私は東京の調布市に住む年金生活の血液型B型の76歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
こうした中、年金生活を始めた時より、元旦の朝、私たち夫婦は恒例のように、
朝の挨拶をしてきた・・。
昨年の元旦の朝、布団の中でまどろんでいた私は、新たな年を迎えて、
今年は恥ずかしながら9月の誕生日を迎えると76歳かょ、と思ったりした。
横の布団には、家内が軽い寝息をしていた。
やがて家内は目覚めたらしく、私は家内に新年の挨拶をしなければと思い、
私はわが身の掛布団と毛布を払い、敷布団2枚と電気毛布を敷いたシーツの上で、正座した。
そして私は横の布団の中にいる家内に向かって、

『昨年は事あるごとに・・何かとノロマの私に・・幾たびもお心遣いを賜り、感謝したします。
おかげさまで・・私も楽しい一年を過ごすことができました。
本年も・・よろしくお願い致します・・』
と私は家内に真摯に言ったりした。
家内は横の布団の中で、少しうなずいた後、
『何時ごろ、お雑煮を頂きましょうか?』
と家内は私に笑いながら言ったりした。
『7時半ごろ、頂きましょうか・・』
と私は家内に言ったりした。
そして私は敷布団の上の正座から、横たわり掛布団と毛布をわが身に掛けながら、
家内に対しての新年の挨拶を終わり、安堵したりした。
このように準じた新年の挨拶・・私は定年退職後に多々の理由で年金生活をき始めた以来、
毎年してきたので、確か16年だょなぁ・・、と微苦笑したりした。

しかしながら私は、昨年の4月に右膝を痛めて、近くの整形外科に通院してきた中、
もとより正座も出来ず、これ以来和室が苦手となってきた・・。
そして寝室も布団からベットに変貌した・・。
こうした中で元旦を迎えたが、恒例の布団に正座して、家内に新年の挨拶は出来なくなり、
私は洗面した後、家内は居間でコーヒーを飲んでいた・・。
私は家内の2メートル前で、若き自衛官に負けないように、
背筋を伸ばして、手先も伸ばして、
『昨年は事あるごとに・・何かとノロマの私に・・幾たびもお心遣いを賜り、感謝したします。
おかげさまで・・私も楽しい一年を過ごすことができました。
本年も・・よろしくお願い致します・・』
と私は家内に明るくさわやかに言ったりした。
家内は突然の私からの挨拶に戸惑った表情であったが、少しうなずいた後、
『こちこそ・・よろしくねぇ・・』
と家内は私に笑いながら言ったりした。

平素、我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
夜の9時過ぎには、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。
もとよりボケては恥ずかしいから、このように言動をしたりしている。
この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました!』
と私は家内に報告したりする。
その直後、 『ご苦労であった!』と家内は私に言うのである。
私の現役サラリーマン時代に於いては、
ご苦労さまでした、と家内は何かと従順で優しく労(ねぎら)いの言葉をしていたが、
どうしてなの、と私は不思議に思ったりした。
その後、思い当るとすれば、家内は以前に2008年の頃に、NHKの連続ドラマの『篤姫』を視聴した頃からで、
お姫さま、或いは奥方に影響されたのか、
このような言葉を私にするようになっていることが多い。

こうした日常もあり、我が家は家内安全が何よりだよねぇ・・、
と私は心の中で呟(つぶや)いたりして、独り微苦笑をしたりしている。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
こうした中、年金生活を始めた時より、元旦の朝、私たち夫婦は恒例のように、
朝の挨拶をしてきた・・。
昨年の元旦の朝、布団の中でまどろんでいた私は、新たな年を迎えて、
今年は恥ずかしながら9月の誕生日を迎えると76歳かょ、と思ったりした。
横の布団には、家内が軽い寝息をしていた。
やがて家内は目覚めたらしく、私は家内に新年の挨拶をしなければと思い、
私はわが身の掛布団と毛布を払い、敷布団2枚と電気毛布を敷いたシーツの上で、正座した。
そして私は横の布団の中にいる家内に向かって、

『昨年は事あるごとに・・何かとノロマの私に・・幾たびもお心遣いを賜り、感謝したします。
おかげさまで・・私も楽しい一年を過ごすことができました。
本年も・・よろしくお願い致します・・』
と私は家内に真摯に言ったりした。
家内は横の布団の中で、少しうなずいた後、
『何時ごろ、お雑煮を頂きましょうか?』
と家内は私に笑いながら言ったりした。
『7時半ごろ、頂きましょうか・・』
と私は家内に言ったりした。
そして私は敷布団の上の正座から、横たわり掛布団と毛布をわが身に掛けながら、
家内に対しての新年の挨拶を終わり、安堵したりした。
このように準じた新年の挨拶・・私は定年退職後に多々の理由で年金生活をき始めた以来、
毎年してきたので、確か16年だょなぁ・・、と微苦笑したりした。

しかしながら私は、昨年の4月に右膝を痛めて、近くの整形外科に通院してきた中、
もとより正座も出来ず、これ以来和室が苦手となってきた・・。
そして寝室も布団からベットに変貌した・・。
こうした中で元旦を迎えたが、恒例の布団に正座して、家内に新年の挨拶は出来なくなり、
私は洗面した後、家内は居間でコーヒーを飲んでいた・・。
私は家内の2メートル前で、若き自衛官に負けないように、
背筋を伸ばして、手先も伸ばして、
『昨年は事あるごとに・・何かとノロマの私に・・幾たびもお心遣いを賜り、感謝したします。
おかげさまで・・私も楽しい一年を過ごすことができました。
本年も・・よろしくお願い致します・・』
と私は家内に明るくさわやかに言ったりした。
家内は突然の私からの挨拶に戸惑った表情であったが、少しうなずいた後、
『こちこそ・・よろしくねぇ・・』
と家内は私に笑いながら言ったりした。

平素、我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
夜の9時過ぎには、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。
もとよりボケては恥ずかしいから、このように言動をしたりしている。
この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました!』
と私は家内に報告したりする。
その直後、 『ご苦労であった!』と家内は私に言うのである。
私の現役サラリーマン時代に於いては、
ご苦労さまでした、と家内は何かと従順で優しく労(ねぎら)いの言葉をしていたが、
どうしてなの、と私は不思議に思ったりした。
その後、思い当るとすれば、家内は以前に2008年の頃に、NHKの連続ドラマの『篤姫』を視聴した頃からで、
お姫さま、或いは奥方に影響されたのか、
このような言葉を私にするようになっていることが多い。

こうした日常もあり、我が家は家内安全が何よりだよねぇ・・、
と私は心の中で呟(つぶや)いたりして、独り微苦笑をしたりしている。