夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

定年後の年金生活の中、確かに増えたことを思い馳せ、やがて微苦笑して・・。

2015-05-16 15:26:29 | ささやかな古稀からの思い
私は2004年(平成16年)の秋、ある民間会社に35年近く勤めて定年退職後、
多々の理由で年金生活を始め、早や11年生となっている。

そして私たち夫婦は厚生年金とわずかな企業年金を頂いて、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかに生活をしている。

こうした中で幸いにも、私たち夫婦は大病に遭遇せず、今日に至っている。
          

日頃の私は、午前中に平素の買物専任者として、家内から依頼された品を求めて、独りで最寄りのスーパー、
或いは駅前まで利便性ある路線バスも乗車せず、片道20分前後の歩道を歩き、
スーパー、パン屋とかドラッグストアーなど専門店で買い求めたり、ときには本屋に寄ったりしている。

その後は、健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わない、と確信を深めて、
独りで自宅の周辺3キロぐらいの中の住宅街の道、遊歩道、小公園などを
ひたすら歩いたりする中で、 季節のうつろいを享受している。
          
午後より夜の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中で、小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行を幾たびか遊学してきた。
          

このように年金生活を過ごしてきたが、午前中のひととき、霧雨が降る小庭の雑木を眺めながら、
年金生活して11年目となっている今、確かに増えたことは・・、
ぼんやりと思い馳せたりした・・。

失ったことは、年金生活を始めた60歳の当初より、体力の衰えを実感させられたり、
年金も減少する中、ささやかな生活を過ごしていると貯金を減少してきた。
そして知人、親戚の叔父さん、叔母さんの死去により、出逢うことより別れることが多かったりした。
          

やがて、確かに増えたことは、数多く浮かび、私は独りで微苦笑したりした・・。

私は亡き母の遺伝を受けたらしく、男の癖におしゃべりとなっている。
朝食とか夕食の時には、それぞれ家内と一時間ぐらいは談笑したりしている。

そして家内は従来通り料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
せめてと私は思いながら 家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、
日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている中で、お待たせ致しました、と言いながら家内に話しかけたりしている。

或いは家内と共に週に一度ぐらい駅前に行き、スーパー、ホームセンター、ドラックストアーで買物に行ったりし、
こうした時の私は積極果敢に、家内のボディガード兼お供となり、荷物持ちの重責を果たしながら、
歩いている中で、語り合ったりしている。

そしてときには、国内旅行の旅先でも語り合い、のちの思いを重ねたりしてきた。
          

私はデジカメを定年退職の記念品として買い求めて、数年前に買い改めてきたが、
この間に、私が散策したり、家内と国内旅行をしている旅先でも、
記念写真ねぇ、と心の中で呟(つぶや)きながら、記憶のかたみとして撮ったりしてきたが、
昨今、7000枚を超えていたので、少し多いかしら、と微笑んだりした。


私は年金生活を過ごしているなかで、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
          
私は定年後、まもなく偶然にブログの世界を知り、丸10年が過ぎて、早や11年生に進級する中、
パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。

こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
          
      
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
       
そして数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。    
                                                
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは2年半前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。

         
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
恥ずかしながら筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省することが多い。
                                                                   

こうした中で、セカンドライフを過ごされる数多くの諸兄諸姉のブログの投稿文を読ませて頂き、
このように日常はお過ごしされている、このような思いを秘めている・・
多々教示させられ、ときには私が励まされるようなこともあったりしている。
          
何よりもこの広い空の下で、未知のお方に投稿文、或いはコメント上で、めぐり逢えたこと、
数多くのお方の確かな人生の教科書を学び、心の財産となっている。
          

このように、私は幸運にも、ささやかな家内と年金生活を過ごす中、
数多く思いを増え、齢を重ねることも良きことだねぇ、と微笑んだりしている。


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コメント (2)
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