私は東京の調布市の住む年金生活の76歳の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後40数年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
こうした中、今朝ぼんやりとカレンダーを眺め、4日と知り、
働いて下さる諸兄諸姉の年末年始の休暇も昨日で終わりを告げて、
いよいよ本日から官公庁は『御用始め』となり、
これに準拠した数多く民間会社も『仕事始め』と思ったりした。
過ぎ去ってしまえば、齢を重ねるたびに早く感じたりしている・・。
やがて私は年末年始を過ごしてきた中、家内と談笑したり、
本を読んだり、昼寝をしたりしてきたが、
とりとめなく自宅の周辺を散策したぐらいかしら、と微苦笑をしたりした・・。

私の住む地域は、世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅で、
生家に近く、私としては結婚前後5年間を除き、
この地域に71年ばかり住んでいる。
年末の大晦日の日、私は一日早いが初詣をしょう、
と近くにある神社、寺院を訪ねることを思い立ったした・・。
私は高校時代から都心の学校に通った頃から、初詣に関しては、
きまぐれに原宿駅に近い『明治神宮』、鎌倉の『鶴岡八幡宮』、
或いは我が家から3キロばかり歩いた『深大寺』などに、参拝したりしてきた。
やがてサラリーマンを定年退職してから、人出の多い中が苦手となり、
込み合う季節は避けて、参拝したりしてきた。
ましてコロナの烈風の中、都知事が、われら都民に向けて、
お互いに一致団結しましょう、と掲示板、広報誌など公知されている。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後40数年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
こうした中、今朝ぼんやりとカレンダーを眺め、4日と知り、
働いて下さる諸兄諸姉の年末年始の休暇も昨日で終わりを告げて、
いよいよ本日から官公庁は『御用始め』となり、
これに準拠した数多く民間会社も『仕事始め』と思ったりした。
過ぎ去ってしまえば、齢を重ねるたびに早く感じたりしている・・。
やがて私は年末年始を過ごしてきた中、家内と談笑したり、
本を読んだり、昼寝をしたりしてきたが、
とりとめなく自宅の周辺を散策したぐらいかしら、と微苦笑をしたりした・・。

私の住む地域は、世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅で、
生家に近く、私としては結婚前後5年間を除き、
この地域に71年ばかり住んでいる。
年末の大晦日の日、私は一日早いが初詣をしょう、
と近くにある神社、寺院を訪ねることを思い立ったした・・。
私は高校時代から都心の学校に通った頃から、初詣に関しては、
きまぐれに原宿駅に近い『明治神宮』、鎌倉の『鶴岡八幡宮』、
或いは我が家から3キロばかり歩いた『深大寺』などに、参拝したりしてきた。
やがてサラリーマンを定年退職してから、人出の多い中が苦手となり、
込み合う季節は避けて、参拝したりしてきた。
ましてコロナの烈風の中、都知事が、われら都民に向けて、
お互いに一致団結しましょう、と掲示板、広報誌など公知されている。

このような深情を秘めてきた私は、地元の神社、寺院だったら、人出も少なく、
ゆったりした心で参拝できると思い秘めていた・・。

そして私は霞嶺(かすみね)神社に寄ったりした。
暖かな冬の暖かな陽差しの中、人影も少ない静寂の中を歩いたした・・。

やがて私は、明照院(みょうしょういん)寺院に寄ったりした。

この霞嶺神社、明照院は、1985年(昭和60)年に調布市の市制30周年を記念の中、
調布市内の自然、史跡などの中から市民に選ばれ、『調布八景』のひとつとなっている。
やがて私は雑木林が残る道を歩いたりした後、遊歩道を歩いたりし
た・・。



このような情景を見たりした・・。
私は初冬の時節、昼下りのひととき、風もなく暖かな陽だまりの中、
遊歩道の外れにコナラ、クヌギなどが群生している冬木立の情景を眺めたり、
大きな欅(ケヤキ)の樹が陽射しを受けながら、
悠然(ゆうぜん)と、青い空に向うように、たわわな枝を伸ばしている情景も、
この時節は私の好きな光景でもある。
そして、遊歩道、住宅街の垣根とかで、
白、淡紅色、ビンク色した可憐な山茶花(サザンカ)の花を観たり、
椿(ツバキ)の幾分小さめの朱紅色の藪椿(ヤブ・ツバキ)の花を眺めたりすることが多い。
このようなことを思い馳せたりして、帰路に向かったりした。

そして新年の2日も、自宅の近くにある游歩道、小公園を歩いたりした・・。


そして新年の2日も、自宅の近くにある游歩道、小公園を歩いたりした・・。





このような情景を眺めたりして、やがて帰宅に向かったりした。
こうして私は、年末年始を過ごす中、人影の少ない処、時間を配慮しながら、
とりとめなく自宅の周辺を散策をしたりしてきた。