと考えます。
「できるだけ保険に入らない」という米国人気質が典型的に現れたのが、
医療保険の分野です。
米国には、日本のような公的な健康保険制度がありません。
そのため民間保険会社の医療保険に加入していないと、病気の際に治療してもらえません。
だから米国では、医療保険は生活する上で必須の保険です。
ところがその医療保険ですら、5000万人近い人たちが入っていなかったのが実情です。
米国が長らく悩み続けている無保険者問題です。
ついにオバマ大統領は「オバマケア」と呼ばれる、医療保険加入を強制化する法律を成立させ、
昨年より施行されています。
このように、必要な保険までなかなか入らないのが、保険大国と言われる米国の実態なのです。

☆ヨーロッパではもっと「保険に入らない」
欧州に目を転じても、英、仏、独といった先進諸国の人たちは
「保険にはできるだけ入らない」と考えています。
その傾向はむしろ米国よりも強いと思われます。
保険発祥の国・英国で売られているのは、ほとんどが一時払いの年金保険です。
フランスでは、伝統的に銀行での保険販売が盛んですが、
売られているのは、投資信託などと同じ運用目的の保険です。
どちらの国の人々も、日本では代表的な死亡保険にはほとんど入りません。
生命保険料総額では、世界の1位が米国、2位が日本、3位英国、そして4位仏国と続きます。
しかし、その中身をよく見てみると死亡保険、がん保険、医療保険のような保障系の生命保険は、
日本以外ではわずかしか売れていません。
日本こそが世界トップの保障保険大国なのです。
では、なぜ日本人はこのように保険好きなのでしょうか。
その大きな理由として、次の3つが挙げられると思います。
ひとつ目は、戦後からバブル崩壊まで、長い間続いた高度成長経済です。
この間、人々の給与は上がり続けました。
そして豊かになったフトコロが、膨張する保険料負担を支えました。
経済的余力があったからこそ、日本人は多くの保険に入ることができたのです。

2つ目は、成長経済下で育まれた日本人の「一億総中流」意識です。
そもそも生命保険は、中間所得層向けの金融商品です。
富裕層はお金があるので保険を必要としません。
低所得貧困層の人たちは、保険料を負担する経済的余裕がないので保険に入れません。
唯一、保険の引き受け手となるはずの巨大な中間所得層が、かつての日本には存在しました。
そして、まわりの人たちが次々と保険に入る様子を見ながら、
何となく自分も保険に入らねば、との思いも生まれます。
中流意識と日本的ヨコ並び意識が相まって、保険加入の流れが加速されたのです。
そこでは欧米のような、何のために保険に入るのか、保険は必要なのか、
といった根源的な疑問が生じることがありませんでした。

3つ目は、保険情報の閉塞性です。
人々が目にする保険情報は、ほとんどが保険を売るサイドから発信されるものばかりでした。
「売らんかな」のバイアスがかかった情報ばかりに振り回され、
いつしか人々は、売り手の思惑通りに行動するようになりました。
「どの保険が選ぶのがよいのか」を迫る保険情報によって、
「何のために」「そもそも必要なのか」といった視点は覆い隠されてしまいます。
その結果、いつの間にか「保険は入るもの」が日本人の常識になってしまいました。

☆日本の保険はガラパゴス状態
こうした日本人の保険観は、世界の潮流から取り残された保険ガラパゴス的産物と言えるかもしれません。
そこからは、欧米のような「保険はそもそも必要なのか」という疑問は生まれません。
そして、「必要がなければ保険はできるだけ入らない」という当たり前の発想も
ついに出てきませんでした。
日本人は、必要でない生命保険に入り過ぎています。
日本は、とうの昔から欧米諸国並みに社会保障制度の充実した国になっています(場合によっては欧米以上です)。
ですから、屋上屋を重ねるような多額の生命保険に入る必要はありません。
不要な保険に入る、ということは、それだけ他の生活費を圧迫する、ということです。
「保険は入るもの」と情緒的、感覚的に信じ込み、
何となく生命保険に入る時代は、とうに終わっているのです。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に築後36年の古ぼけた一軒屋に住んでいる。
私は過ぎし昨年の9月の誕生日を迎え、古希と称される70歳となり、
家内は昨年の12月に65歳の高齢者入門となったりした。
そしてお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私は25歳で民間会社に中途入社して、会社に来社する保険のセールスレディに、
結婚したら生命保険に入りますから、と幾たびも断り続けたりしていた。
やがて31歳の時に、遅ればせながら結婚して、新妻に対して責務のひとつとして、
程ほど額の生命保険に入ったりした。
その後、一戸建てを新築した時、住宅ローンが多額であったので、生命保険は倍額としたり、
死亡保険、医療保険、傷害保険にも加入したりした。

やがて2004年(平成16年)の秋に定年退職後、多々の理由で年金生活を始めた直後、
私たち夫婦は齢を重ねるとボケたことを配慮して、
銀行、郵便局、生命保険等を出来うる限り集約したりした。
こうした中、健康保険に関して定年退職後も、勤めていた企業の所属する健康機関に継続していたが、
支払い請求額の通知を受けて、少し高いなぁ、とため息をついたりした。
現役の企業の諸兄諸姉が所属していた健康機関なので、
何かしら病気とか万一の病死などは手厚く保障されていたが、
私の現役サラリーマン時代は給与から自動的に毎月差し引かれていたので、
余り気にせずに、高いとも低いとも感じていなかった。
やがて私は定年後に年金生活に入ったが、昭和19年9月生まれであるので、
年金満額支給は62歳になってからであり、それまでの2年間は年金支給額は、ほぼ半額程度であった。
このような収入時期の時代で、やはり企業の所属する健康機関は手厚く保障されていたが、
支払う毎月の保険料も高かった、と遅ればせながら気付いたりした。
やむなく私は、健康保険を企業の所属していた健康機関から国民健康保険に切り替え後、
最初の『国民健康保険料』の夫婦合算の請求支払額が余りにも激少したので、微苦笑したりした。
もとより国民健康保険料は、前年度の収入に基づいて、
家族構成、お住まい地域の自治体により差は発生するが、算出されている。
この後、保険関係をすべて見直して、
現役サラリーマン時代より生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険は、ほぼ半減に修正し、
火災保険、家財保険だけは従来通りとしたりした。

やがて私は高齢者入門の65歳になり、介護保険証を受けたりした。
その後、2011年(平成23年)10月初旬に、
家内は家内の父の命日に際して、家内の母と家内の妹の三人で、
墓参を兼ねて1泊2日の短き慰安旅行に行った時に、何かの話題の後に、
年金生活の保険金の話題になったらしい。
この時に、程ほどの貯金があれば、『国民健康保険』、『介護保険』もあり、
高額治療になった場合は、程ほどの自己負担で済むから、
『医療保険』などはなくても大丈夫よ、と家内は教えらた、と家内の帰宅後に私は聞いたりした。
この後、何かと愚図の私は、現行の長期にわたって自己負担する高額な医療費について調べたりした。
そして私は厚生労働省の公式サイトのひとつ『高額療養費制度を利用される皆さまへ』を視(み)たりした結果、
公的の『国民健康保険』と『介護保険』さえ加入していれば、
我が家としては、『死亡保険』、『医療保険』、『傷害保険』は、年間として少なくとも約30万円を支払ってきたが、
我が家としては不要かしら、と私たち夫婦は結論した。

そして、私は解約の手続きを開始したのは、私たち夫婦は年金生活を7年過ぎた頃であった。
こうした中、家内は年30万円で7年だから、210万円・・無駄だったかしら、と苦笑したりした。
『でもねぇ・・先の見えない漠然とした年金生活を始めて・・無事に病気することなく、
旅行に行けたし・・こうして8年を迎えられたのであるから・・良かったじゃないの・・』
と私は微苦笑しながら、家内に言ったりした。
そして我が家は、私は国民健康保険、介護保険さえあれば、
万一、大病やケガで多額の医療費が要した時は、「高額療養費制度」を活用させて頂く、と思いながら、
生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険を解約したりした・・。

こうした中で 「高額療養費制度」は、何かしら手術や治療で、
月に100万円かかることになったとしても「高額療養費制度」を活用すれば、
実際の負担額は月9万円を超えることはない、と学んだりした。
たとえば100万円の医療費のうち、70歳未満なら、
まず3割が自己負担なので、窓口で支払うのは30万円。
さらに「高額療養費制度」を利用すると、1か月の医療費が約9万円を超えた分については、
加入する健康保険に申請すると、払い戻してもらえ、約21万円が後から戻ってくる、と知ったりした。
このように「高額療養費制度」を学び、何よりも私のような高齢者に頼りになる制度、
と私は信愛を深めたりしてきた・・。

今回、この記事から多々教示され、私も現役サラリーマン時代に、
保険に精査して、加入額を減少させていたら、少なくとも1000万円は貯金が増やせたかしら、
微苦笑を重ねたりしている。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪

