夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

まもなく1月15日は『苺(イチゴ)の日』、ささやかな私のイチゴの想いを思い馳せて・・。

2021-01-11 09:00:35 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の高齢者の76歳の身であるが、
今朝ぼんやりと、我家のキッチンの壁際に掲げている風物詩に富んだカレンダーを見ていると、
何故かしら1月15日は『苺(イチゴ)の日』とイチゴの絵も描かれて、可愛らしく表示されていた。

私はイチゴの生産か販売に携(たずさ)わる方たちが、
イチゴの消費拡大を目的として、1月15日に於いて、
【一五(いちご)】の語呂(ごろ)あわせ、健気(けなげ)に制定した、
と何かの本で読んだことがあった。

そして私は、イチゴかょ、と心の中で呟(つぶや)きながら、
つたない私でも少しばかり思いがあり、ささやかな想いも秘めているので綴る。




私は2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めて、自主的に日常の買い物を担当しているので、
もとよりスーパーの生鮮野菜コーナー、果物コーナーなどを見たりしている。

この時節、イチゴの赤く成熟した大粒が並んでいる。
家内は好きな果物のひとつであるので、買い求めたりしている。



★ネットより、写真をお借りした★


過ぎし1951年(昭和26年)の頃、小学1年生であった私は、
祖父、父が健在で、小作人だった人たちのご協力を得ながら、程々広い田畑を耕していた。

こうした中、父の妹のひとりは20歳で未婚だったので、

私はこの叔母に何かと懐(なつ)いたりしていた。

この叔母は陽当たりの良い畑の一角で、草花を植えたり、
イチゴなどの果物を植え込んでいた。

草花は仏様、お墓の墓前に供えたり、或いは室内の花瓶に生けたりしていた。

こうした中、イチゴは5月頃になると、

白い花をつけた後、結実し、初夏の頃に赤み帯びて成熟する。


★ネットより、写真をお借りした★


私は幼年期であり、イチゴを見つめながら、
『まだ駄目・・!?』
と私は叔母に懇願するように言ったりした。

『まだ白さがあるでしょう・・もう少し・・待ってからねぇ・・』
と叔母は言いながら、2坪ぐらいの広さのイチゴ畑の中で、
少し赤く色づい実を捜して、ひとつぶを私の口に入れてくれた。

私は口の中で噛み砕いているうちに、甘み拡がってきた・・。




1975年(昭和50年)、家内となる女性と交際をはじめ、婚約した後、

確か1月の下旬だったと思うが、
東京駅で待ち合わせ、新幹線の『こだま』で清水駅で下車して、

やがて路線バスを利用し、日本平付近の丘陵のイチゴ園に行ったりした。

陽当たりの良い丘陵の中、ビニールハウスの中で養育されていた。


そして入り口でカップに入れたミルクを頂き、

ハウス内のイチゴを捥(も)で食べる方法であったが、
途中で私は家内となる女性に私のミルクを手渡して、私は外に出たりした・・。

まもなくハウスの入り口から少し離れた所で、
ぼんやりと私は、海上の光る浪間を観たりしていたが、

ときたま微風を受けると寒さが感じられた。

そして私はいちごを3粒を頂いたが、
初夏の果物がどうしてと思いながら、戸惑ったことは確かであったりした。



思い馳せれば、1960年(昭和35年)の高校生になると、

季節を問わずショート・ケーキの上にイチゴが載せられたり、
日本の各地でビニールハウスの情景が見られたりした。

私は民間会社に中途入社した1970年(昭和45年)を過ぎる頃、
会社の部署旅行で2月に旅先で、イチゴ園に寄ったりした。


このように私は露地栽培の初夏、

実がまばらな小粒で、淡い甘さが幼年期の想いでを体験している為か、
昨今のイチゴには、殆ど一年の大半にイチゴを見かけたりすると、
季節感がなくなった、と戸惑いを覚えたりしている。

そして、私は日本酒の辛口、ビールなどのお酒大好きな呑兵衛のひとりだったので、
イチゴは女性、そして女の子、男の子らの婦女子の果物のひとつであると確信し、

40数年過ぎている。

家内が、この冬の時節も愛食しているが、
私は買い求めてきたイチゴのパック詰の中から、

2粒ぐらいお付き合いしている程度が実態となっている。




このようなイチゴに、ささやかな思いがあるので、
昨今は、コンビニなどでも、イチゴのスイーツのおしゃれな食べ物を見かけたりし、
高齢者の私には無縁かしら、と微苦笑したりしている。
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