夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

初夢は、時としてホロ苦く、つたない人生航路を歩んだ私は、独り微苦笑して・・。

2021-01-03 09:32:28 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の76歳の身であり、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後40数年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

今朝ぼんやりとカレンダーを眺め、3日かょ、と心の中で呟(つぶや)いたりした。
過ぎ去ってしまえば、齢を重ねるたびに早く感じたりしている・・。
    
私は新年の三が日の朝は、お雑煮を頂いたが、昼食の時は大根(ダイコン)を下(お)ろして、
お醤油をかけて、温かい白米のご飯にのせて食べたりした。
そして最も素朴な食べ物で、この世で最も贅沢な主食と感じて、頂いたりした。

こうした中、新年に初めて昇ってくる太陽を拝(おが)む『初日の出』は、
私は平素の日々、ときおり朝のひとときに陽射しに向って両手を合わせて、感謝をしているので、
改めて新年に拝(おが)むようなことは、今回は省略してしまった。




2日は『書き初(ぞ)め』の日と古来から伝えられているが、
私は小学生の『習字』の授業の時、通信簿『2』の劣等生の採点をされ、
これ以来、毛筆、鉛筆、万年筆、サインペンなどで字を書くのは苦手となっている。

そして冠婚葬祭などで署名で困苦する体験を重ねてきたので、『書き初(ぞ)め』は論外となっている。

しかし正月の2日の夜に見る『初夢』は、思い込みが強い性格であるので、
ほとんど日頃から夢の中で叶(かな)えられ、毎年享受している。

もとより夢は貧富に関係なく、その人なりの日頃の思い、言動の余韻、余情、
そして感性の賜物(たまもの)と私は確信を深めて、微苦笑したりしている。
この年始の時も夢をみることもあり、目覚めた朝方に薄らと汗ばんたりしていることが多い。

          

私は2004年(平成16年)の秋に定年退職するまでの半生は、
何かと屈折と卑屈感を秘めて、つたない人生航路を歩んだりしてきた。

こうした中、夢はときには昨日の続きの連続ドラマのようなことがあれば、
或いは映画館で観た三本立てのようにみることがある。

そして、総天然色(カラー)の時もあれば、白黒(モノクロ)だったりし、
目覚めた朝、ぼんやりと微苦笑することもある・・。
          
私は小学生の後半期、地元の映画館などで3作品を一挙に上映した三本立てを
数多く観たりしていた映画少年だったので、
この習性の余情かしら、と思ったりしている。

          


私は1960年(昭和35年)の中学3年の終りの頃、
私は職員室で担任の女の先生から呼ばれ、『XXくん・・あなた眼・・悪いわね・・0.3って・・』
と先生は、健康診断書を見ながら、私に言った・・。

『・・どうして・・今まで黙っていたの・・メガネを掛けないと・・黒板の字も見えないでしょう・・』
と先生は苦笑しながら、私に言った。

私は教室の指定された後部に座って、黒板の字もかすれていたが、
同級生もこのような状態と思い、信じていたのである。
こうした根底には兄ふたり、妹ふたりもメガネをしていないので、それなりに思い込んでいたりした。

このようなことがあり、特に算数の基礎である因数分解など理解できず、
高校生になっても微分、積分などの授業には、理解できず逃げ回っていたグループのひとりであった。

このような結果として、もとより期末試験などは惨澹たる結果であり、
ときおり今でも、悪夢となり呻(うな)されたりすることもある。

                         

サラリーマン現役時代だった頃の夢みる時は、どうしてなのか、業務の成功例より、
遥かに失敗したことを多く、目覚めた時に苦笑したりしている。
たとえば、上司、同僚、後輩がいる中、突然に中学時代の悪友が出てきたり、
どうしてお前がいるのょ・・、 と私は戸惑ったりしている。

ときには秘かに思い続けた小学校時代の初恋の同級生に見つめられたりし、
貴女はどうしているのょ・・、とありえない時代の落差に戸惑ったりし、冷や汗をかくこともある。

或いは幼年期は私は農家の児であったので、
田畑、雑木林など景観を観たり、湧き水、竹林の筍(タケノコ)、野菜の収穫時などの情景をみることもある。

こうした体験をしてきた私は、夢はもとより貧富に関係なく、その人なりの日頃の思い、言動の余韻、余情、
そして感性の賜物〈たまもの〉と私は確信を深めて、微苦笑したりしている。

          
               

私の理想的な夢のひとときは、恥ずかしながら告白すれば、
齢ばかり重ねた今でも、女性への煩悩を捨て切れない拙(つたな)い身として、
秘かに思いながら、眠りにつくこともある・・。

街中、駅前などで、たまたまワンピース、ツーピースが似合う60代、70代の人を見かけ、
たまたま謙虚な会話が聴こえたり、魅了されるしぐさを感じた時、
或いは紬(つむぎ)が似合いそうな臈長(ろうた)けた人を見かけた時などある。

ときにはブログの世界で、シニア層と称せられる女性の方の投稿文に於いて、
読ませて頂だく中で、瞬時に魅了されたりすると、
どのような顔立ち、しぐさ、言葉を平素の生活の中で重ねる御方かしら、
と思わず想像してしまい、微笑んだりすることが多い・・。

私はこうした方と語り合い、散策した後、無念ながらお別れねぇ、と握手する、
このようなことを私なりに夢で願望したりしている。

私はこのようなことを思い馳せれば、思い込みが強い性格であるので、
ほとんど日頃から夢の中で叶(かな)えられるひとりである。

          

昨夜は初夢とこの世で定められているが、たまたま夢の中でお逢いできた人は、
サラリーマン時代にめぐり逢えた上司、同僚、後輩であったりした。

何かしらOB懇親会で、男性メンバーで二次会まで有志が参加され、やがて延長戦として、
新幹線で熱海まで行き、宿泊してゆっくりと語り合おう、という内容であったりした。

現実的には、二次会まで考えられるが、この年代で突然に社員旅行のように宿泊することはないので、
目覚めた後、どうしてなの・・と戸惑いながら微苦笑したりした。

思い当たることは、新年に年賀状を頂き、それぞれの御方の顔立ち、しぐさを思い重ねたりしてきたので、
こうした余韻が脳裏に残っていたと思われ、独り微苦笑したりした・・。
         
                          

私の現(うつつ)の日常生活に於いては、
近所の奥様、ときには御主人と自治会の回覧、買物、散策の時などで、
私は立ち話をしたりすることが多い。

昨年の年末に於いて、日常の買物専任者の私は、いつものように独りでスーパーに行った。

そして家内から依頼された品を買い求めた後、
レジ袋を両手に提(さ)げた上、12ロール入った1ケースのトイレット・ペーパーも提(さ)げて、
重くてかさばるよなぁ、と歩きながら帰宅に向っていた。

こうした時、近所で好感している奥様と出会ってしまい、大変ですわねぇ、と言葉をかけられて、
私は赤面したりした。

このように私は、夢のひととき、現(うつつ)の日常生活では、落差がありすぎる、
と苦笑することが多く、つたない人生航路を歩んだ私は、戸惑ったりしている。
コメント (7)
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