夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

熱さの中、高齢者の私でも、家内のホディガード兼お供として、散策して・・。

2015-05-27 16:51:47 | ささやかな古稀からの思い
昨夜、夕食を頂いた後、やがて茶坊主の私は家内用のコーヒーを淹れて、
居間の食卓テーブルの片隅に置いた。

『明日、駅前の歯医者さんに行く日ですから・・』
と家内は私に微笑みながら言ったりした。

『XXちゃんさぁ・・解っていますょ・・確か予約は12時と記憶していますょ』
と私は笑いながら応(おう)じたりした。
          

本日の7時少し前、私はテレビで地元の気象情報を視聴したりした。

5月の初旬から太平洋高気圧や移動性高気圧に覆われる日が続き、
降水量も少なかったため気温が高い日が続き、都心では本日も30度の真夏日となります、
と報じて、何か熱さに苦手な私は苦笑したりした。

私の住む地域は、東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の所であり、
都心より一度ぐらいは涼しい所であるが、今月の5月は25度以上の夏日が多かったのである。

この後、補足説明のように、5月は本日も夏日が19日目を迎え、
気象庁の統計が残る1876年以来、最多となります、と報じていた。

私は1944年(昭和19年)生れであるが、1876年って・・いつ頃の年なの、
と調べたら、明治9年と解り、遥か遠い昔のことだょ、と苦笑したりした。

何よりも天上の気候の神々は、雨を地上にもたらす責務も忘れたらしく、雨量は平年の10%と知り、私は動顛しながら、
雨乞いの代わりに、せめて八代亜紀さんの『雨の慕情』をかぼそい声で、
♪雨雨ふれふれ ・・と唄い、祈願しょうと思ったりしたが、
小学生の音楽の通信簿は『2』の劣等生であったことを思いだして、断念したりした。
          

家内は幾たびか歯の治療を自宅周辺の歯科医院に受けたりしてきたが、
私は妹から、9年前の頃に小田急線の『喜多見』駅前の歯科医院が良いみたい、と聞いたりしたので、
これ以来、私の歯の老化を含めて、この『喜多見』駅前の歯科医院で私たち夫婦は、治療を受けたりしてきた・・。

そして利便性のある路線バスを利用すれば、我が家より10分前後で到着するが、
最短距離として野川の遊歩道を歩けば、20分前後を歩けば到着するし、
何よりもこの遊歩道の片側は、細長い小公園が帯のように続き、四季折々の情景が見られるので、
私たち夫婦はこのコースを愛用してきた。

難点といえば平日などは、人影も少ない時があるので、
家内が出かける時は、私がホディガード、お供として、共に歩いたりしてきた。
                     

10時半過ぎに私たちは早めに自宅を出て、まもなく野川の遊歩道を歩き、『喜多見』駅前を目指して歩いたりした。
       
家内は白いワンピースで、おしゃれなウォーキング・シューズを履き、日傘を差して歩いたりした。

一歩遅れた私は、夏用のストレッチパンズの長ズボン、アロハシャツ、
そしてウォーキング・シューズとなり、夏用の帽子を深めにかぶり、颯爽と歩いたりした。

こうした中で、紳士用の小物入れのA4サイズのショルダー式バックを斜め掛けをしているが、
ときおりバックから扇子〈せんす〉を取り出して、扇〈あお〉ぎながら歩いたりした。

       
やがて駅前に着き、家内は歯科医院で治療を受けている間、私は周辺の小公園を散策したりした。
                    

私は2004年(平成16年)の秋、ある民間会社に35年近く勤めて定年退職後、
多々の理由で年金生活を始め、早や11年目となり70歳の身であり、
家内は私より5歳若く65歳となっている。

私たち夫婦は38年寝食を共にしてきた結婚生活の中で、幾重かの人生の荒波を乗り越えてきたが、
ここ10年の年金生活は安楽の日々を過ごしてきた。

こうした中で私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちはお若いわ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。
          

私たち夫婦は、子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
長き結婚生活の中に於いて、最大の誤算となっている。
          

私は何かと母の遺伝を受けたらしく男の癖におしゃべりなので、
家内と結婚前に交際していた時から、
私は家内に対して、XXちゃん付けで呼んだりしている。

そして私たち夫婦は語り合うことが多く、旅先の宿泊の食事処で、会話のないご夫婦を見かけると、
私は幾たびか驚いたりしてきた。

そして世の中の多く人たちから、人生の3大支出は教育資金、住宅資金、老後資金と言われたりしているが、
たまたま我が家は子供の「教育資金」は不要となったので、
定年した直後から年金生活を開始できたことも事実である。
       
もとより子供がいれば、圧倒的に育てる喜びもあるし、子供の笑顔に何よりも癒(いや)されるし、
ときには苦渋することもあると、知人たちから教えられてきたが、
無念ながらこうしたことの体験は、私たち夫婦は欠落している。
          
そして果たしていつの日まで、情愛さえも子供にも頼ることができない私たち夫婦は、
ささやかな日々が続くのだろうか、と私はよぎることもある。
                           
          

やがて私は駅前の片隅にあるコーヒーショップの『ドトール』で、
家内を待機しながら、コーヒーを飲んだりした。

まもなく家内と合流した後、駅前のスーパーで買い物をした後、
やがて私たちは、初夏のような熱い中を遊歩道を歩き、自宅に向かった。


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