私は東京の調布市に住む年金生活の高齢者の76歳の身であるが、
今朝ぼんやりと、我家のキッチンの壁際に掲げている風物詩に富んだカレンダーを見ていると、
何故かしら1月15日は『苺(イチゴ)の日』とイチゴの絵も描かれて、可愛らしく表示されていた。
私はイチゴの生産か販売に携(たずさ)わる方たちが、
イチゴの消費拡大を目的として、1月15日に於いて、
【一五(いちご)】の語呂(ごろ)あわせ、健気(けなげ)に制定した、
と何かの本で読んだことがあった。
そして私は、イチゴかょ、と心の中で呟(つぶや)きながら、
つたない私でも少しばかり思いがあり、ささやかな想いも秘めているので綴る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/a7/7847c717fce039393cea44d059d65486.jpg)
私は2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めて、自主的に日常の買い物を担当しているので、
もとよりスーパーの生鮮野菜コーナー、果物コーナーなどを見たりしている。
この時節、イチゴの赤く成熟した大粒が並んでいる。
家内は好きな果物のひとつであるので、買い求めたりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/20/a3de041324f46d374014b8ff60976897.jpg)
★ネットより、写真をお借りした★
過ぎし1951年(昭和26年)の頃、小学1年生であった私は、
祖父、父が健在で、小作人だった人たちのご協力を得ながら、程々広い田畑を耕していた。
こうした中、父の妹のひとりは20歳で未婚だったので、
私はこの叔母に何かと懐(なつ)いたりしていた。
この叔母は陽当たりの良い畑の一角で、草花を植えたり、
イチゴなどの果物を植え込んでいた。
草花は仏様、お墓の墓前に供えたり、或いは室内の花瓶に生けたりしていた。
こうした中、イチゴは5月頃になると、
白い花をつけた後、結実し、初夏の頃に赤み帯びて成熟する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/5a/321ad4870f97292e86f1ce56a859e0d2.jpg)
★ネットより、写真をお借りした★
私は幼年期であり、イチゴを見つめながら、
『まだ駄目・・!?』
と私は叔母に懇願するように言ったりした。
『まだ白さがあるでしょう・・もう少し・・待ってからねぇ・・』
と叔母は言いながら、2坪ぐらいの広さのイチゴ畑の中で、
少し赤く色づい実を捜して、ひとつぶを私の口に入れてくれた。
私は口の中で噛み砕いているうちに、甘み拡がってきた・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/b5/c23e6af1dd1cc20a9832432d9c8aa082.jpg)
1975年(昭和50年)、家内となる女性と交際をはじめ、婚約した後、
確か1月の下旬だったと思うが、
東京駅で待ち合わせ、新幹線の『こだま』で清水駅で下車して、
やがて路線バスを利用し、日本平付近の丘陵のイチゴ園に行ったりした。
陽当たりの良い丘陵の中、ビニールハウスの中で養育されていた。
そして入り口でカップに入れたミルクを頂き、
ハウス内のイチゴを捥(も)で食べる方法であったが、
途中で私は家内となる女性に私のミルクを手渡して、私は外に出たりした・・。
まもなくハウスの入り口から少し離れた所で、
ぼんやりと私は、海上の光る浪間を観たりしていたが、
ときたま微風を受けると寒さが感じられた。
そして私はいちごを3粒を頂いたが、
初夏の果物がどうしてと思いながら、戸惑ったことは確かであったりした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/fd/2a2d942204559e2e77358308bb913a50.jpg)
思い馳せれば、1960年(昭和35年)の高校生になると、
季節を問わずショート・ケーキの上にイチゴが載せられたり、
日本の各地でビニールハウスの情景が見られたりした。
私は民間会社に中途入社した1970年(昭和45年)を過ぎる頃、
会社の部署旅行で2月に旅先で、イチゴ園に寄ったりした。
このように私は露地栽培の初夏、
実がまばらな小粒で、淡い甘さが幼年期の想いでを体験している為か、
昨今のイチゴには、殆ど一年の大半にイチゴを見かけたりすると、
季節感がなくなった、と戸惑いを覚えたりしている。
そして、私は日本酒の辛口、ビールなどのお酒大好きな呑兵衛のひとりだったので、
イチゴは女性、そして女の子、男の子らの婦女子の果物のひとつであると確信し、
40数年過ぎている。
家内が、この冬の時節も愛食しているが、
私は買い求めてきたイチゴのパック詰の中から、
2粒ぐらいお付き合いしている程度が実態となっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/e7/d9f07e92da347eaa4ca038160e360ee7.jpg)
このようなイチゴに、ささやかな思いがあるので、
昨今は、コンビニなどでも、イチゴのスイーツのおしゃれな食べ物を見かけたりし、
高齢者の私には無縁かしら、と微苦笑したりしている。
今朝ぼんやりと、我家のキッチンの壁際に掲げている風物詩に富んだカレンダーを見ていると、
何故かしら1月15日は『苺(イチゴ)の日』とイチゴの絵も描かれて、可愛らしく表示されていた。
私はイチゴの生産か販売に携(たずさ)わる方たちが、
イチゴの消費拡大を目的として、1月15日に於いて、
【一五(いちご)】の語呂(ごろ)あわせ、健気(けなげ)に制定した、
と何かの本で読んだことがあった。
そして私は、イチゴかょ、と心の中で呟(つぶや)きながら、
つたない私でも少しばかり思いがあり、ささやかな想いも秘めているので綴る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/a7/7847c717fce039393cea44d059d65486.jpg)
私は2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
多々の理由で年金生活を始めて、自主的に日常の買い物を担当しているので、
もとよりスーパーの生鮮野菜コーナー、果物コーナーなどを見たりしている。
この時節、イチゴの赤く成熟した大粒が並んでいる。
家内は好きな果物のひとつであるので、買い求めたりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/20/a3de041324f46d374014b8ff60976897.jpg)
★ネットより、写真をお借りした★
過ぎし1951年(昭和26年)の頃、小学1年生であった私は、
祖父、父が健在で、小作人だった人たちのご協力を得ながら、程々広い田畑を耕していた。
こうした中、父の妹のひとりは20歳で未婚だったので、
私はこの叔母に何かと懐(なつ)いたりしていた。
この叔母は陽当たりの良い畑の一角で、草花を植えたり、
イチゴなどの果物を植え込んでいた。
草花は仏様、お墓の墓前に供えたり、或いは室内の花瓶に生けたりしていた。
こうした中、イチゴは5月頃になると、
白い花をつけた後、結実し、初夏の頃に赤み帯びて成熟する。
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★ネットより、写真をお借りした★
私は幼年期であり、イチゴを見つめながら、
『まだ駄目・・!?』
と私は叔母に懇願するように言ったりした。
『まだ白さがあるでしょう・・もう少し・・待ってからねぇ・・』
と叔母は言いながら、2坪ぐらいの広さのイチゴ畑の中で、
少し赤く色づい実を捜して、ひとつぶを私の口に入れてくれた。
私は口の中で噛み砕いているうちに、甘み拡がってきた・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/b5/c23e6af1dd1cc20a9832432d9c8aa082.jpg)
1975年(昭和50年)、家内となる女性と交際をはじめ、婚約した後、
確か1月の下旬だったと思うが、
東京駅で待ち合わせ、新幹線の『こだま』で清水駅で下車して、
やがて路線バスを利用し、日本平付近の丘陵のイチゴ園に行ったりした。
陽当たりの良い丘陵の中、ビニールハウスの中で養育されていた。
そして入り口でカップに入れたミルクを頂き、
ハウス内のイチゴを捥(も)で食べる方法であったが、
途中で私は家内となる女性に私のミルクを手渡して、私は外に出たりした・・。
まもなくハウスの入り口から少し離れた所で、
ぼんやりと私は、海上の光る浪間を観たりしていたが、
ときたま微風を受けると寒さが感じられた。
そして私はいちごを3粒を頂いたが、
初夏の果物がどうしてと思いながら、戸惑ったことは確かであったりした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/fd/2a2d942204559e2e77358308bb913a50.jpg)
思い馳せれば、1960年(昭和35年)の高校生になると、
季節を問わずショート・ケーキの上にイチゴが載せられたり、
日本の各地でビニールハウスの情景が見られたりした。
私は民間会社に中途入社した1970年(昭和45年)を過ぎる頃、
会社の部署旅行で2月に旅先で、イチゴ園に寄ったりした。
このように私は露地栽培の初夏、
実がまばらな小粒で、淡い甘さが幼年期の想いでを体験している為か、
昨今のイチゴには、殆ど一年の大半にイチゴを見かけたりすると、
季節感がなくなった、と戸惑いを覚えたりしている。
そして、私は日本酒の辛口、ビールなどのお酒大好きな呑兵衛のひとりだったので、
イチゴは女性、そして女の子、男の子らの婦女子の果物のひとつであると確信し、
40数年過ぎている。
家内が、この冬の時節も愛食しているが、
私は買い求めてきたイチゴのパック詰の中から、
2粒ぐらいお付き合いしている程度が実態となっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/e7/d9f07e92da347eaa4ca038160e360ee7.jpg)
このようなイチゴに、ささやかな思いがあるので、
昨今は、コンビニなどでも、イチゴのスイーツのおしゃれな食べ物を見かけたりし、
高齢者の私には無縁かしら、と微苦笑したりしている。