私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の70歳の身であるが、
本日も午前中のひととき、平素の買物専任者の私は、
独りで家内から依頼の品を求めて、最寄スーパーに行ったりした。
やがて帰宅した後、殆ど毎日私は独りで自宅の周辺にある遊歩道、小公園などををひたすら歩き廻り、散策をしながら、
この時節のうつろい情景を享受しているが、
本日は駅前の出かけて見ようと思い、11時過ぎに出かけた。
快晴の初夏ような熱さであったで、夏用のストレッチパンズの長ズボン、スポーツシャツの半そで、
そしてウォーキング・シューズとなり、夏用の帽子を深めにかぶり、颯爽と歩いたりした。
こうした中で、紳士用の小物入れのA4サイズのショルダー式バックを斜め掛けをしているが、
ときおりバックから扇子〈せんす〉を取り出して、扇〈あお〉ぎながら歩いたりした。
たまたま今回めざした最寄駅は、京王線の『仙川』駅であり、
路線バスの利便性は良いが、何かしら根がケチな為か、片道15分ばかり大通りの歩道を歩き、
周囲の情景を眺めながら、歩いたりした・・。
この地域には、我が家からも私の生家にも近く、私は結婚前後の5年を除き、早や65年近く住んでいるので、
過ぎし定年後に、調布の里っ児、と思ったりしてきた。
やがて大きな坂道を上がり切ると、旧家の畑も見られ、歩道と境界線に野花があり、
こんな処に名も知れぬ野花が咲いていたので、見惚(みと)れたりした。
やがて都立の神代高校を過ぎると、お寺の多い地域の中を歩いた。
この周辺は関東大震災の時代、東京の下町一帯が焼失する中にあった数多くの寺院が、
この仙川の地帯に移転してきた。
こうした中、ある寺院には山門の前に、格言が掲げられたりしていたので、
私は足を止めて、ハンドタオルで顔などを拭(ぬぐ)いながら、読んだりした・・。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
家内は65歳となり、雑木の多い小庭に築後37年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
この世のすべて仮(かり)のものである、と教示されても、
霞(かすみ)を食べる生活できるわけでないので、勘弁して欲しいょ、と私は心の中で呟いたりした。
まもなく歩き出すと、音楽専門の桐朋学園が見えた。
私は過ぎし50数年前の高校生の頃は、
棉か絹のブラウスとスカートの容姿で、楽譜を抱きしめるように持ちながら、
真摯に音楽を学ぶ学生に、私は眩(まぶ)しく見え、好感したりしていた。
やがて私が27歳前後に、あるレコード会社でコンピュー専任者として奮戦している中、
ある他の音楽専門大学を卒業した25歳の女性でピアニストをめざしている方に、
交際を重ねて、私の生家に来て頂いたり、
幾たびかこのお方のご自宅に行き、このお方の母親に私は可愛がれたりした。
まもなく私はプロポーズしたが、サラリーマンに相応(ふさ)しい奥さんには私はなれないの、
とこのような意味合いの言葉を私は言われてしまい、はかなくも私は失恋した、苦い体験もある。
こうしたささやかな体験がある私は、現代の桐朋学園の高校生、大学生の人たちを見かけると、
少しばかり複雑な心境で苦笑しながら、今・・頑張ばらなくて・・いつ学びのよ、
と心の中で声援したりしている。
私は恥ずかしながら楽譜も読めなく、どの楽器も弾けない拙(つたな)い身であるが、
ときたま音楽を聴くのは好きであり、その日に応じた感性を頼りに、音楽を聴いたりし、
ときおり何かと単細胞の私は、感動するあまりに、涙ぐむ時もある。
やがて私は仙川の商店街を通り抜けて、駅ビルの中にある本屋に寄った。
そして雑誌の文芸コーナーの雑誌、単行本、新書、文庫本のコーナーを読みたい本を探したりした。
結果としては、単行本のコーナーで、新潮社・編集の『私の本棚』(新潮社)を手に取り、
私も数年前に大量処分したが、少くなくとも3000冊を保有しているので、
23名の読書家は、どのように保管されているか、好奇心で買い求めたりした。
新書のコーナーに於いては、大久保潤、篠原章・共著作の『沖縄の不都合な真実』(新潮新書)、
そして福永文夫・著作の『日本占領史 1945-1952 東京・ワシントン・沖縄』(中公新書)を選定した。
私は年金生活を10年ばかり過ごしてきた中、小説は殆ど魅了されることなく、
高校生の時から歴史と時事に興味を深めてきたので、ノンフィクション、近現代史の分野の本を購読しているが多く、
この二冊も学びたく購入した。
この後、家内のお好みのパン屋の『アンデルセン』に立ち寄り、5品ばかり買い求めた後、
帰路とした。
そして坂道を下りながら、作家・曽野綾子さんの『都会の幸福』を思い馳せながら、
都心に近くに住む私は、このようなささやかな地元の駅前の周辺を遊学すれば、
しあわせのひとときを享受したりした。
そして歩きながら、何故かしらクラシックの珠玉なメロディーが、
私の脳裏から舞い降りて、私は高揚しながら歩いたりした。
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本日も午前中のひととき、平素の買物専任者の私は、
独りで家内から依頼の品を求めて、最寄スーパーに行ったりした。
やがて帰宅した後、殆ど毎日私は独りで自宅の周辺にある遊歩道、小公園などををひたすら歩き廻り、散策をしながら、
この時節のうつろい情景を享受しているが、
本日は駅前の出かけて見ようと思い、11時過ぎに出かけた。
快晴の初夏ような熱さであったで、夏用のストレッチパンズの長ズボン、スポーツシャツの半そで、
そしてウォーキング・シューズとなり、夏用の帽子を深めにかぶり、颯爽と歩いたりした。
こうした中で、紳士用の小物入れのA4サイズのショルダー式バックを斜め掛けをしているが、
ときおりバックから扇子〈せんす〉を取り出して、扇〈あお〉ぎながら歩いたりした。
たまたま今回めざした最寄駅は、京王線の『仙川』駅であり、
路線バスの利便性は良いが、何かしら根がケチな為か、片道15分ばかり大通りの歩道を歩き、
周囲の情景を眺めながら、歩いたりした・・。
この地域には、我が家からも私の生家にも近く、私は結婚前後の5年を除き、早や65年近く住んでいるので、
過ぎし定年後に、調布の里っ児、と思ったりしてきた。
やがて大きな坂道を上がり切ると、旧家の畑も見られ、歩道と境界線に野花があり、
こんな処に名も知れぬ野花が咲いていたので、見惚(みと)れたりした。
やがて都立の神代高校を過ぎると、お寺の多い地域の中を歩いた。
この周辺は関東大震災の時代、東京の下町一帯が焼失する中にあった数多くの寺院が、
この仙川の地帯に移転してきた。
こうした中、ある寺院には山門の前に、格言が掲げられたりしていたので、
私は足を止めて、ハンドタオルで顔などを拭(ぬぐ)いながら、読んだりした・・。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
家内は65歳となり、雑木の多い小庭に築後37年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
この世のすべて仮(かり)のものである、と教示されても、
霞(かすみ)を食べる生活できるわけでないので、勘弁して欲しいょ、と私は心の中で呟いたりした。
まもなく歩き出すと、音楽専門の桐朋学園が見えた。
私は過ぎし50数年前の高校生の頃は、
棉か絹のブラウスとスカートの容姿で、楽譜を抱きしめるように持ちながら、
真摯に音楽を学ぶ学生に、私は眩(まぶ)しく見え、好感したりしていた。
やがて私が27歳前後に、あるレコード会社でコンピュー専任者として奮戦している中、
ある他の音楽専門大学を卒業した25歳の女性でピアニストをめざしている方に、
交際を重ねて、私の生家に来て頂いたり、
幾たびかこのお方のご自宅に行き、このお方の母親に私は可愛がれたりした。
まもなく私はプロポーズしたが、サラリーマンに相応(ふさ)しい奥さんには私はなれないの、
とこのような意味合いの言葉を私は言われてしまい、はかなくも私は失恋した、苦い体験もある。
こうしたささやかな体験がある私は、現代の桐朋学園の高校生、大学生の人たちを見かけると、
少しばかり複雑な心境で苦笑しながら、今・・頑張ばらなくて・・いつ学びのよ、
と心の中で声援したりしている。
私は恥ずかしながら楽譜も読めなく、どの楽器も弾けない拙(つたな)い身であるが、
ときたま音楽を聴くのは好きであり、その日に応じた感性を頼りに、音楽を聴いたりし、
ときおり何かと単細胞の私は、感動するあまりに、涙ぐむ時もある。
やがて私は仙川の商店街を通り抜けて、駅ビルの中にある本屋に寄った。
そして雑誌の文芸コーナーの雑誌、単行本、新書、文庫本のコーナーを読みたい本を探したりした。
結果としては、単行本のコーナーで、新潮社・編集の『私の本棚』(新潮社)を手に取り、
私も数年前に大量処分したが、少くなくとも3000冊を保有しているので、
23名の読書家は、どのように保管されているか、好奇心で買い求めたりした。
新書のコーナーに於いては、大久保潤、篠原章・共著作の『沖縄の不都合な真実』(新潮新書)、
そして福永文夫・著作の『日本占領史 1945-1952 東京・ワシントン・沖縄』(中公新書)を選定した。
私は年金生活を10年ばかり過ごしてきた中、小説は殆ど魅了されることなく、
高校生の時から歴史と時事に興味を深めてきたので、ノンフィクション、近現代史の分野の本を購読しているが多く、
この二冊も学びたく購入した。
この後、家内のお好みのパン屋の『アンデルセン』に立ち寄り、5品ばかり買い求めた後、
帰路とした。
そして坂道を下りながら、作家・曽野綾子さんの『都会の幸福』を思い馳せながら、
都心に近くに住む私は、このようなささやかな地元の駅前の周辺を遊学すれば、
しあわせのひとときを享受したりした。
そして歩きながら、何故かしらクラシックの珠玉なメロディーが、
私の脳裏から舞い降りて、私は高揚しながら歩いたりした。
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