私は年金生活の身の70歳で、家内は65歳となり、高齢者の夫婦となっているが、
昨今の私は何かと小庭の手入れが多くなっている・・。
過ぎし4月25日、4月30日、5月4日は、私は家内の支援を受けて、樹木の剪定をしたりした。
もとより、小庭の手入れは私の責務の範疇であるが、蚊(か)の出る5月下旬頃から10月頃までを除き、
ときおり家内の支援を受けることが多くなっている。
しかしながら、雑草はこの時節またたくまに繁るので、
私は草むしりに専念する為に、今朝は5時少し前に起きだした。
やがて6時過ぎに、朝食を頂きながら地元の天気情報をテレビで視聴したりした。
朝の6時は18度、昼下がりは23度前後、夕方の6時は22度前後、
日中は曇り空となりますが、午後3時過ぎより小雨が予測されます、と報じられていた。
気温は平年並みとなり、過ぎし大型連休は初夏のような暑さが続き、
何かと暑さに苦手な私は戸惑ったりしてきたが、本日の気温だったら、庭の手入れに最適だ、と微笑んだりした。
こうした根底には、草むしりを終えた頃に、小雨が降れば、
打ち水のように清々(すがすが)しい小庭の情景になる、と単細胞の私は微笑んだのである。
家内は本日は衣料整理に専念している間、私は小雨が降る前に草むしりを完了させようと、
6時半過ぎに、テラスに面した庭に下り立った・・。
こうした時の私の容姿は、いつものようにストレッチパンズの長ズボン、着古したスポーツシャツ、
ウォーキング・シューズ、帽子、滑り止めの軍手をし、剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにしている。
そして草むしりを始めてまもなく、遠い昔の明治の末期、作家の徳富蘆花(とくとみ・ろか)さんが、
私の住んでいる近くに、都心の青山より田園生活の中で農作業をされていた。
こうした中で畑など、この時節は雑草と戦いだ、このような趣旨を綴られていたことを思い馳せ、
そうですよねぇ、と私は微苦笑したりした。
まもなく樹木の下とか周囲を雑草を取る為に地面を這うようにすると、泥まみれになったりした・・。
やがて9時過ぎに、突然に霧雨が降りだしてきて、
どうしてなょ、小雨は午後の3時過ぎじゃない、と戸惑ったりしたが、
今しなくていつするょ、と自身を叱咤激励して、霧雨の中、私は継続した・・。
やがて泥まみれの上、汗か霧雨に濡れたか解らないが、衣服は汚れきってしまったが、
まもなく霧雨は止(や)み、どんよりとした曇り空に変貌した。
こうして孤軍奮闘していると、数多く純白の花にめぐり逢った・・。
そして私は疲れ切った腰を上げながら、
今年も咲いてくれたねぇ、と私は微笑んだりした。
この純白の花は、ゴルフボールぐらい小ぶりの実が成る伊予地方産の柚子(ユズ)の樹である。
確か37年前、私の生家の近くに家を建て後、
少し遠い都立公園に家内と共に行き、帰路、苗木屋さんに立ち寄り、買い求めた樹であった。
私の幼年期は農家の児として生を受け、宅地の外れに大きな柚子(ユズ)の樹があり、
晩秋になると、祖父が長い竹竿(たけざお)で捥(も)いて折、
黄色い色艶した大きな実が数多く収穫できた。
お正月の御雑煮などに、幼児の私でも一切れ入れてもらったり、
祖父や父の晩酌の友としたり、春先までの大人楽しみの食べ物のひとつだった。
このような幼年期の体験があったので、
苗木屋さんで、柚子(ユズ)の樹に買い求めようかなぁ、と思ったりしていた。
『旦那さん、この柚子(ユズ)の樹・・お買い得よ・・』
と店の奥さんから声を掛けられた。
私は見ると、簡素な鉢(はち)に入った根元2センチぐらい、樹高は80センチぐらいで、
一人前に接木したあった。
『おネエさんさぁ・・その柚子(ユズ)、小さくない?』
と私は言った。
『あらぁ、旦那さん・・伊予(いよ)地方の柚子(ユズ)なのょ、
この辺に成る大きめの実と違うけれど・・小振りな実で評判良いわょ・・』
と店の奥さんは微笑みながら、私に言った
『小振りは、解ったけれど、実は成るかなぁ・・』
と私は言った。
『心配なしょ・・数年したら、食べきれなく程、成ります』
と店の奥さんは力強く私に言った。
『そうしたら、家から出荷するか・・』
とB型のお調子者の私は、明るく応じた。
こうして私は買い求めて、テラスに面した庭に植え、水をたっぷり上げた。
その後、肥料を施し、数年過ぎた。
しかし花が咲かず、実も成らなかった。
『XXちゃん、地植えが駄目なのかなぁ』
と私は家内に言ったりした。
『あなたぁ、柚子(ユズ)は時間が掛かると言うじゃ、ありませんの・・
柚子(ユズ)の馬鹿・・何とか・・』
と家内は笑いながら、私に言った。
『苗木屋さんの奥さん・・調子良すぎぎだったなぁ・・』
と私は家内に言った。
『・・』
家内は笑ってばかりだった。
『だまされたかなぁ・・』
と私は呟(つぶや)くように、未練たらしく言ったりした。
この後、私は伊予地方と東京の郊外では、土壌が違うのか、
或いは主(あるじ)の私に反抗して、のろまな態度なのか、私は心配していたのは確かであった。
こうして7年が過ぎた・・。
そして5月になると、純白の花が咲いた。
その晩秋、初めて3つばかり収穫があった。
翌年の5月になると、若芽が伸びたので、刈り込んだ。
栄養分を主木から枝に行き渡らす為に、刈り込んだりした。
しかし私の期待に反して、この秋、収穫ゼロとなった。
それから数年、刈り込まず、肥料も与えず、草むしりだけは丁重にするだけで、放置した。
そして晩秋は、確実に10数個、収穫があった。
私が定年退職する10年前の頃からは、百個は超える実りとなった。
この秋の時は、たわわに淡い黄色の実を眺め、
『XXちゃんさぁ・・やっと念願どおりになったょ・・』
と私は家内に歓声を上げながら言った。
このように我が家の伊予柚子は、苦節10何年の歳月を要したりした。
その後、5月初旬の頃になれば、伊予柚子の枝からは、たわわに白い花を咲かせ、
私は微笑みながら、この樹木の下とその周辺を草抜きをしたりする時、
♪白い花が 咲いていた ふるさとの 遠い夢の日・・・とかぼそい声で唄ったりしてきた。
このような伊予柚子に関して、私の住む武蔵野地方から遥か遠方の四国の伊予地方の柚子(ユズ)は、
最初は敬遠されたが、この後は馴染んでくれて、愛(いと)おしさを増している・・。
本日、私は草むしりを6時間ばかり孤軍奮闘して終え、
体力の衰えた私は、『疲れ切ったょ・・』と家内に言ったりした。
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昨今の私は何かと小庭の手入れが多くなっている・・。
過ぎし4月25日、4月30日、5月4日は、私は家内の支援を受けて、樹木の剪定をしたりした。
もとより、小庭の手入れは私の責務の範疇であるが、蚊(か)の出る5月下旬頃から10月頃までを除き、
ときおり家内の支援を受けることが多くなっている。
しかしながら、雑草はこの時節またたくまに繁るので、
私は草むしりに専念する為に、今朝は5時少し前に起きだした。
やがて6時過ぎに、朝食を頂きながら地元の天気情報をテレビで視聴したりした。
朝の6時は18度、昼下がりは23度前後、夕方の6時は22度前後、
日中は曇り空となりますが、午後3時過ぎより小雨が予測されます、と報じられていた。
気温は平年並みとなり、過ぎし大型連休は初夏のような暑さが続き、
何かと暑さに苦手な私は戸惑ったりしてきたが、本日の気温だったら、庭の手入れに最適だ、と微笑んだりした。
こうした根底には、草むしりを終えた頃に、小雨が降れば、
打ち水のように清々(すがすが)しい小庭の情景になる、と単細胞の私は微笑んだのである。
家内は本日は衣料整理に専念している間、私は小雨が降る前に草むしりを完了させようと、
6時半過ぎに、テラスに面した庭に下り立った・・。
こうした時の私の容姿は、いつものようにストレッチパンズの長ズボン、着古したスポーツシャツ、
ウォーキング・シューズ、帽子、滑り止めの軍手をし、剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにしている。
そして草むしりを始めてまもなく、遠い昔の明治の末期、作家の徳富蘆花(とくとみ・ろか)さんが、
私の住んでいる近くに、都心の青山より田園生活の中で農作業をされていた。
こうした中で畑など、この時節は雑草と戦いだ、このような趣旨を綴られていたことを思い馳せ、
そうですよねぇ、と私は微苦笑したりした。
まもなく樹木の下とか周囲を雑草を取る為に地面を這うようにすると、泥まみれになったりした・・。
やがて9時過ぎに、突然に霧雨が降りだしてきて、
どうしてなょ、小雨は午後の3時過ぎじゃない、と戸惑ったりしたが、
今しなくていつするょ、と自身を叱咤激励して、霧雨の中、私は継続した・・。
やがて泥まみれの上、汗か霧雨に濡れたか解らないが、衣服は汚れきってしまったが、
まもなく霧雨は止(や)み、どんよりとした曇り空に変貌した。
こうして孤軍奮闘していると、数多く純白の花にめぐり逢った・・。
そして私は疲れ切った腰を上げながら、
今年も咲いてくれたねぇ、と私は微笑んだりした。
この純白の花は、ゴルフボールぐらい小ぶりの実が成る伊予地方産の柚子(ユズ)の樹である。
確か37年前、私の生家の近くに家を建て後、
少し遠い都立公園に家内と共に行き、帰路、苗木屋さんに立ち寄り、買い求めた樹であった。
私の幼年期は農家の児として生を受け、宅地の外れに大きな柚子(ユズ)の樹があり、
晩秋になると、祖父が長い竹竿(たけざお)で捥(も)いて折、
黄色い色艶した大きな実が数多く収穫できた。
お正月の御雑煮などに、幼児の私でも一切れ入れてもらったり、
祖父や父の晩酌の友としたり、春先までの大人楽しみの食べ物のひとつだった。
このような幼年期の体験があったので、
苗木屋さんで、柚子(ユズ)の樹に買い求めようかなぁ、と思ったりしていた。
『旦那さん、この柚子(ユズ)の樹・・お買い得よ・・』
と店の奥さんから声を掛けられた。
私は見ると、簡素な鉢(はち)に入った根元2センチぐらい、樹高は80センチぐらいで、
一人前に接木したあった。
『おネエさんさぁ・・その柚子(ユズ)、小さくない?』
と私は言った。
『あらぁ、旦那さん・・伊予(いよ)地方の柚子(ユズ)なのょ、
この辺に成る大きめの実と違うけれど・・小振りな実で評判良いわょ・・』
と店の奥さんは微笑みながら、私に言った
『小振りは、解ったけれど、実は成るかなぁ・・』
と私は言った。
『心配なしょ・・数年したら、食べきれなく程、成ります』
と店の奥さんは力強く私に言った。
『そうしたら、家から出荷するか・・』
とB型のお調子者の私は、明るく応じた。
こうして私は買い求めて、テラスに面した庭に植え、水をたっぷり上げた。
その後、肥料を施し、数年過ぎた。
しかし花が咲かず、実も成らなかった。
『XXちゃん、地植えが駄目なのかなぁ』
と私は家内に言ったりした。
『あなたぁ、柚子(ユズ)は時間が掛かると言うじゃ、ありませんの・・
柚子(ユズ)の馬鹿・・何とか・・』
と家内は笑いながら、私に言った。
『苗木屋さんの奥さん・・調子良すぎぎだったなぁ・・』
と私は家内に言った。
『・・』
家内は笑ってばかりだった。
『だまされたかなぁ・・』
と私は呟(つぶや)くように、未練たらしく言ったりした。
この後、私は伊予地方と東京の郊外では、土壌が違うのか、
或いは主(あるじ)の私に反抗して、のろまな態度なのか、私は心配していたのは確かであった。
こうして7年が過ぎた・・。
そして5月になると、純白の花が咲いた。
その晩秋、初めて3つばかり収穫があった。
翌年の5月になると、若芽が伸びたので、刈り込んだ。
栄養分を主木から枝に行き渡らす為に、刈り込んだりした。
しかし私の期待に反して、この秋、収穫ゼロとなった。
それから数年、刈り込まず、肥料も与えず、草むしりだけは丁重にするだけで、放置した。
そして晩秋は、確実に10数個、収穫があった。
私が定年退職する10年前の頃からは、百個は超える実りとなった。
この秋の時は、たわわに淡い黄色の実を眺め、
『XXちゃんさぁ・・やっと念願どおりになったょ・・』
と私は家内に歓声を上げながら言った。
このように我が家の伊予柚子は、苦節10何年の歳月を要したりした。
その後、5月初旬の頃になれば、伊予柚子の枝からは、たわわに白い花を咲かせ、
私は微笑みながら、この樹木の下とその周辺を草抜きをしたりする時、
♪白い花が 咲いていた ふるさとの 遠い夢の日・・・とかぼそい声で唄ったりしてきた。
このような伊予柚子に関して、私の住む武蔵野地方から遥か遠方の四国の伊予地方の柚子(ユズ)は、
最初は敬遠されたが、この後は馴染んでくれて、愛(いと)おしさを増している・・。
本日、私は草むしりを6時間ばかり孤軍奮闘して終え、
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