夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『阪神大震災』から26年、あの時、あなたは・・、私なりに思い馳せれば・・。

2021-01-17 12:52:38 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
今朝、机の脇に置いてあるメモ書き用のカレンダーを見ると、
《 阪神大震災、1995年(平成7年) 》、
と記載されていた。

そして多くの御方が亡くなった阪神大震災から、
あれから丸26年が過ぎた・・思いを新たにした。




もとより『阪神大震災』は、『阪神・淡路大震災』であるが、
兵庫県南部を震源として、周囲の都市に大きな被害と
発生当時戦後最多となる死者を出す阪神・淡路大震災を引き起こした。

そして日本で初めて大都市直下を震源とする大地震で、
気象庁の震度階級に震度7が導入されてから、
初めて最大震度7が記録された地震である、と伝えられてきた。

私は敗戦後の日本で、大都市の近代都市が初めて神戸市を中核に大震災に襲われ、
かけがいのない6434人の尊い犠牲を払ってきたと学んだ来た。

そして本日で丸26年の歳月が過ぎ、被災された各地にお住まいの方達は、
東京の都心の郊外に住む私が予想する以上に、あらゆる面で多くの犠牲を払い、
たゆまぬ努力をされて復興をされたと思っている。



あのときの朝、私はいつものように都心の渋谷付近にある会社に出勤した。
まもなく神戸市と淡路島などで大地震で被害は甚大となっている、
と私たちは業務の合間に話し合っていた。

この当時の私は、ある音楽業界のレコード会社で管理畑に於いて、
CD、DVDソフト販売店の債権管理をしていた時で、
この一端として全国の各地の販売店の請求、回収業務などもしていた。

昼過ぎになると、営業本部より神戸市地域の今月の『請求書』の郵送を留めて欲しい、
と依頼を受けたが、一部は送付済もあったりした。

震災地の各地には、多くの販売店があり、火災に遭われたり、倒壊したり、
或いは店内が大混雑したので営業は出来ない、
と余りにも不幸な報告を幾たびも受けたりして、胸が痛んだりした。

やがて被災された販売店の一覧表を営業本部より受領後、
私は該当する販売店の債権一覧表を作成したりした。

そしてこれから数ヶ月、管轄地域の大阪営業所に請求書に送付し、
復興のメドを見守ったりした。


やがて震災から3ヶ月を過ぎた頃、
大手の販売チェーン店は営業の再開などの連絡を受けたりした。

しかしながら、ある小さな販売店は、
さきの大戦の前の時代より、営業された老舗も再開を断念されたり、
或いは倒壊された販売店を廃業された、と私たちは大阪営業所から聞いたりした・・。

そして大手の販売チェーン店は再開でき、
街中にある小さな販売店は、ほぼ廃業に追い込まれた、
悲しい連絡を受けたりした。



こうした中、私の会社の社員の中に、人災は免れたが、
5名の方たちが家屋の被害を受けた、と知ったりした。

中には、マンションを購入して一年足らず倒壊し、
やむなく改めてマンションを買い改めた人もいた。
『何とかマンションを買ってローンを払っていたが、駄目になってしまい・・
改めてもう一軒を購入するとは予想もしなかったよ・・』
と彼は私と会った時に、苦笑しながら話してくれた。

私もサラリーマンで住宅ローンの返済の大変さは解かっていたので、
もう1軒分の住宅ローンが加わったら・・と想像したりした。



こうした中、人災に遭われ、多くの肉親、知人にある日予告もなく突然に人との別れをされ、
心の傷を受けられた人たちの前では、もとより言葉がないが、
あれから26年の歳月・・こうしたお方達にとっては、重く辛い日々を過ごされきた、
と改めて思いを馳せたりした・・。
コメント
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